中公新書
小泉三申 ― 政友会策士の生涯
小島直記
中央公論新社 (1976/12 出版)
渓流斎日乗
日経で連載中の「私の履歴書・小泉淳作」が、大袈裟な言い方をして恐縮ですが、腰が抜けるほど驚くことが多く
新聞の折り込みで届く「ファミリーカレンダー」とかいう名前の、月替わりの書き込み用カレンダーを家族の連絡メモ用に使っている。
左上に絵が入っていて、8月は山田伸画伯。
何カ月交代なのか、よくわからん。
年毎?
これに昔、小泉画伯の絵が使われていたことがあり、同画伯の名前を認識した最初の機会だった。
「タイトル」小泉 淳作 とあったので、「小泉淳という人の作品であると言ってるのか、小泉淳作という名前なのか、どっちなんだろうね」と無知丸出しの会話を交わしたのは何年前か。
その後、「淳作」という名前と知る。
今般、小泉画伯が若いころ工業デザインで活躍されたと知るとともに、名前から作の一字をとって「小泉淳」と号していた時期もあると知る。
根拠のない推察でもなかったことになる?ならない?
インタビュー小泉淳作氏
父は三申(さんしん)という号を持っていました。仏教美術の大変な収集家でもあり、その世界では随分有名で、論文や随筆を残してい ...
で、その小泉画伯の父君である策士政治家が伊豆の小浦の出身と知る。
小浦には行ったことはないのだが、ペアになっている妻良にはなじみがあるもので、図書館で古ぼけた新書に目がとまる。
南伊豆町[みなみいずちょう]
子浦は江戸時代の風待港だった。カジキの突きんぼ漁は伊豆七島まで遠征する。昭和初期の政党政治家・小泉三申はここに生まれ、新聞記者から身を起こした。代議士になると静岡を選挙区とし、熱海新聞を創刊している。
leraのブログ
『幸徳秋水と小泉三申』反骨の友情譜
小泉三申 ― 政友会策士の生涯
小島直記
中央公論新社 (1976/12 出版)
渓流斎日乗
日経で連載中の「私の履歴書・小泉淳作」が、大袈裟な言い方をして恐縮ですが、腰が抜けるほど驚くことが多く
新聞の折り込みで届く「ファミリーカレンダー」とかいう名前の、月替わりの書き込み用カレンダーを家族の連絡メモ用に使っている。
左上に絵が入っていて、8月は山田伸画伯。
何カ月交代なのか、よくわからん。
年毎?
これに昔、小泉画伯の絵が使われていたことがあり、同画伯の名前を認識した最初の機会だった。
「タイトル」小泉 淳作 とあったので、「小泉淳という人の作品であると言ってるのか、小泉淳作という名前なのか、どっちなんだろうね」と無知丸出しの会話を交わしたのは何年前か。
その後、「淳作」という名前と知る。
今般、小泉画伯が若いころ工業デザインで活躍されたと知るとともに、名前から作の一字をとって「小泉淳」と号していた時期もあると知る。
根拠のない推察でもなかったことになる?ならない?
インタビュー小泉淳作氏
父は三申(さんしん)という号を持っていました。仏教美術の大変な収集家でもあり、その世界では随分有名で、論文や随筆を残してい ...
で、その小泉画伯の父君である策士政治家が伊豆の小浦の出身と知る。
小浦には行ったことはないのだが、ペアになっている妻良にはなじみがあるもので、図書館で古ぼけた新書に目がとまる。
南伊豆町[みなみいずちょう]
子浦は江戸時代の風待港だった。カジキの突きんぼ漁は伊豆七島まで遠征する。昭和初期の政党政治家・小泉三申はここに生まれ、新聞記者から身を起こした。代議士になると静岡を選挙区とし、熱海新聞を創刊している。
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