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智詠 セカンドアルバム『トレス・オリヘネス』曲紹介

 

11月8日に発売になったCD『トレス・オリヘネス〜3つの始点』さっそく多くのご注文いただきありがとうございます。最初の発送作業も無事終わりほっとしています。収録曲の中からいくつかピックアップして「CDとは別の(あるいは元となった)バージョンの参考動画」も合わせてご紹介します。

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(その1)

今回のCDには自作3曲、ラストに収録されている「たどり着く先は… (Con destino a...)」はアルゼンチンサンバの形式で書きました。2006年、まだYouTubeが高画質になる前、アルゼンチンサンバがどういう踊りなのか伝わる動画が見つからない私の両親が業を煮やして(?)自分たちでFlashのアニメーションを作成、曲を私が担当しました。当時使っていた譜面作成ソフト(Allegro2005)→DAWソフト(SONAR5)に出力、ギターで初めて弾いたのも自分で初めて打ち込みで作ったのもアルゼンチンサンバというのが我ながらシブいですが、観ていただけたら幸いです。

ちなみに原曲のタイトルは「Destino(運命)」ピアノの音でエルマノス・アバロス風味になっていますが、CDではギターで別のイントロをつけています。

サンバのアニメはこちら
(flashがとうとう最後までiOSに対応しなかったのでMP4に変換されています)

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(その2)

続いて、CDに収録した12曲のうち6曲は完全ギターソロ、ソロの曲に関しては基本的にパンチイン(専門用語/1部分だけ差し替え)もしていません。ギター歴30年にしてはソロライブの経験が極端に少ないということは、それだけ多くの共演機会に恵まれたことでもありますが、思い切って自分でソロをやることで、いつもお手伝いさせていただいている、ソリストとして活躍されている方の大変さ、すごさをあらためて知ることができました。

ソロの中の1曲は「天城越え」。20代のころ、伊豆在住のフルート奏者みつとみ俊郎さんのライブ(確か赤坂の「ノヴェンバー・イレブンス」)でご一緒する際に「"天城越え"をフラメンコ風にアレンジしてくれない?」と頼まれたのがきっかけです。

このアレンジはその後ケーナ奏者Renさんのコンサートでの定番となりCDにもレコーディング。今回はさらにギターソロ用に再アレンジして録音しました(このあたりのエピソードはCDに添えた各曲の紹介文でも書いています)。

ちなみにこの曲はいろいろなケーナ奏者、フラメンコギタリストに人気があり、同い年のギタリストにして指導者、作家、YouTuberとして活躍している池川寿一さんが譜面で出版されています。(というわけで録音の発表順としては私はむしろ後発です…)

『天城越え』(動画5:00あたり~)

演歌・歌謡メドレー:ケーナ奏者Ren Quena Player Ren

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(その3) 

そして、CDに収録したうち3曲はボーカル入り。特に最近、多くのライブでソロコーナーをいただいた際に歌っているのがアルゼンチンの曲「ラ・メサ(テーブル)」。作詞のフアン・カルロス・カラバハル家には2004年と2011年に滞在、「頑丈なテーブルが欲しい、子どもたちが冬の長い夜を過ごせるように、誰も仲間はずれのいない、休みの日にはテーブルクロスを広げて希望や悲しみを歌えるような、そんなテーブルを作ってほしい」そのラ・メサがありました。

2011年の頭に訪れた際にフアンカとは即席デュオ「ボランド・ラス・フロンテーラス」を結成してサンティアゴ・デル・エステロとコスキンで演奏、帰国後何か形にできたらと考えていましたが…日本に戻った12日後に東日本大震災、その後いろいろな出来事が重なっているうちにすっかり心の奥にしまいこんでいました。

初めて歌ってから30年近く、「ボランド・ラス・フロンテーラス(国境をなくしながら?)」から8年、レコーディングまでずいぶんかかりましたが、アルゼンチンのフアンカ宛にもCDを発送することができました。遅くなってすみません…届かなかったらデータで送ります。

(追記:無事届いたとお祝いメッセージもらいました!)

La mesa (Juan Carlos Carabajal - Peteco Carabajal)
「Borrando las fronteras」リハ音源より
(確か2011年1月 フアンカ家で録音)

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(おまけ)

今回のCDで1曲だけ、ギターを始める前から演奏していた曲があります。タイトルは「ジョランド・セ・フエ(泣きながら)」。南米ボリビアのグループ「ロス・カルカス」のリーダーのゴンサロ・エルモーサと、当代きってのソングメーカーだったウリセス・エルモーサ兄弟の作。カルカスの代表曲の1つでしたが、この曲がその後「ランバダ」として(カルカスの作としてではなく)世界的にヒットするとは…。

1985年にカルカスの来日公演をホール最前列で聴いたことが、こうして演奏活動をする決定的なきっかけになりました(両親のユニット「フーマ」に加わってアンデスの楽器を演奏するようになり、アルゼンチン音楽に出会いギターを始めるまでは「カルカス少年」として過ごしました)。

1987年のカルカス来日公演の際には、故・福岡稔さんと長唄三味線の杵屋栄敏郎さんのはからいでパーティーに呼んでいただき、ご本人の目の前で演奏してしまいました。今もその感触は忘れていません。前と横にカルカス、後ろに80年代としては巨大なテレビ、今見てもなかなかのシチュエーションです。

 

フーマ ffuma ”Lloranfo se fue”~”Leyenda del amor” ※限定公開

 

ちなみに「ジョランド・セ・フエ」は今年(2019年)2月に愛媛で開いた「シージャ・イ・メサ」リサイタルで、あえて「ランバダ」とメドレーで演奏しました。というのも「ランバダ」であのイントロと間奏を演奏していた楽器はバンドネオンで、弾いていたのは巨匠フアン・ホセ・モサリーニ。モサリーニさんにフランスで師事していたのが、そのリサイタルでご一緒したバンドネオン奏者早川純さんというのも、何かのご縁だと思っています。

 

CDの詳しい情報・ネットでのご注文はこちら

chiei.org

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