CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸市電1103号の広島市からの返還 on 2013-3-28

2022年03月03日 04時14分11秒 | 神戸情報

コロナの第6波は中々終息せずまん延防止等重点措置が3月6日から延長されるとのこと

まだまだ外出などを控える日が続きそうです

一方、神戸では春を告げる風物詩「いかなご漁」が3月1日に解禁され垂水の商店街で、

いかのごのくぎ煮」を作る時の匂いを嗅ぐことができました。

3月3日の桃の節句の話題、梅の開花など例年と変わらない明るい話題も多くあります。

2014年6月13日、ノエビアスタジアムに隣接する御崎公園に展示されている神戸市電

1103号車の写真(下に添付。撮影は2014-6-11)を撮り下のブログ記事としました。

 神戸市電 1103号車の展示 in 御崎公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

2022年2月26日(土)、神戸市埋蔵文化財センターの企画展「神戸・うつりかわる町

とくらし2」で神戸市電1103号が広島市から神戸市御崎公園に返還する際の写真展示が

ありましたので紹介します。

上の写真は上述展示の説明パネル

広島市へ神戸市電の29両が譲渡されました。

神戸市電1103号は御崎公園で展示

神戸市電1155号は東灘区の小寄(こより)公園で展示

 関連サイト:【神戸市】小寄公園の神戸市電1155号の修復が完了 | 鉄道ホビダス (hobidas.com)

神戸市電705号と808号は神戸市須磨区の名谷車両基地に保管

 関連ブログ:交通フェスティバル 2017 in 名谷車両基地 on 2017-9-24 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の3枚の写真は広島から神戸に運搬された神戸市電1103号

運搬日は平成15年(2003)X月X日 

上の写真は神戸御崎公園の展示場にクレーンでおろされる神戸市電1103号

上の写真は里帰り披露式典 平成15年(2003)3月28日の様子


上の写真は説明板です。

説明をそのまま引用紹介します。

「この市電は、昭和29年(1954年)、神戸市交通局長田車両工場製の車両としては
最後の車両として誕生しました。
速度・乗り心地を重点に車両の近代化を図った防振防音電車で当時としては
画期的な性能を誇り、皆様に愛され親しまれてまいりました。
昭和46年(1971)市電の廃止後は、広島市の広島電鉄(株)に移譲され行先表示器
など一部改造をうけて平成14年(2002年)まで活躍していましたが老朽化
による廃車を機に旧神戸市電 和田運輸事務所のありました当地へ里帰りしました」

神戸市電の歴史

神戸市電の歴史については下記のブログで纏めています。

 神戸市電の歴史 ~市営交通100周年懐かしの写真パネル展より~ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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神戸ゆかりの有名人 その5 瀬戸カトリーヌさん

2022年03月02日 04時46分49秒 | 神戸情報

本日は神戸ゆかりの有名人シリーズの第5回で俳優・タレントの「瀬戸カトリーヌさん」

をテーマに書いていきます。

瀬戸カトリーヌさん(45歳)はパリで生まれ3歳(1979)の時に来日、当初は母親の

実家高松市で生活していたが早期に父親の仕事(パン職人)の関係で神戸市に転居した。

父親は神戸市須磨区月見山の商店街で「カトリーヌ」というパン屋を開業。

「カトリーヌ」は阪神淡路大震災で店は全壊し、元町商店街に移転したそうです。

看板は、「フランス人が作るパンとケーキの店カトリーヌ」。2003年2月閉店。

こちらの店の写真(2003-2-23撮影)は kobeportさんが紹介されています。(下記ブログ)

 神戸ゆかりの有名人 瀬戸カトリーヌさん : 神戸トピックス (exblog.jp)

瀬戸カトリーヌさんは12歳から19歳まで神戸で暮らしておられます。

両親は現在も神戸に住んでおられます。

 

シリーズ過去の記事

第1回 滝川クリステルさん

第2回 プロゴルファー古市忠夫さん

第3回 政井マヤさん

第4回 佐川満男さん

 

これから使用する写真は2014年2月-3月NHK Eテレ「趣味 Do樂 KOBEで極める世界のパン」

からのものです。瀬戸カトリーヌさんが神戸在住のパンづくりの専門家から指導を受けながら

パンを作っていくという番組です。

上の2枚の写真はハーバーランドにて

上の写真は父親のポドラー・ジャン・ミッシェルさん(右)と母親の安田密子さん(左)

真ん中が瀬戸カトリーヌさん。本名は奥浦高乃。愛称はカトちゃん、たかの。

子供のころからパン(バゲットなど)を食べて育ったそうです。

母親は元吉本新喜劇の女優だったそうです。

Wikipediaより芸能界入りまでの経緯について引用紹介します。

神戸常盤女子高等学校に在学中、宝塚とOSKの入団試験を受け、1993年にOSKの団員養成学校である日本歌劇学校に合格し入学。同期に朝香櫻子がいる。ちなみに芸名は、自身のファーストネームと母が四国出身だったので瀬戸内海にちなんでつけたとのこと。

2年後の1995年3月の初舞台に向けて諸芸の稽古に努めていたが、一家全員が阪神・淡路大震災被災。全員一命を取り留めるも実家のパン店は全壊。人手及び経済的にも最小限で切り盛りしていたこともあり家業の再建を目指すべく、OSK初舞台の初日付をもって舞台に立つことなく退団。このエピソードは女性週刊誌でも紹介され多くの読者から浅からぬ同情や声援を集めた。またこの体験から震災関連の講演会・シンポジウムにも多数出演している。

退団当初は家族とパン屋再建のために奮闘していたが、日本歌劇学校時代からのダンスの才能と関西弁の陽気な喋りの才能がマナセプロに着目され、家族を神戸に残しひとり上京しデビューする。1997年より芸能活動を開始、翌年から本格的に活動を開始する。その喋りぶりや物怖じしない言動を生かしテレビではリポーターなどバラエティ番組を中心に活動する一方で、舞台でも得意のダンスを生かしミュージカル・軽演劇ジャンルをメインに芸能活動を続ける。役者の仕事のオファーがなかなか来なかったときに三谷幸喜から声を掛けられ、以後三谷の作演出の演劇に出演することがある。その後母の吉本再デビューなどもあり、父一人でパン屋を切り盛りしていたが現在は店をたたみ、関西のさる料理・製菓の専門学校に講師として招かれ後進世代の指導を行っていることを明かした。

神戸はパンの購入量と支出額で日本一を誇っています。

上の写真は第1回(2014年2月4日放送)で神戸・北野のフランス料理、松島の近くの

サ・マーシュ(Ca marche)で店主の西川功晃さんから説明を受ける瀬戸カトリーヌさん

サ・マーシュには3回ほどお邪魔したことがあります。

こちらでは購入したパンをテラス席で食べられます。

サ・マーシュの基本情報

住所:神戸市中央区山本通3丁目1−3 TEL:078-763-1111

営業日:木曜日〜日曜日  営業時間:10:00〜18:00

オープン:2010年

最後に瀬戸カトリーヌさんの現在の所属事務所のノックアウトと彼女のオフィシャルブログ

にリンクして筆を置きます。

瀬戸カトリーヌ│芸能プロダクション ノックアウト (knockoutinc.net)

瀬戸カトリーヌ|せとかとりーぬ(タレント・女優) official ブログ by ダイヤモンドブログ (diamondblog.jp)

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ブロンコビリー ステーションパーク小束山店でのランチ on 2022-2-28

2022年03月01日 09時47分36秒 | 神戸情報

2022年2月28日、ブロンコビリー ステーションパーク小束山店でランチを頂きました
ので写真紹介します。久しぶりの訪問です。
2018年10月11日にオープンしたハンバーグやステーキのお店です。

ブロンコビリー ステーションパーク小束山店の基本情報

住所:神戸市垂水区小束山本町3-1-2  TEL:078-742-7729
営業時間:11:00~23:00   定休日:なし(無休)
開店日:2018-10-11
英文表記:BRONCOBILLY STATION PARK


公式サイト:http://www.bronco.co.jp/

所在地のGoo地図は下記ブログに掲載しています。

 ブロンコビリー ステーションパーク小束山店でのランチ on 2018-10-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

当日注文したのは180g極み炭焼きブロンコビリー ハンバーグ 1,210円(税込)です。
サラダバー+大かまどごはん+ランチスープがついています。
今回は奥様も私も上記の同じものを注文しています。

セットドリンクバー198円(税込)も注文しました。

メインのハンバーグが来るまでにサラダを取りにいきます。店の方が御飯とスープを

運んでくれました。

敷紙にはサラダバーの説明が書かれています(上の写真)

次にメインのハンバーグが来てお店の方がカットしてくれます。

鉄板からハンバーグの焼き汁が飛び散ります。飛び散る汁をガードするのに紙ナプキンで

を使用してガードした。これらに気を取られメインの料理の写真を撮れませんでした。

そこで代わりに2018年10月18日に撮ったものを添付しておきます。(下の写真)

次にサラダバーの果物とドリンクバーで取ってきたものの写真を添付します。(下の2枚の写真)

 

上の2枚の写真は店の前に掲示のPR看板です。

上の写真はお店の外観です。

ブロンコビリーは1978年の創業。ステーキやハンバーグは工場で加工したものを、
その日のうちに店舗へチルド配送、サラダバーに使用する野菜も、市場から店舗へ
毎日配送され新鮮さが売りです。

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播磨町散策記 on 2021-11-25 その13(最終回) 無量壽院

2022年03月01日 05時04分07秒 | 神戸市以外の兵庫県

2021年11月25日、播磨町を散策してきました。東本荘の庄屋であった梅谷家の4代目当主

梅谷七右衛門清政(1683-1762)の足跡を辿るというのが今回のメインテーマでありました。

本日はその第13回(最終回無量壽院を写真紹介します。

これまで12回にわたり巡ってきた場所の写真を紹介してきました。本日はその最終回で

梅谷七右衛門清政が妻の死を悼んで建立した「三界萬霊地蔵尊」をはじめ清政所縁の

無量寿院を紹介してこのシリーズを閉めたいと思います。

無量寿院の表記は正しくは無量壽院が正式名だと思いますがここからは簡易的にこちらを

採用して書いていきます。

参照資料

 1)「歩いてみよう播磨町の歴史」を編集する会・編『播磨町の歴史』(2005)

 2)現地説明板

 3)令和3年度 播磨町郷土資料館 特別展「梅谷七右衛門清政と播磨町の先覚者たち」

過去の記事

 第1回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その1 播磨小学校のクスノキ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その2 新聞の父濱田彦蔵の碑 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第3回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その3 金泉寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第4回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その4 魚介類供養塔 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第5回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その5 妙智山 少林寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第6回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その6 阿閇神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第7回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その7 清澄稲荷神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第8回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その8 蓮花寺 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第9回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その9 大歳神社 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第10回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その10 上の池 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第11回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その11 お好み焼き夢工房でのランチ - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第12回 播磨町散策記 on 2021-11-25 その12 野添大西の塞の神 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

無量寿院の基本情報

住所:兵庫県加古郡播磨町西野添3丁目8−16 TEL:078-942-3866

宗派:高野山真言宗 山号:光明遍照山 

御本尊:無量壽如来(阿弥陀仏)7世紀中頃、高羅の仏工の稽主勲の作

開基:弘法大師(空海 774~835) 

再興:覚鑁(かくばん)上人(興教大師)

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

現地説明板

 

本堂を中心とした境内

上の写真は本堂の遠景

 

上の写真は大門から観た無量寿院の遠景

 

無量寿院は真言密教道場で播磨国に末寺53ヶ寺を持つ中本山でした。

明治期の廃仏毀釈の試練により末寺の吸収や寺院合併を経て現在に至っています。

通称、野添の大寺と呼ばれ親しまれています。高禅寺と呼称する場合もある。

 

上の写真は明治8年(1875)頃の無量寿院の伽藍配置 出典:2)現地説明版より

真言宗の寺ということで大師堂、護摩堂、鬼堂、弁天堂などが特徴的

上の写真は大寺の明治初期までの寺領 出典:2)現地説明版より

 

無量寿院境内の梅谷七右衛門清政関連遺構

 三界萬霊地蔵尊

 

上の写真は一番右の三界萬霊地蔵尊をはじめとする石造品

 

上の写真は三界萬霊地蔵尊のアップ

三界萬霊地蔵尊は寛保3年(1743)、梅谷七右衛門清政が60歳の秋、庄屋で魚問屋で財を

成していたものの普段から質素な生活を共にしてきた愛妻を失ったので信仰の篤い

清政は妻の霊を慰めるため、三界萬霊地蔵尊を無量寿院に寄進しました。

 

宝篋印塔

上の写真は梅谷七右衛門清政が寛延2年(1749)に奉納した宝篋印塔(一番右手)です

この年が寛延の大一揆が一夜にして終息を迎えた年月と一致するため、「魚介類供養塔」

と同様、両者の関連がいろいろと想像されています。

寺伝による阿弥陀如来及び寺の由緒

 この項は1)の『播磨町の歴史』Page64に説明がありますので引用紹介します。

 寺伝には本尊・無量壽如来(阿陀如来)は、第37代の孝徳天皇の時代(7世紀中頃)

 高麗の仏師が作ったと言われています。この尊像は、播磨国明石郡西島村(現在の

 明石市大久保町西島)の六郎右衛門の家に伝わっていたものである。その尊像が、

 岩光(いわみつ)へ行きたいとたびたび言ったので、六郎右衛門はついに尊像を

 背負って岩光村へ行った。現在の野添地区は「岩光」と呼ばれていた。

 ここは、弘仁年中(810824)に弘法大師が播磨国に同歴の時に立ち寄った所で、

 老松が茂り岩は苔むし、深林中に忽然と光明を放つ岩があり、この霊験によって、

 大師はここに草庵を造りました。これよりこの地を岩光といいました。大師が草庵を

 作ってからも長い間荒れていた。その後に覚鑁(かくばん)上人が、当地に来て、

 この不思議な話を聞き、康和5(1103)に梵宇(寺院)を修造し、光明遍照山無量壽院

 と言うようになりました。それ以後、寺は繁栄し、真言密教の道場となり、修業僧で

 にぎわったといいます。

 

本堂前の石燈籠

上の写真は本堂と本堂前です。 
 この石燈籠は、1)の『播磨町の歴史』Page52に説明がありますので引用紹介します。
 ・・・本堂前には石灯籠があります。寛文4(1664)の銘があり、播磨町でもっとも

 古い石灯籠である。石灯籠は仏堂や社祠に献灯するための器具で、照明用ではない。

 いずれも正しい規格をもち、下から基礎、竿、中台、火袋、笠、宝珠の各部で

 構成されてる。無量壽院の石灯籠は、竿が四角柱状になっているのが特徴です。

 古い石塔類の部を再利用したのかもしれません。

 

弘法大師の石像

本堂の西側(左側)には石造りの弘法大師像があります。(上の2枚の写真)

石像の下部には下の写真のような文章が刻まれています。

 

手水舎

新四国八十八ケ所霊場めぐり

上の3枚の写真は境内の四国八十八ヶ寺めぐり

 無量寿院の墓地の中に八十八ヶ寺を模した88の仏があります。

 無量寿院のこれらの八十八ヶ寺の仏をめぐると、四国八十八ヵ寺を巡るのと同じ功徳が

 あるとされています。
 
 

  中世の版木5
Img
 

上の写真は野添の大寺の縁起を刻んだ版木

上の写真は版木の訳文 出典:1)の『播磨町の歴史』Page55

以下の文章は1)の『播磨町の歴史』Page54からの要約引用です。

江戸時代の歴史書である『播磨鑑(はりまかがみ)』(宝暦12年・1762年)によれば、

「無量壽院が建立されたのは、平安末期と言われ、光明遍照山高禅寺、真言宗、

寺領30石で無量壽院といい、高野山無量壽院の末寺である。また、本尊は、阿弥陀如来で、

境内5丁四方あり、竹やぶや木が繁茂していいました」と記しています。

この無量壽院には、播磨町の平安時代から中世を語る貴重なものがあります。

播磨町指定文化財の、版木『理趣経(りしゅきょう)』と『播州賀古郡野添村

光明遍照山無量壽院本尊略縁起』です。版木とは、木版用の刷り板のことで、この版木は、

文明19(1487)の銘の入った『理趣経』の4(8)と『本尊略縁起』1枚と合わせて5枚です。

5枚とも厚いサクラの一枚板に文字が彫り込まれています。

『理趣経』は、密教独特の経文で悟りの真実の知恵を説いたもので、『本尊略縁起』は、

無量壽院について、古代からその当時までの口碑や記録を要約したものが、それぞれ

彫刻されています。いずれも、中・近世の仏教史を知る上で貴重なものです。

この版木で刷られたものは、この寺で修行していた多くの僧侶に配布され、読経され、

また、野添の人びとやお参りに来た人びとに手渡されたことであろう。

 

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