平日のお昼時、職場界隈は殺伐としている。
働く人の量に対して食事を提供する店が
少なすぎることもあり
また、ゆっくり飯屋にもいられぬサラリーマンの需要もあって
道端に夥しく並ぶのは、弁当屋のパラソル。
コンビニよりはまし、とばかりに
飛ぶように売れていく。
私もときどき利用するのは
道路わざわざいっぽん渡った先にいる、
隣駅の寿司屋のパラソル。
鮪頬肉のフライ、かますのちらしなど
ちょっと目先の変わった魚のおかずが
入ってて、おいしい。
だけどもうひとつ、そこへ行く理由は
パラソルの下で接客してる人が気になるからである。
どうせイケメンなんでしょ?
いやいや、ちがう、
いや、ちがわないかもしれないが
かつて女泣かせだったとしても
その影はもはや名残もない老齢。
彼は座ってる。注文を受けると
隣からお嫁さんとおぼしき女性が
後ろからお茶と味噌汁をだす。
彼はそれを弁当の袋のうえに乗せ、
お金を受け取り、袋を渡す。
が、たまに受け取った500円玉が
袋に落ちてたりもする。
お客は慌ててそれを返す。
私はそんなやりとりをしながら
今日も元気そうでよかったなとおもう。
たぶん、お嫁さんらしき人にとっては
ひとりで接客したって仕事量は変わらないんだと思う。
それでも毎日、彼を伴って屋台をたてる。
なぜなら、そこが彼にとって
食べるために働く場所だからなんだろう。
なにを話すでもないし、顔覚えてもらってもないけど、
そこに彼が変わらず働いてる姿を
みるとほっとする。
そういうひと、私だけじゃないとおもう。
いつも大繁盛だもの。
食べることは生きること。
今回の講演のテーマである。
佐藤初女さん。
尊敬する私のお菓子の先生が心酔してるひと。
本も書きメディアにも取り上げられて
いるので、ご存知な方も多い。
小学校の先生などを経て
今は、生きるのに疲れた人を
癒すための施設を開いている。
30年で700人が彼女を訪れたという。
どんな魔法を使うのか?
そのときに採れる食材を
ていねいに調理し
大切に炊きあげたごはんと
お味噌汁とともに提供する。
それが、初女さんの
最大最強の癒しの力である。
講演の前半は、初女さんを取材した映画の上映。後半は、ご本人が来場者からの質問に答える「わかちあい」。
若い頃大病を患い、生きる力は食べ物によってこそ得られると身を持って知ったのだという。
ふきのとう、アカシアの花、黄色い菊、きのこ、くるみ。
身近な山の恵みに感謝しつつ
作る料理のおいしそうなこと。
もうひとつ、初女さんが魅せられた
鐘。
幼い頃、どこからともなく
聴こえてくる美しい響きを探して
歩いていった先には
石の塀に囲まれた教会があったのだそう。
塀越しに見える色とりどりの花咲く庭は
天国のように思えたのだと。
神様をもつようになった初女さんは
しかし、ただ座って祈りをあげるだけではなかった。
目の前に困ってるひとがいたら
祈るよりさきにごはんをつくって
食べさせてあげないと。
彼女にとっての祈りは
生活そのものなのだそう。
きのうより、すこしでもよい今日を。
そのために必要なものは
気づき、だという。
実際、後半で初女さんが
会場から集めた質問用紙を
みずから音読し、反芻し、
ゆっくりと答えを探していく様子を見て
とても驚いた。
御歳93歳で、このインアウト。。。
そして私は、音読している
初女さんの声の響きそのものに
心地よいものを感じた。
会場を埋め尽くすすべてのひとが
初女さんの言葉をじっと待ち、
初女さんの動きをそっと見守る様子も
とてもあたたかく、素敵な雰囲気だった。
ある質問用紙に
「心の平穏を保つにはどうしたら?」
とあり
初女さんは5回くらいそれを読んだのち
「だれかこれに答えてくれるひとはいますか?」とおっしゃった。
ひとりが手をあげて
「去年、おなじようなことを初女さんに質問したら、こんなふうにおっしゃってくださいました」
といい
「そんなことにとらわれるより、
手を動かしたほうがいい」
集中してごはんをつくるなどすれば
とらわれている苦しみから
心が離れるから、とのこと。
初女さんはその答えをきいて
ありがとうございました、と。
不思議な光景だった。
かつて初女さんが助けた人が
初女さんと、いま悩んでるひとを
初女さんの言葉で助け
それに初女さんが感謝している。
私の近くにも、悲しみにとらわれている
人がいる。
どうしてあげたらいいのかな、と
おもっていたけれど
いつもとおんなじように、仕事を
ばんばん受け持ってもらえばいいんだな。
だめそうになったらフォローして
うまくできたら感謝して。
それもいつもとおんなじだけど。
あとは、初女さんのおにぎりのかわりに
私が作れる、お菓子をあげようかな。
働く人の量に対して食事を提供する店が
少なすぎることもあり
また、ゆっくり飯屋にもいられぬサラリーマンの需要もあって
道端に夥しく並ぶのは、弁当屋のパラソル。
コンビニよりはまし、とばかりに
飛ぶように売れていく。
私もときどき利用するのは
道路わざわざいっぽん渡った先にいる、
隣駅の寿司屋のパラソル。
鮪頬肉のフライ、かますのちらしなど
ちょっと目先の変わった魚のおかずが
入ってて、おいしい。
だけどもうひとつ、そこへ行く理由は
パラソルの下で接客してる人が気になるからである。
どうせイケメンなんでしょ?
いやいや、ちがう、
いや、ちがわないかもしれないが
かつて女泣かせだったとしても
その影はもはや名残もない老齢。
彼は座ってる。注文を受けると
隣からお嫁さんとおぼしき女性が
後ろからお茶と味噌汁をだす。
彼はそれを弁当の袋のうえに乗せ、
お金を受け取り、袋を渡す。
が、たまに受け取った500円玉が
袋に落ちてたりもする。
お客は慌ててそれを返す。
私はそんなやりとりをしながら
今日も元気そうでよかったなとおもう。
たぶん、お嫁さんらしき人にとっては
ひとりで接客したって仕事量は変わらないんだと思う。
それでも毎日、彼を伴って屋台をたてる。
なぜなら、そこが彼にとって
食べるために働く場所だからなんだろう。
なにを話すでもないし、顔覚えてもらってもないけど、
そこに彼が変わらず働いてる姿を
みるとほっとする。
そういうひと、私だけじゃないとおもう。
いつも大繁盛だもの。
食べることは生きること。
今回の講演のテーマである。
佐藤初女さん。
尊敬する私のお菓子の先生が心酔してるひと。
本も書きメディアにも取り上げられて
いるので、ご存知な方も多い。
小学校の先生などを経て
今は、生きるのに疲れた人を
癒すための施設を開いている。
30年で700人が彼女を訪れたという。
どんな魔法を使うのか?
そのときに採れる食材を
ていねいに調理し
大切に炊きあげたごはんと
お味噌汁とともに提供する。
それが、初女さんの
最大最強の癒しの力である。
講演の前半は、初女さんを取材した映画の上映。後半は、ご本人が来場者からの質問に答える「わかちあい」。
若い頃大病を患い、生きる力は食べ物によってこそ得られると身を持って知ったのだという。
ふきのとう、アカシアの花、黄色い菊、きのこ、くるみ。
身近な山の恵みに感謝しつつ
作る料理のおいしそうなこと。
もうひとつ、初女さんが魅せられた
鐘。
幼い頃、どこからともなく
聴こえてくる美しい響きを探して
歩いていった先には
石の塀に囲まれた教会があったのだそう。
塀越しに見える色とりどりの花咲く庭は
天国のように思えたのだと。
神様をもつようになった初女さんは
しかし、ただ座って祈りをあげるだけではなかった。
目の前に困ってるひとがいたら
祈るよりさきにごはんをつくって
食べさせてあげないと。
彼女にとっての祈りは
生活そのものなのだそう。
きのうより、すこしでもよい今日を。
そのために必要なものは
気づき、だという。
実際、後半で初女さんが
会場から集めた質問用紙を
みずから音読し、反芻し、
ゆっくりと答えを探していく様子を見て
とても驚いた。
御歳93歳で、このインアウト。。。
そして私は、音読している
初女さんの声の響きそのものに
心地よいものを感じた。
会場を埋め尽くすすべてのひとが
初女さんの言葉をじっと待ち、
初女さんの動きをそっと見守る様子も
とてもあたたかく、素敵な雰囲気だった。
ある質問用紙に
「心の平穏を保つにはどうしたら?」
とあり
初女さんは5回くらいそれを読んだのち
「だれかこれに答えてくれるひとはいますか?」とおっしゃった。
ひとりが手をあげて
「去年、おなじようなことを初女さんに質問したら、こんなふうにおっしゃってくださいました」
といい
「そんなことにとらわれるより、
手を動かしたほうがいい」
集中してごはんをつくるなどすれば
とらわれている苦しみから
心が離れるから、とのこと。
初女さんはその答えをきいて
ありがとうございました、と。
不思議な光景だった。
かつて初女さんが助けた人が
初女さんと、いま悩んでるひとを
初女さんの言葉で助け
それに初女さんが感謝している。
私の近くにも、悲しみにとらわれている
人がいる。
どうしてあげたらいいのかな、と
おもっていたけれど
いつもとおんなじように、仕事を
ばんばん受け持ってもらえばいいんだな。
だめそうになったらフォローして
うまくできたら感謝して。
それもいつもとおんなじだけど。
あとは、初女さんのおにぎりのかわりに
私が作れる、お菓子をあげようかな。
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