10日母の93歳の誕生日だったが、お天気も悪く11日に出かけてきた。天気が悪くても誕生日は祝えるが、私の目的は別にあり、昼食もそこそこに、もう何年も行きついてない場所へと山を下る。強い風は冷たく久しぶりに風の鳴く音を聞いた。下りる途中で向かいの山の暖かそうな日差しを撮影。シイの木ばかりが多く年中風景が変わらない面白くない山だと思う。
この辺りまでは、ユズ取りで何度も来る。いつからあるのか忘れたが、シュンランが今にも落ちそうになりながら育っている。
今年は3個つぼみがついているので、花のころまた見に来てみよう。まだまだこんな滑りそうな道を下りなければいけない。杖を持ってくることを忘れたので、滑らないように踏ん張りながら下りるのは疲れる。
↓この道は、みっちゃんがユズ畑に車で行けるように細い道を拡張した。
が、もう収穫が出来なくなり放置されたままになっている。
子どもの頃は、此処でもお米を作っていた。今年は特に厳しい寒さが続いているけど、ゆずの果実は落下することなく一見何事もないようになっているが、もう果汁は使えないだろうと、取ってみるとまだユズの香りはあるが果汁は少なくなっている。ゆず風呂ように少し貰って(断りなく・・)2晩続けてゆず風呂にした。
同じ場所を引き返すのも面白くないと思い、昔の道を思い出しながら谷川沿いを上に向いて歩く。水も少なくなった感じの谷川を覗いてみると、まだいるのか「モツゴ」の姿が見える。
↓このユズ畑も、収穫放棄してもう3年ぐらいになるだろうか、段々畑の中を歩いていると、羽毛が散乱していた。よく見たらまだそれほど日が経ってないような感じで、赤い肉が見えていた。誰に狙われ命を奪われたのだろうか。大きさや羽の色からすると、ヤマバトだろうか。生々しいので、靴(足)で裏返して撮影です(足でごめんなさい)
崩れて通れなくなった道を無理やりよじ登り、カンアオイの生えていた場所にたどり着く
米作りをしていたころは、石垣の草はきれいに抜いて、あぜ道は何度か草刈りをしていたので、母たちは毎日休む暇もなく大変だったろうと思う。今は石垣もわからないくらい、草木で覆われてしまった。人手が入っていたころは、カンアオイもゼンマイもいっぱい生えていたのに、ずいぶん減ってしまった。
ヤブツバキ、たった一輪落ちていました。昨日は朝起きると久しぶりの雪景色だった。母に電話をしてみると雪は全然降らないといっていた。
11日の散策は、結構ハードで翌日ふくらはぎが痛く今日はもっと痛くなったような気がする。ざれた急斜面を滑りこけても、誰も人はいないので困ると思い、木にしがみつき、滑らないように踏ん張ったので、腕も痛くなっている。まだまだ行きたいコースはあるが、もう少し暖かくなってからにしよう。
『あんたのケーキもあるよ』と残してくれてあったが、いらんわ93歳が食べなさいと残してきた。年にしては元気な母だけど、やっぱり弱っているようにも思った。
この辺りまでは、ユズ取りで何度も来る。いつからあるのか忘れたが、シュンランが今にも落ちそうになりながら育っている。
今年は3個つぼみがついているので、花のころまた見に来てみよう。まだまだこんな滑りそうな道を下りなければいけない。杖を持ってくることを忘れたので、滑らないように踏ん張りながら下りるのは疲れる。
↓この道は、みっちゃんがユズ畑に車で行けるように細い道を拡張した。
が、もう収穫が出来なくなり放置されたままになっている。
子どもの頃は、此処でもお米を作っていた。今年は特に厳しい寒さが続いているけど、ゆずの果実は落下することなく一見何事もないようになっているが、もう果汁は使えないだろうと、取ってみるとまだユズの香りはあるが果汁は少なくなっている。ゆず風呂ように少し貰って(断りなく・・)2晩続けてゆず風呂にした。
同じ場所を引き返すのも面白くないと思い、昔の道を思い出しながら谷川沿いを上に向いて歩く。水も少なくなった感じの谷川を覗いてみると、まだいるのか「モツゴ」の姿が見える。
↓このユズ畑も、収穫放棄してもう3年ぐらいになるだろうか、段々畑の中を歩いていると、羽毛が散乱していた。よく見たらまだそれほど日が経ってないような感じで、赤い肉が見えていた。誰に狙われ命を奪われたのだろうか。大きさや羽の色からすると、ヤマバトだろうか。生々しいので、靴(足)で裏返して撮影です(足でごめんなさい)
崩れて通れなくなった道を無理やりよじ登り、カンアオイの生えていた場所にたどり着く
米作りをしていたころは、石垣の草はきれいに抜いて、あぜ道は何度か草刈りをしていたので、母たちは毎日休む暇もなく大変だったろうと思う。今は石垣もわからないくらい、草木で覆われてしまった。人手が入っていたころは、カンアオイもゼンマイもいっぱい生えていたのに、ずいぶん減ってしまった。
ヤブツバキ、たった一輪落ちていました。昨日は朝起きると久しぶりの雪景色だった。母に電話をしてみると雪は全然降らないといっていた。
11日の散策は、結構ハードで翌日ふくらはぎが痛く今日はもっと痛くなったような気がする。ざれた急斜面を滑りこけても、誰も人はいないので困ると思い、木にしがみつき、滑らないように踏ん張ったので、腕も痛くなっている。まだまだ行きたいコースはあるが、もう少し暖かくなってからにしよう。
『あんたのケーキもあるよ』と残してくれてあったが、いらんわ93歳が食べなさいと残してきた。年にしては元気な母だけど、やっぱり弱っているようにも思った。
お近くに暮らしていて、いいですね。
ユズを収穫せずに放置しているのは人手不足ですか?
それとも低価格で収穫しないのでしょうか?
東京では1個150円はします。
もったいないと思って柚子の写真を見ています。
多摩NTの住人さんの、お母様も米寿を迎えられて、ペースメーカーの交換手術をされたとのことですが、お元気でもう一回の、交換が必要になるかもしれませんね。
シュンランも昔はあちこちにありましたが、草木に埋もれ、大株は少なくなりました。
ユズは、収穫して農協に出荷すれば、量は問われませんが、此処の畑の方も、歳とともに腰を痛めたりして、無理が利かなくなり、近くの畑の収穫だけでも、手いっぱいのようです。結構重労働で、誰でもできるという仕事ではないのです。
でも、勿体ないですよね。玉(果実)で売るのには、消毒などして綺麗に作らないといけないし、簡単ではないのです。
私の手伝いはほんの一部ですが、その一部がないとまた出来ないのですよね。
取って皆さんに分けてあげたいけど、その時間がないのです。
3月下旬には実家の母が97歳になりますが郷里のグループホームに入っています、内臓も悪くなく元気そうですが、車いすの生活です、少し記憶力が劣りますが姉弟たちが見舞いに行くとすぐ名前はわかるようで昔話に喜んでいるとか、ただ22年前に亡くなった自分の夫のことは写真ではわからないようです。私は親不孝でなかなか会いにも行けませんが元気でいてほしいです。
すたれ行く里山や人家など目にするのは忍びないものがありますね、落ち椿の真っ赤な色が目に飛び込んできました、かわいいですね。
パソコンというか、マウスの調子が悪く、うまくパソコン操作が出来なくなり、子どもに見て貰おうと思ったけんど、昨夜は時間がなくアウト。
今朝何とか機嫌取りながらですが、機械の弱いと、ちょっとしたことでも躓くのよねえ。
朝から愚痴ってすみません。
ohisamaさんの、お母様97歳になられるんですか、記憶もしっかりされているとのこと、嬉しいですね。ohisamaさんの手紙の話に、コメントしようと思いもって、時間はずんずん流れて行きます。
母も4年後はどうなっているか分かりませんが、今は私よりしっかりしているかもわかりません。
里山のそこかしこに人がいて、子どもの声がしていた、そんなころを知っていると、今の風景はさみしいです。
またゆっくりメールします。
元気で歳を重ねる理想像の生活を送られている事に敬意を遅らせて頂きます ♪
それも自分の田舎での生活が有っての事と思います。
時々子供の所に移った話も聞きますが、生活環境の違いで体調を壊した話も聞かれます。
風さんが頻繁に様子伺に出掛けていますので、丁度良い距離感なのかも知れませんね。
近所にお母さまと同じ93歳の男性が居ますが、元気で昨年は3m程の庭木に昇って剪定していました。
流石に危ないから下りた方が良いですよと声掛けましたけどね(笑)
takuさん所にも、書き込みたいと思うこと多々ですが、頭で考えゆう間に、もう次の記事になっちゅうし、いい加減スローな私が、マウスまでスローになってしもうた。自分のスローは許せるというか、棚に上げて、マウスのスローにはイライラ、勝手なものです。
そうです。自分の長く育った場所、どこもかしこも自分の権限が行きわたった?場所で暮らすのが一番です。私なんか実家でも昼間は、山の散策で飽きることはないですが、夜はパソコンもないし、母の生活に合わしていると、3日が限度やねえ。
もう高い所には、上がられんぜねえ。声掛けしてやって正解です。母にも言うてあります。
素敵なショットと解説から様子、雰囲気などが伝わってきました。
いろいろ見て楽しめました。
眺めて、心安らぎました。
ありがとうございました。
ブログ関係することが、ストレス解消につながり、いいものですね。
羽生選手、宇野選手の金銀を見てウルウルしています。
いつも、おいでくださり
ありがとうございます。
私が3歳の時亡くなりました。記憶は全くありません。その代りおばあちゃんがいて
おばあちゃんと一番上の姉に育ててもらいましたがその姉も60歳前に亡くなりました。
田舎のけしき、なつかしいですね。今はこんな景色を見ることもなくなりました。
久しぶりに記憶のない母を思いました。
三歳だと、記憶がないですねえ。お姉ちゃんも早く逝かれ、寂しいですね。
田舎も、山間のそこかしこに水田が広がり、生活を感じられたけど、今は人がいるのかしらと、思える山になってしまいました。
それに山の中で一人暮らし、素晴らしいことですね。
私も元気でいれば18年過ぎると同じ年に、なんだか考えさせられますね。
わたしの母は90歳でした。ゲートボールをしたり、編み物をしたり、いろんなことが思い出されます。先日も弟 妹が我が家に来ておしゃべりをし、なぜか母の話でした。
枯葉の中に真っ赤なやぶ椿 目立ちますね。
でもなぜかほっとしました。
こちらで柿の実がそのままなっているように、ゆずの取り残しもあるんですね。
都会の方が見たら、勿体ないわ!と言うでしょうね。
兄が同じ村内ですので、週2・3回上がって行って、頼まれたものを買って行ったり
私たちも行くとき、すぐ食べられるもの、保存できるものなど、母の好きそうなものを買っていきます。
野菜などは作っているので、毎日買い物をしなくても大丈夫ですよ。
お母さま90歳でしたか、今は90歳若いですねという感じですよね。
そうですね。柿は取り残しはあまりなく、有っても鳥や野生動物のご馳走になりますが、このユズはいくら熟れても、甘くはならず野生動物も見向きもしないので、いつまでも残っています。
枯れ葉の中の、赤いツバキ目を引きますよね。