ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

動物愛護の理由

2016年02月18日 | 聖書



 捨てられ、また、保健所に持ち込まれ、殺される運命にある犬猫を救う活動をしている人たちがいる。
 とても、ハードな活動のようです。年間20万頭以上の薬殺される動物を、できる限り救い出そうと、
 活動するのは、容易ではありません。

       

 犬や猫が「癒し」になると、宣伝する風潮がある。
 かわいい猫・犬の写真が毎日のように流されている。
 中には、無理に「かわいいしぐさ」をさせているとしか思えないような映像があり、
 
 加工されているかもしれない画像を、また、
 「かわいい!」と喜び、映像を拡散する人もいる。

 しかし、猫も犬も、写真で見て、その価値がわかるようなものでしょうか。
 捨て猫が後を絶たないのは、飼い主に、甘い思い込みがあり、
 生き物と暮らすと言う「厳粛な覚悟」が足りなかったからではないでしょうか。


  以下はフェイスブックに投稿したさとうの記事の再録です。


       ★ ★ 


 一度飼った犬猫を捨てていけないのは、「いのちが大切だから」と言うだけでは、不十分かなと思います。
 いのちが大切なことはだれでもわかっているのです。こんなに科学が進んでも、人間はゼロから命を生み出すことはできないのです。

 私たちにとって、ほかのもののいのちは、自分のいのちをつなぐ手段にもなっています。
 それは神様が創世の初めにお許しになっていることなのです。(創世記1章29節)
 エデンの園にあった豊かな果物も緑の草も、植物としてみんな生きていたのです。
 アダムとエバの息子カインは穀物を栽培し、アベルはひつじを飼う者となったとも書かれています。
 また、神様は、箱舟から出てきたノアに、言われます。

 生きていて動いているものは皆、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。(創世記9章3節)

 私たちは、ほかの生き物に自分たちのいのちを支えてもらって生きています。
 口から食べるだけでなく、彼らがいて、豊かな自然環境があり、また、
 喜びや学びがあり、
 彼らなしには、私たちも存在できないはずです。

 子どものときから、いつも家には猫や犬がいたので、私はいまでも犬や猫が大好きです。犬や猫についてなら、一か月でもしゃべり続けることができるくらいのエピソードがあると思います。
 それを思い出すと、今でも、楽しい映画を見ているようです。

 猫が運んでくれた物語をひとつだけ、小さな文章にして、それが活字になったことがあります。
 猫が、見知らぬ方の手紙を運んできて私たちが、何か月か、猫の運ぶ手紙でやりとりをしたことがあるのです。


「だいちゃん宅配便」

 お時間のお許しになる方はお読みください。

      http://christwasborn1.seesaa.net/










最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。