一昨日(2018-9-22)、神戸市埋蔵文化財センターで行われた講演会で敦盛塚(五輪塔)が
昭和60年度(1985)に発掘調査が行われていることを知った。
(昭和60年度神戸市埋蔵文化財年報Page91-98で報告されています)
上記の昭和60年度神戸市埋蔵文化財年報より発掘調査内容について概要を纏めてみました。
上の写真は発掘調査前の敦盛塚の姿です。
最下段の地輪の下半分は地中に埋もれている状態であったようです。
多分、阪神大水害のような大水害による土砂の流入又は地震によるものと思われます。
上の3枚の写真は発掘調査中の地輪と台座の状況です。
上の写真は地輪と台座の平面図及び断面図で同時に埋土の状況です。
埋土は上層より淡黒灰色砂礫土、黄茶褐色砂礫土、黄青灰色粘質土、灰褐色砂礫土、
暗灰色粘質土で、地山は茶褐色砂礫土である。
黄青灰色粘質土、灰褐色砂礫土からは寛永通宝や江戸時代の茶碗や皿などの磁器が出土。
上の写真は地輪と台座の詳細な出土状況が記載されています。
五輪塔の石と石の間からは寛永通宝371枚の他、元豊通宝、聖宋通宝、太平通宝などの宋銭の
模擬銭や「奉納西国三拾三所巡礼」と書かれた木札が約30枚出てきた。
上の2枚の写真は水輪上面の遺物出土状況と木札
遺物はすべて江戸時代以降のものである。
木札の墨書で判読出来た年号には享保十六亥年(1731)、宝暦六丙子歳(1756)正月吉日
が確認されています。
考察及びまとめ
五輪塔(敦盛塚)の建造時期
上の写真は寛政年間(1789-1801)摂津名所図会で敦盛塚が記載されていることから
この時期には確実に存在していることが判る。
須磨寺に残されている当山歴代記の慶長元年(1596)の項に「敦盛石塔中浜まで参り候。
前田安済興行にて、寺中として一日に本所へ取り上げ候」とある。
文禄5年(1596)丙申閏7月12日の地震で須磨寺の本堂他が倒壊し敦盛塚も倒壊し移動
したが1日で修復されたことが判ります。
上記により1596年には既に敦盛塚が建立されていたことが判る。
敦盛が有名になるのは須磨寺の古い記録当山歴代の中に大永6年(1526)2月の条に
「10日間にわたり敦盛の御影や青葉の笛さらに須磨寺の御本尊の御開帳が実施」
上記イベントで多くのひとが須磨寺を訪問し人々に感動を与えたことに始まる。
敦盛塚は教育委員会の説明書きでは鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、
弘安年間(1278~1288)に造立した説を紹介されているが五輪塔の形式から
室町時代後期とされていることから造粒年代はもう少しのちのことと思います。
しかし、少なくとも1526年には敦盛塚は出来ていたものと推定しています。
五輪塔の下の台座と縁石
五輪塔の下に台座や縁石が発掘調査の結果、確認された。宝篋印塔の下に台座や縁石が
ある例は多いが五輪塔での台座や縁石を持つ例は極めて少ない。
ここで神戸市教育委員会の説明板より説明書きを以下に引用する。
神戸市指定有形文化財 敦盛塚五輪塔
○総高:397cm
○製作年代:室町時代末期~桃山時代
○指定年月日:平成9年10月23日
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては
石清水(いわしみず)八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で第2位の規模を誇る。
法量は総高397cm、2石から成る地輪(ちりん)は幅126cm、高さ98.5cm、
水輪(すいりん)は、最大径130.4cm、高さ99cmで下部がすぼまり、火輪(かりん)
は軒幅126.4×119cm、高さ75.8cm(上部に径30cm、深さ20cmの柄穴
(ほぞあな))、風(ふう)、空輪(くうりん)は一石彫成で、風輪の径73cm、
高さ56cm、空輪最大径69cm、高さ72.9cm、各輪四方にそれぞれ五輪塔四門の
梵字(ぼんじ)を薬研(やげん)彫りに配している。紀年銘はなく、梵字が大きいことや
水輪火輪の様式にやや古調がみられるが、風、空輪は明らかに近世塔やの先駆的様式を
示していることから、室町時代末期から桃山時代にかけての製作と思われる。
この付近は源平一の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、
当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を
建立したという伝承から、"敦盛塚"と呼ばれるようになった。このほか、鎌倉幕府の執権
北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に造立したなどの
諸説がある。
昭和60年(1985)4月に、神戸市教育委員会が周辺整備のための発掘調査を行った
ところ、下半分が埋没した地輪の下に、四角に囲った板石とその中に2枚の石から成る
基壇遺構があることが分かった。このため、基壇の上部を地表に現し、地輪部以上を完全に
露出するように積み直した。
平成11年3月 神戸市教育委員会
Five storied stupa Atsumorizuka
Five storied stupa is a tombstone consist of five different parts.
From the bottom ,the scquare part symbolises earth, the circular part,
wind and the flaming shape part, air.
In buddhism it indicates five elements which exist in the material world.
This stupa is made of granite with 3.97m height.
It is the second largest scale,that of next to Iwashimizu-Hachimangu
(in Kyoto)in medieval period(16th century)by the type of dyone stupa.
This area is well known as the battlefield of Ichinotani between Gengi
clan and Heike clan in 12th century.
It is said this stupa was dedicated to TAIRANO Atsumori,young knight of
Heike who was killed by KUMAGAI Naozane in 1184 at age 16.
March 1999 Kobe City Board of Education
さらに詳細は下記のブログで記載しています。
敦盛塚 on 2018-3-28
また五輪塔の周囲に刻まれている梵字については下記のブログに掲載しています。
第829回 敦盛忌 in 敦盛塚 on 2014-3-8
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