雪の中から
現れたもの
密偵志願
ゴビの砂漠へ
最初の別れ
駝夫として
さらに深く
無人地帯
白い嶺の向こうに
ヒマラヤの怒り
聖と卑と
死の旅
ここではなく
仏に会う
波涛の彼方
ふたたびの祖国
雪の中へ
2022/11/27 マイあさ!「著者からの手紙」 『天路の旅人』 沢木耕太郎さん
というのがあったのだが、掲載期間経過?で消去された模様.
代りにノンフィクション作家・探検家による紹介を
「行かないではいられない」国家の密偵として西域に潜入、終戦後も各地を渡り歩き…第三者視点で書き直す“旅の記録” | 文春オンライン
『天路の旅人』「希有な旅人」の壮大な旅を描く大作 - HONZ
迷ったらこの1冊で間違いなし! 「書評現代」|ただ旅に生きる姿を沢木が甦らせる/『天路の旅人』|tree
『天路の旅人』沢木耕太郎著 評者:後藤正治【新刊この一冊】|文化|中央公論.jp
【書評】中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した日本人を描く:沢木耕太郎著『天路(てんろ)の旅人』
しかし、あれだな、当時の密偵というのは、当局が命じて潜入させたというよりも、本人が志願して軍当局にスポンサーになってもらった感が勝るな。
軍当局としては一応命じた形になっていたのだが、敗戦で命じた当局側が消滅してしまったので、西川が帰国後に別の役所(外務省)に詳細報告の用意ありと申し出るも門前払いされたという。
有力者の仲介を経るなどのしかるべきルートをとれば対応も違った可能性はあるかもしれないけど。
もしかすると、当時は「情報を教えてやる」という有象無象のインチキな売り込みなど数多あったのかもしれん。
申し出を受けた当局の担当者は、西川もそのような怪しいものと考えて門前払いした可能性はあるかも。
(話はそれるが)
当時の外務省なんて、占領軍の意向を気に掛けるので精いっぱいだったのだろうな。
え?今でも基本的にはむにゃむにゃ、って?そこまでは言わんけどw
独立回復後に杉原千畝の行方を尋ねた開設直後の在日イスラエル大使館の照会に「そんな人いません」(大意)と木で鼻をくくった対応をしたのも当時の外務省だったしな。
外務省を解雇された杉原(占領下で外交が基本的に不要・不能になったための人員整理だった筈なので、任地での訓令違反のため云々というよりも、中核人材とされた帝大卒のエリート等を残して大幅に人員整理したものだと思う件~占領終了・独立回復後のことまで展望できない人たちが仕切っていたともいえよう)が鵠沼の自宅近くでロシア語の個人教授をしていたのだそう。んで、生徒本人はもう亡くなっているかもしれないが、「お爺さん/お婆さんが近所で習っていたロシア語の先生が実はあの杉原千畝だった」という人がいるはずの件!
電柱の張り紙を見て杉原千畝にロシア語の個人教授を受けた大岩 信太郎中央大名誉教授は2016年没。
中央大学広報室
(それた話を戻す)
じつは2回に分けて月刊「新潮」に掲載されたものを読んでみた。単行本は未読。
~図書館の単行本の行列が先頭が見えないほど長くて(比喩であるね)、雑誌掲載分の方が早く閲覧可能と気付いたものでね。
→2023/8に図書館の単行本の順番が回ってきたので再読。
2022/08 定期号 沢木耕太郎「天路の旅人」(第一部・460枚)
2022/09 定期号 沢木耕太郎「天路の旅人」(第二部・470枚)
なので、
木村肥佐生の葬儀に参列した西川が「興亜義塾の一期生であり、二人にとって先輩にあたる春日行男に向かって」呟いた云々のくだりが、単行本化の際にちゃんと春日行雄に修正されているのかどうか未確認。
→修正を確認(3刷)
(南面堂はモンゴル関係者ではないのだが、別のナニで春日先生にお会いしたことはあるもんでね)
モンゴル関係で春日行雄先生のお名前を間違えてはいかん。
「モンゴル便り」No.05 「テムジンの友塾」春日行雄氏へのインタビュー
⇒単行本あとがきで、西川由起女史(西川の娘さん)に「新潮」の「天路の旅人」には誤字がひとつあると指摘を受けた旨の記載(p569)があるが、この件かも。
西川一三 - Wikipedia
毎日新聞記者だった徳岡孝夫さんが1963年に西川に取材依頼の手紙を書いていたというのも凄い。
本件に関する徳岡さんのコメントはないのかな?
沢木さん、本人の旅行記も面白いけど、「他人の旅行記」も面白い。
編集者が勝手にカットするなどもあって意味不明箇所があるという西川本人による潜入記(未読)を読むよりもよほどよくわかるのかも。
終章で、沢木氏が西川と会った最後の夜の話題が出る。
ブッダガヤの菩提樹の大木の元にいた盲目の太鼓芸人の話(p563)。
沢木氏が(深夜特急の旅で)ブッダガヤ訪問時に老人だった盲目の男は、30年前に西川が見ていた30~40歳の男と同一人物じゃん!
「同一人物だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。」という記載なのだが(実際、沢木氏の旅からさらに数十年経過しているので確かめようもないし、「歴代、盲目の男がその場で仕事をすることになっている」だったりして、代が変わっていたのかもしれないし?)、最後にさりげなく凄い話をぶっこんで終わり、余韻を残すわね。