真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

長城堀口九萬一とその家族 数奇な運命のものがたり

2008-11-16 | 読書-2008
11/6付「きみは堀口九萬一を知っていたか」の続き
『敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一』
柏倉康夫
発行:左右社

目次
序章   ある漢詩集
第一章 戊辰戦争の陰で
第二章  外交官への道
第三章  王城事変
第四章  沙市の領事
第五章  日露戦争の陰で
第六章  代理公使
第七章  悲劇の十日間 その一
第八章  悲劇の十日間 その二
第九章  スペイン
第十章  フランス文学三昧
第十一章 再びブラジルへ
第十二章 最後の赴任
第十三章 講演と執筆の日々
第十四章 晩年
終章   敗戦後の日々

古書店で著者が入手したという九萬一(長城と号した)の漢詩を長男の大學が訳した書物がミソだわな。
その本に掲載されていたという九萬一作の漢詩がことあるごとに掲げられ、良いアクセントとなっている。
当時は朝鮮の知識人とも漢詩で筆談できたというのは凄いなあ。

‘地方出身者の若者がいかにして世間の表舞台に駆け上がったかをつぶさに検証してみるのは、日本の近代化がもつ意味をあぶりだす一方法ではないかと考えたのが本書執筆の動機である’(あとがき)のだそうで、その試みはある程度成功しているといえよう。

九萬一が書き残したものの矛盾も鋭く指摘。長城先生は引退してから何冊かの回顧録を書いているのだが、検証すると事実関係がおかしい部分がある由。
まあ引退後の昔話なので、誇張や記憶違いがあっても不思議ではない。

ほかに何箇所か、モンガイカンでも、「ん?編集さん大丈夫なの?」と思えた箇所があるが、ま、いいや。
さらに、ソボクな疑問。
清国湖北省荊州府沙市の領事となった九萬一が‘ジャーマン・マディソン商会の「永昌丸」で揚子江を遡行して漢口についた’というのはホントかなあ...
有名な会社のアナグラムみたいだもんなあ。おそらく元の九萬一の手記にそう書いてあったのだろうけどな。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jardine_Matheson_Holdings
GermanさんとMadisonさんが作った商会もあったのかなあ...

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