以前、下記のブログの中で駒ヶ林の左義長祭りについて写真を添えて記事を書いた。
2018年6月の神戸市広報誌「KOBE」の長田区版「ながたを歩こう」の特集で
「思い出、さんぽ ”左義長祭り”」-駒ヶ林界隈-で昭和34年(1959)に行われた
「左義長祭り」の写真を中心に紹介されたこともあり、この記事を書くに至った。
神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その1 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その2 駒林神社
駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年以上もの
長い歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。この漁場争いは弘化2年(1845)以降、東と西の
夫々の派閥が左義長祭りで作ったお山を駒ヶ林港の砂浜の上でぶつけて倒しあうようになった
駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。
埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。
左義長祭りとは
Wikipediaより左義長祭りについてピックアップし纏めてみました。
左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方により「とんど(歳徳)焼き」、「どんと焼き」、「塞(さい)の神まつり」
などとも呼ばれる。
小正月(1月15日)に宮中、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)3本を結び、
その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事は
三毬杖(さぎちょう)と呼ばれこの行事が民間に広がったのが起源と言われる。
駒ヶ林公園には左義長祭りに関する説明版が掲示されておりそれを中心に写真紹介
していきます。駒ヶ林公園は神戸市長田区南駒栄町1番の住所で神戸市の西部下水処理場の
施設に離接する大きな公園です。公民館の「駒ヶ林会館」にも隣接しています。
夏の人気イベント「駒ヶ林ふれあいまつり」の会場でステージが利用されています。
昭和34年の左義長祭り
上の写真は昭和34年の左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
上の3枚の写真は昭和34年の左義長祭り(2018年6月神戸市広報誌KOBE 長田区版)
平成5年(1993)復活の左義長祭り
上の写真は平成5年(1993)に行われたアーバン・リゾートフェアの中で
久々に復活された左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
明治43年以前の左義長
上の写真は明治43年以前の野田村左義長(駒ヶ林公園の説明板)
お山は幸吉兆と呼ばれるもので幸を呼ぶ神を表現しています。
左義長の制作絵図
上の写真は左義長の制作絵図で高さは13間半(約25m)(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林神社の左義長掛け軸
上の写真は駒ヶ林神社の左義長掛け軸(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林神社の「木版左義長神札」
上の写真は駒ヶ林神社の「木版左義長神札」(駒ヶ林公園の説明板)
学校での左義長祭り
上の2枚の写真は学校での左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
左義長祭の絵画
上の写真は左義長祭の絵画(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林公園と西部下水処理場
上の写真は駒ヶ林公園の遠景
上の写真は神戸市の西部下水処理場を中心とした航空写真
工事中の北系水処理施設は完成後の姿。下の方に駒ヶ林公園も写っています。
上の写真は駒ヶ林公園に掲示の駒ヶ林の左義長の歴史と題した説明板の全体
最後に他の地域のとんど焼きの例として明日香村稲渕地区の幸吉兆のお山の
写真を添付しておきます。 撮影:2017-1-9
2018年6月の神戸市広報誌「KOBE」の長田区版「ながたを歩こう」の特集で
「思い出、さんぽ ”左義長祭り”」-駒ヶ林界隈-で昭和34年(1959)に行われた
「左義長祭り」の写真を中心に紹介されたこともあり、この記事を書くに至った。
神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その1 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑
神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その2 駒林神社
駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年以上もの
長い歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。この漁場争いは弘化2年(1845)以降、東と西の
夫々の派閥が左義長祭りで作ったお山を駒ヶ林港の砂浜の上でぶつけて倒しあうようになった
駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。
埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。
左義長祭りとは
Wikipediaより左義長祭りについてピックアップし纏めてみました。
左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方により「とんど(歳徳)焼き」、「どんと焼き」、「塞(さい)の神まつり」
などとも呼ばれる。
小正月(1月15日)に宮中、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)3本を結び、
その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事は
三毬杖(さぎちょう)と呼ばれこの行事が民間に広がったのが起源と言われる。
駒ヶ林公園には左義長祭りに関する説明版が掲示されておりそれを中心に写真紹介
していきます。駒ヶ林公園は神戸市長田区南駒栄町1番の住所で神戸市の西部下水処理場の
施設に離接する大きな公園です。公民館の「駒ヶ林会館」にも隣接しています。
夏の人気イベント「駒ヶ林ふれあいまつり」の会場でステージが利用されています。
昭和34年の左義長祭り
上の写真は昭和34年の左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
上の3枚の写真は昭和34年の左義長祭り(2018年6月神戸市広報誌KOBE 長田区版)
平成5年(1993)復活の左義長祭り
上の写真は平成5年(1993)に行われたアーバン・リゾートフェアの中で
久々に復活された左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
明治43年以前の左義長
上の写真は明治43年以前の野田村左義長(駒ヶ林公園の説明板)
お山は幸吉兆と呼ばれるもので幸を呼ぶ神を表現しています。
左義長の制作絵図
上の写真は左義長の制作絵図で高さは13間半(約25m)(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林神社の左義長掛け軸
上の写真は駒ヶ林神社の左義長掛け軸(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林神社の「木版左義長神札」
上の写真は駒ヶ林神社の「木版左義長神札」(駒ヶ林公園の説明板)
学校での左義長祭り
上の2枚の写真は学校での左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)
左義長祭の絵画
上の写真は左義長祭の絵画(駒ヶ林公園の説明板)
駒ヶ林公園と西部下水処理場
上の写真は駒ヶ林公園の遠景
上の写真は神戸市の西部下水処理場を中心とした航空写真
工事中の北系水処理施設は完成後の姿。下の方に駒ヶ林公園も写っています。
上の写真は駒ヶ林公園に掲示の駒ヶ林の左義長の歴史と題した説明板の全体
最後に他の地域のとんど焼きの例として明日香村稲渕地区の幸吉兆のお山の
写真を添付しておきます。 撮影:2017-1-9
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