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旧国名について

爽やかという言葉は秋の季語ではあります。文字通り秋風が吹き渡り、真夏の酷暑が吹き払われるこの時期は、心身ともに爽快な気分になる季節でございます。

これまで、上総など律令制に基づいた旧国名に関する話題を取り上げて参りました。

平成の大合併でこの旧国名や郡名を市町村名に復活させる向きが結構ございますが、本来の国郡とは因果関係の無いところも、ちらほら。

例えば、佐渡島は全島1市に旧国名の佐渡市にとりまとめ。修善寺、土肥など4町がまとまって伊豆市。飛騨北部も宮川、上岡、古河の街と河合村がまとまって飛騨市に。

その他にも奥州市、下野市、若狭町、越前市、伯耆町、甲斐市などが誕生いたしました。

加賀市は昭和33年に6町4村が合併して成立しています。

元々の美濃町が合併して美濃市になったのですが、上有知町から美濃町に改名したのは、特産の美濃紙にちなむそうです。

同様に伊賀市は、合併した町村の中に伊賀町があったり、志摩市も志摩町が母体ではないにしろ、参加しております。

そんな訳で旧国名の由来やら、県名の由来やら、江戸時代から明治維新を経た地方の名称などに俄然興味が出て参りまして。たまたま数年前に購入した八幡和郎氏の歴史新書「日本史が面白くなる「地名」の秘密」を引っ張り出して、再読し更に新説なども調べてみました。

律令に基づく国の数は最終的に823年に加賀が越前から独立(?)して、68か国となり明治まで千年間以上も馴染んで参りました。

旧帝国海軍の戦艦の名称は「長門」「陸奥」「武蔵」「伊勢」「大和」など、こちらから採用されており、合衆国海軍の戦艦は州名に因んでおりますので、まあいわばStaitsの訳を州にしたのは、多分に下記に示すように、国の呼び方に由来致します。

海上自衛隊では「いずも」「かが」など大型の護衛艦に最近採用されています。

馴染んでいると申しても、江戸時代までの呼び方は一文字に州を付けて呼ぶのが一般的で、例えば長門は長州、三河は参州。変わったところでは上野(こうずけ)は上州で、下野(しもつけ)は野州。元々は上毛野(かみつけの)下毛野(しもつけの)に分かれた毛野国です。

上総、下総は双方ともに総州で、読み方は相模の相州と同じく(そうしゅう)。

下の文字を読んだのは、上総、下総以外にも安芸の芸州、出雲の雲州、近江の江州、和泉の泉州など。

雍州と呼んだのは山城でこれは唐の都、長安付近を含む地域の名称から来ております。

従って江戸時代には近江商人とは言わず、江州商人と呼ぶのが時代考証的には正解ですし、宮本武蔵は作州(美作)浪人と名乗っている筈。

NHKの時代劇のセリフでは多分、そう云うのでしょう・・・。

少なくとも木枯らし紋次郎は「上州新田郡三日月村」と生国を言っておりました。

由来につきましては、確実という訳ではありませんが、総については麻に由来するというのは、以前上総の由来で説明の通りでございます。

判りやすいのは三河で、三河湾にそそぐ三つの河(東から豊川、矢作川、尾張との境の境川)に起源が。吉備(分割して備前、備中、備後、美作)は作物の黍から、阿波はこれも穀物の粟からきていうようですし、讃岐は真麦(さむぎ)が語源とのことであり、現在の讃岐うどんや、うどん県は、小麦文化の先祖返りの趣があるのかもしれません。

志摩は多島海の島々そのものですし、都に近い淡水湖が近江(おうみ)で遠いのが遠江(とおとおみ)、現在の汽水湖である浜名湖も、昔は淡水湖であったようです。大和は山の近くであり山城は山の反対側に、相模は坂見に由来し、傾斜地を指すそうです。

ちょっと眉唾っぽいのが、武蔵。宮本武蔵、戦艦武蔵をイメージし、字面も良いのですが、語源はなんとむさくるしく草深いからきている? 飛騨に関しては全く不明だとも。律令制度では国と郡が地方行政区となっておりました。律令以前の国造、県主などの地方豪族分権から、中央から派遣される守(かみ:長官)、介(すけ:次官)、掾(じょう)、目(さかん)の地方官により、税の収集よりも徴兵を主眼に機能したようです。地方豪族は郡司として起用され、組み込まれていきます。

天智天皇(当時は中大兄皇子)の半島政策の失敗(百済の滅亡と新羅・唐との対立)により、半島からの撤退後大陸からの侵攻を極度に恐れた大和政権(天智帝)は近江京への遷都。さらに防人制度、西日本各地の築城などの顕著な政策の一環として、地方からの徴兵を国⇒郡という支配にて整備したわけです。

大陸からの脅威が薄れるとともに、これらの政策はコストが掛りすぎることから、地方行政は国守となる受領(階級)といわれる中級貴族に丸投げの制度に変化し、これら受領階級は国守になり地方民を骨の髄までしゃぶりつくし、蓄財に励むようになります。本ブログで今後伊勢物語関連で紹介の予定の高階氏なども、受領階級として蓄財し、紫式部の娘(藤原 賢子)を妻とした成章が欲の大弐(大宰大弐)として有名です。

受領制度と並行して制度化したのが、有力貴族や寺社に土地人民を仮託する荘園制度であります。

この双方を武力で支えたのが、いまでいうやくざや組織的な警備会社で、そこから発展したのが武士階級となり、次第に集散を繰り返し強力になって参ります。桓武平氏や清和源氏と呼ばれる連中は国守や介として赴任し、積極的にこれらの武士を糾合していき、次の時代に主役と

なった訳です。

 

鎌倉期、室町期を通じてこの律令制度は武家による守護と並立しています。守護はどちらかといえば、警察・司法という役割のみを果たしていたきらいがございます。

戦国時代に至り、戦国大名という完全な地方政権の独立を経て、豊臣秀吉による検地・刀狩の延長上で保守的な徳川幕府に至り、主要都市(大阪・京・堺・伊勢山田等)と幕府直轄領で全国の1/4(石高即ちコメの収穫量にて)、その他を大名領とした統治となる訳です。

この制度の下で、多分に名目的なものですが、律令国守が官として大名、旗本に与えられるようになりました。

 

ところで一般に幕藩体制といわれることがありますが、実は藩という組織は江戸時代には少なくともそういう呼び方はありません。

 

中学の歴史教科書で習ったことのおさらいです。

江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が慶応3年10月14日(1,867年11月9日)大政奉還。翌15日勅許される。10月24日に将軍職辞職。同年12月9日(1868年1月3日)に王政復古の大号令発布し、将軍職辞職を勅許し、幕府廃止する。

鳥羽伏見の戦いを経て、慶応4年4月11日(1868年5月3日)江戸城明渡にて、明治政府が実質的な主権者となる。

 

爾後旧幕府領は江戸、大坂、京等の主要都市を含めて、天皇領となり、徳川家は静岡に一大名として移封となり、同時に会津松平家も斗南に移封などの措置がとられ、天皇領は府県制が敷かれることになりました。これがいわゆる天領の始まり。幕府直轄領を天領と呼ぶことがありますが、これは間違い。明治になって天領になったわけで、江戸時代はあくまでも幕府すなわち将軍徳川家の封土であります。

 

明治2年版籍奉還が発布される。旧幕府領である天皇領に続いて、大名領についても土地、人民は天皇のモノであることを確認して、大名を知藩事として任命し、継続して統治させた。

 

明治4年7月廃藩置県。版籍奉還にて藩となった大名領を県と改め、中央政府が任命した県令に統治させ、3府(東京、京都、大坂)302県が成立した。

同年11月統合整理により3府72県まで減少。旧国を基礎に人口、面積でサイズを揃えた。

以降明治9年まで調整が行われ、独立、統合、琉球王国の沖縄県への移行などで47都道府県に整理され、明治21年に香川県が独立して、現在の47都道府県となりました。

 

この藩という言葉は元々中国で、辺境の王を藩王などとして、中華の皇帝の属国扱いをしていたものです。

日本では江戸5代将軍綱吉時代に幕閣で将軍を皇帝として、各大名を藩王とする旨の動きがあったようですが、さすがに天皇の存在があり一般化はしませんでした。

 

それが、幕末長州の所謂志士と称した、はぐれモノたちの間で、自らの所属を長藩というのが流行し、他の大名家の志士たちが真似をし始めました。このはぐれモノたちが明治政府を作り上げていく過程で、このはやり言葉を公な大名領の呼び方として(確かに簡単で便利な言葉ではあります)採用したのだと思います。

 

版籍奉還に際しては、それぞれの大名領の都市(城下)が藩名として採用されましたので、1国がそのまま藩である大藩でも、例えば長州は山口藩だし、鹿児島藩、和歌山藩はあっても長州藩、薩摩藩、紀州藩はありません。正式には尾州(尾張)には名古屋藩が2年だけ存在したことになります。

 

会津については、版籍奉還の前に松平家は斗南(青森県と北海道の一部)に移封されて、天領(天皇領)として若松県となっておりましたので、会津藩も若松藩も存在したことすらありません。

従って、時代小説などで普通に使われる尾張藩、尾州藩などというのは、俗称として明治以降に一般化したことになります。

 

さて、埼玉県(旧国名では武蔵の大部分)の県庁所在地である、さいたま市は大宮、浦和、与野の3市が合併してなったのですが、いずれも埼玉郡には所属していませんでした。岩槻市が合流してやっと埼玉郡が一部加入したような。

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