真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

イエズス会巡察師ヴィットリオ・ヴァリニャーノは16世紀後半の日本に何をみたか

2009-01-03 | 読書-2008
ザビエルの名前はわが国でよく知られていることは疑いない。もし成人100人に聞いたら、95人くらい正解できるかな?お馬鹿タレントはどうか知らんが。
それに対して、ヴァリニャーノ神父はどうだろう。南面堂もギブアップ組だったな。
大村市サイト:天正遣欧少年使節とは

でもって、これを読んだのよ。
『巡察師ヴァリニャーノと日本』
ヴィットリオ・ヴォルピ 著/原田和夫 訳 2008年
興味深い!引用したいところは山ほどあるが、やめとくね。とにかく興味深い。
インクルトゥラツィオーネの先駆者、ですよ。なにそれ。

きっかけは、アルファブロガーの会計士さんのサイトisologueで知ったの:
日本に「西洋的な考え方」を導入する方法---(巡察師ヴァリニャーノと日本)2008.12.12

イエズス会日本管区/ヴァニャーノ Alessandro Valignano 1539‐1606
“組織者としての手腕,深い学識と人格により,ザビエルの精神を継承したキリシタン史上の中心人物である”

日本のイエズス会関連年表(イエズス会日本管区)http://www.jesuits.or.jp/history-n.html

JPJesuitSuperiors日本キリシタン時代イエズス会上長 (1549-1652)
ヴァリニャーノ神父は、上表記載の駐在員に相当する聖職者らを監督するためにアジア全体を周るという、高位の役職だったのね。
「現地の言葉を覚えてそれで布教しないと駄目だろうが」というので辞書を作ろうとか(それにより日葡辞書などが作られた)、いろいろ画期的な施策を展開しました、と。ふむふむ。

著者のヴィットリオ・ヴォルピ氏:「日伊ビジネス覚え書」
『賢者の「営業力」日本進出の成功例、宣教師ヴァリニャーノの教え』2006/10/11 出版)が紹介されている。
史上最高の「マーケッター」、宣教師ヴァリニャーノに学ぶ、アジア市場開拓の成功法則
『日本がいま、やるべきこと』2000年(絶版。表紙が著者の顔)

イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト: 『巡察師ヴァリニャーノと日本』翻訳出版記念講演会/2008/09

④イエズス会日本巡察使ヴァリニャーノ神父──キリスト教の日本語化に貢献
日本キリシタン史上、最も重要な人物は言うまでもなくザビエル神父であるが、ヴァリニャーノ神父の重要度も決して劣るものではない

著書:『東インド巡察記』
ヴァリニャーノ/〔著〕高橋裕史/訳
平凡社東洋文庫2005年01月

それにしても、あの時代に宣教師として異教の地へ乗り込むというのは、どれほどの覚悟が必要だったのだろう。なかには拷問に屈して棄教せざるを得なかったばかりか、弾圧側に回った人もいたのね。wiki/遠藤周作の『沈黙』のモデル
キリスト教の浸透を防ごうとする防衛側(弾圧側)の立場からは、宣教師を棄教させて広告塔にするというのは、これ以上ない材料だったろう。

この名簿を見ると、フェレイラ、キアラはじめ何人かの棄教者があったことがわかる。
キリシタン時代のイエズス会員名簿(五野井隆史著、『日本キリシタン史の研究』吉川弘文館、2002年より抜粋)
放逐されたという人もけっこう沢山いたようだな。

全く関係ないが、磯崎先生のブログから、「ビックリハウス」の傑作を思い出した:壁に耳ありクロ-ドチアリ
Tokyo Rinkai Kosoku Tetsudo Rinkai Line

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« きみは古病理学を知っていたか | トップ | 9月で東海村JCO臨界事故から1... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書-2008」カテゴリの最新記事