このうちに引っ越してから1年が経ちました。
引越しの前の日まで工事が終わらなくて、水道や排水もうまく行かなくて、「ほんとに住めるのかな?」と思いながらした引越しだったけど、結局は引っ越してからこのうちはだんだんとどんどんと良くなって、古くていろんなクセがあるからこそ勝手がわかったらなんともなくなってきて、
夏は涼しく、冬は温かく、毎日ここに住めることの幸せを感じながら暮らしています。
本当に引っ越してきて良かった。
いつもこのうちを建てた人の意思を感じながらお世話しています。時代を越えて会話をしているよう。
光や風やいろんな音、生えて来る草を通じてもいろんなことが伝わってきます。
思うのは人が住んで手入れをする事で、うちは生きて来ると言う事。
窓のガタピシも排水の匂いもだんだんマシになる。うちの匂いも変わって来る。
床が輝いて手すりも光って来る。
いい風が入って光が通ってうちが呼吸する。
この地域も空き家が結構あるけれど、本当に勿体ないと思う。建てた人が思いとお金をかけて建てた大切な家を放っておくことで価値を下げる事。
そういう家に住む事で住む人の人生も豊かになる事。
それがわかった一年でした。
良いうちがこんなにも暮らしを快適にするのかと、良い庭がこんなにも心と体に働きかけるのかと。
一見無駄と思われて、現代の建築で省略されているものの意味と価値。
それは床の間だったり階段の下の空間だったり(小さな枯山水)、それが暮らしの中で時間や動きの流れにどんなに実際は効率的にプラスに働いているか。住んでみてわかった。昔の人の考え方の素晴らしさ。
私がそれまでしてきた、一見面倒と思われることを心から進んでやる。楽しむ味わう。その発展型がこの暮らしでした。
一番の成果が庭に現れます。やっぱり生きているから。
ツツジが溢れんばかりに咲き誇っています。枯山水でいつもは地味な庭だけど、今はとっても華やか。
新緑も萌え出て5月のひかりに煌く。
去年、廃墟そのものだった荒れ果てた庭と比べるとほんとうに変わりました。
毎日お世話をして、飽かずに眺める。
好きで好きで好きが溢れます。
私にとってこのうちや庭は、物ではなくて一個の人格を備えた存在のようです。
本当に出会えて良かった。
これからもここにいる間、大事にして行きたいです。
うちも庭もそう思ってくれてたら良いなあ。
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