真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

きみはフェリーパイロットを知っていたか

2009-10-23 | 読書-エッセイ/小説etc
『惜別YS‐11―国産旅客機YS‐11を知り尽くしたパイロットのおもしろ・なるほどドキュメント。』
坂崎 充【著】
イカロス出版 (2003/09/01 出版)

北海道新聞の著者インタビュー/20031026

エアライン(定期航空会社)の路線を運航する身から、先輩に誘われてYS-11を販売先に届ける日航製の関連会社に転身。
YSのほかに小型機の輸送などにも従事、その後また定期航空のパイロットとして引退までご活躍、というわけか。

で、本書には定期航空便のYS-11運航の話もあるのだが、圧倒的に面白いのが航空機空輸業時代の話。
特に小型機の輸送が凄い。ゴムの燃料タンクを機内に積んで航続距離を延ばすんですって。冒険譚だもんな。

こちらは、現役フェリーパイロットか。
フェリーパイロットのブログ
なるほど。
この方の場合、おそらく、定期航空のパイロットを目指したのだろうが、それは叶わず地上勤務職として勤務の後、フェリーパイロットに転身された、と見た。

勢いで、フェリーパイロットの物語を読む。伝説のフェリーパイロット、故清水千波氏(明治41年生~昭和62年没)の実録小説。
『孤独の操縦桿』

千波万波を乗り越えるよう・・との命名の由で、センバと読むらしい。
検索すると、「もしかして、清水ちなみ?」と聞かれてしまうんだが(笑)。

戦争中は、旧日本陸軍で司令部付きのパイロットとして南方で(97重爆で)要人の輸送などに従事されていたという。
チャンドラ・ボースも乗せたことがある由。ボースの最期も、97重爆に乗って台北で離陸失敗という事故だったな。

富士重のエアロスバルを日本からスウェーデンまで飛ばしてゆく話、ビーチのキングエアをウィチタ(カンザス)からタイまで運ぶ話などなど。
エアロスバルの空輸の話は、佐々木譲さんの冒険ものを思い出してしまう。

~上記『孤独の操縦桿』 を紹介していたサイト(七面鳥・・)自体は、PC上のフライトシミュレーターソフトを楽しんでおられる方である模様。
「シュミ」レーターじゃないんだけどね。
simulateするからsimulator。
趣味でやるから「趣味レーター」なんだ!ってほんとかよ(笑)。

WWⅡ当時、英米では後方業務への女性活用の一環として、フェリーパイロットに女性を起用していたという。
星野道夫さんの本の中に、戦時中フェリーパイロット(軍用機を工場から前線の基地まで空輸)をやっていた女性が、アラスカでブッシュパイロットをしているケースが紹介されていたっけ。

英空軍の爆撃隊を扱った小説には、綺麗なおねえさんが新品の4発大型爆撃機を基地に配達してきて、部隊の男たちがお近づきになろうと色めき立つが、あっさりあしらわれて相手にしてもらえない…というシーンが登場したっけ。
この時代の大型機の操縦はけっこう力仕事らしかったけどな。凄いよな。

それにしても、若い女性が出来上がった飛行機を工場から基地までフェリーしていた国々を相手に、出来上がった零戦を運ぶのに牛や馬に引かせていた国が戦争を挑んだというのはねえ・・・。
ほんとだよ

「ちなみ」に、南面堂は、YS-11には乗ったことがない。
ロールス・ロイス ダートエンジンのヒューンというエンジン音は聞き分けられたけどね。

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