記念すべき第1回目。
その中で、ちょっと「へぇ~」という声が上がったのは孟嘗君の故事。
戦国時代中後期、斉の国の公子・田嬰の息子で、斉の宰相にもなった人物で
なんと3000人もの触覚、いやいや「食客」を抱えていたことで有名。
この食客とは、まぁ「居候」や「用心棒」のことなのだが、
その多くは「フリーの国家経営コンサルタント」たち。
当時は弱肉強食。どの国も富国強兵のために人材を求めていたため、
自らのプランを持って、プレゼンを行って歩いていた連中だ。
さてさて、そんなある時、秦の国の王様から「挨拶に来いや」という誘い。
外交上、拒絶もできないんで
いやいやながら秦の国に入った孟嘗君だが、今度は帰国させてくれない。
困りはてたところ、そこに
「王様のお気に入りのお妃に頼んでみよう」という食客アドバイス。
さっそくお妃様へ使いを差し向けることに。
しかし、このお妃、難題を吹っかけてきた。
「アタシぃ、孟っちの持ってるぅ、狐白裘が欲しいなぁ、みたいな」
この狐白裘とは、狐の脇の柔らかい毛だけを使った、超高級コート。
確かに持ってはいたのだが、なんとそれ、先日秦の王様へ献上してしまっていたのだ。
こればっかりは学者やコンサルタントではどうにもできない。
しかし、そこに「オイラがやりやす」という1人の男。
こいつ、なんと「盗みの腕」を孟嘗君に売り込んで食客になっていた男であった。
しかも、この泥棒食客、うまうまと秦王の宝物庫から狐白裘を盗み出してきた。
すぐさまそれをお妃へ。喜んだお妃は、これまた上手に秦王をたぶらかして
孟嘗君を帰国させる命令を出させたのであった。
「それ急げ!」と出立する孟嘗君。しかし、新たな難関が待ち構えていた。
それはすなわち「函谷関」。秦の東を守る要衝である。
ここは、朝ニワトリが時を告げねば開かない。しかし、一行が到着したのはまだ夜。
「ここまでか!」と誰もが天を仰いだその時、
「ニワトリ、鳴かしゃーいいんすね」と軽~いタッチの1人の男。
この男、初代「江戸屋猫八」を自認する(せぇへんがな)、物まね名人。
(孟嘗君がコイツとどこで知り合ったのか謎である)
コイツが夜空に向かって「コケコッコー」とひと鳴きすれば、
その声に「え? もう朝?!」と驚いたニワトリたちも、続いてコケコケと鳴き始める。
ニワトリが鳴いたからには、関所を空けるのが秦の決まり。
こうして孟嘗君は安全に斉の国へとたどり着いたのであった。
この逸話、当時の権力者層が自身のブレーン集団を持っていたこと
そして、かなりの熱意で人材を集めていたことを示している。
ちなみにこのなかの、函谷関を越えるくだり、
実は、日本でも広く知られ、和歌にまで詠まれていた。
その和歌を詠んだのは平安時代を彩る才女、清少納言である。
付き合っていた大納言・藤原行成が「物忌みしなきゃ」といっていそいそ帰った翌日、
「昨夜はニワトリの声に急かされて帰って来てしまいました」と言いつくろったのだが、
(確実にほかのオンナがいた)
その時に清少納言が返した和歌が
「夜をこめて、鳥の空音にはかるとも、よにあふ坂の関はゆるさじ」
(夜空のニワトリが騙せるのは函谷関ぐらい。トリ男の分際でアタシと騙そうったって、そうはいかないわよ)
というキッツイ内容だった。
まぁ、才女を前にして
ダブルブッキング組む男がバカといえるだろう。
というわけで、この回の歴史的中国語。
「鶏鳴狗盗 ji1 ming2 gou3 dao4」
「くだらない才能を持つことのたとえ」なのだが、立派に役に立ってんじゃん。
胸を張っていいと思うぞ、「ドロンボー」に「猫八っつぁん」!!
その中で、ちょっと「へぇ~」という声が上がったのは孟嘗君の故事。
戦国時代中後期、斉の国の公子・田嬰の息子で、斉の宰相にもなった人物で
なんと3000人もの触覚、いやいや「食客」を抱えていたことで有名。
この食客とは、まぁ「居候」や「用心棒」のことなのだが、
その多くは「フリーの国家経営コンサルタント」たち。
当時は弱肉強食。どの国も富国強兵のために人材を求めていたため、
自らのプランを持って、プレゼンを行って歩いていた連中だ。
さてさて、そんなある時、秦の国の王様から「挨拶に来いや」という誘い。
外交上、拒絶もできないんで
いやいやながら秦の国に入った孟嘗君だが、今度は帰国させてくれない。
困りはてたところ、そこに
「王様のお気に入りのお妃に頼んでみよう」という食客アドバイス。
さっそくお妃様へ使いを差し向けることに。
しかし、このお妃、難題を吹っかけてきた。
「アタシぃ、孟っちの持ってるぅ、狐白裘が欲しいなぁ、みたいな」
この狐白裘とは、狐の脇の柔らかい毛だけを使った、超高級コート。
確かに持ってはいたのだが、なんとそれ、先日秦の王様へ献上してしまっていたのだ。
こればっかりは学者やコンサルタントではどうにもできない。
しかし、そこに「オイラがやりやす」という1人の男。
こいつ、なんと「盗みの腕」を孟嘗君に売り込んで食客になっていた男であった。
しかも、この泥棒食客、うまうまと秦王の宝物庫から狐白裘を盗み出してきた。
すぐさまそれをお妃へ。喜んだお妃は、これまた上手に秦王をたぶらかして
孟嘗君を帰国させる命令を出させたのであった。
「それ急げ!」と出立する孟嘗君。しかし、新たな難関が待ち構えていた。
それはすなわち「函谷関」。秦の東を守る要衝である。
ここは、朝ニワトリが時を告げねば開かない。しかし、一行が到着したのはまだ夜。
「ここまでか!」と誰もが天を仰いだその時、
「ニワトリ、鳴かしゃーいいんすね」と軽~いタッチの1人の男。
この男、初代「江戸屋猫八」を自認する(せぇへんがな)、物まね名人。
(孟嘗君がコイツとどこで知り合ったのか謎である)
コイツが夜空に向かって「コケコッコー」とひと鳴きすれば、
その声に「え? もう朝?!」と驚いたニワトリたちも、続いてコケコケと鳴き始める。
ニワトリが鳴いたからには、関所を空けるのが秦の決まり。
こうして孟嘗君は安全に斉の国へとたどり着いたのであった。
この逸話、当時の権力者層が自身のブレーン集団を持っていたこと
そして、かなりの熱意で人材を集めていたことを示している。
ちなみにこのなかの、函谷関を越えるくだり、
実は、日本でも広く知られ、和歌にまで詠まれていた。
その和歌を詠んだのは平安時代を彩る才女、清少納言である。
付き合っていた大納言・藤原行成が「物忌みしなきゃ」といっていそいそ帰った翌日、
「昨夜はニワトリの声に急かされて帰って来てしまいました」と言いつくろったのだが、
(確実にほかのオンナがいた)
その時に清少納言が返した和歌が
「夜をこめて、鳥の空音にはかるとも、よにあふ坂の関はゆるさじ」
(夜空のニワトリが騙せるのは函谷関ぐらい。トリ男の分際でアタシと騙そうったって、そうはいかないわよ)
というキッツイ内容だった。
まぁ、才女を前にして
ダブルブッキング組む男がバカといえるだろう。
というわけで、この回の歴史的中国語。
「鶏鳴狗盗 ji1 ming2 gou3 dao4」
「くだらない才能を持つことのたとえ」なのだが、立派に役に立ってんじゃん。
胸を張っていいと思うぞ、「ドロンボー」に「猫八っつぁん」!!