第1回の講座では、非常にごちゃごちゃしながらも
原始時代~戦国時代当たりを簡単に説明した。
この時代、結構いろんな言葉が出てくるので
機会を見てはこのブログで紹介していこう。
さて、春秋時代は周王室の権力が衰えて
諸侯が覇権を奪い合った時代。
しかし、「周王室を守る」という概念、というか建前は生きていて、
「諸侯の代表として周王室をサポートする」という形式が取られていた。
その代表になるための条件とは、もちろん
「腕っ節の強さ」であるので、結局は戦争やって勝ち残った諸侯が
その役目に就いた。
代表的なのが斉の桓公や晋の文公(重耳)であるが、
このような役目についた諸侯を「覇者」と呼ぶ。
覇者になった者は、諸侯に会議を招集できる。
つまりは、「みんなオレの面子のために、仲良くするんだぞ」という会議で、
これを「弭兵の会」という。
この会議の最後には、生贄として牛をささげ、神様への宣言書を読み、
生贄の血をそれぞれすするのであるが、
血は「牛の耳から取る」と決まっており、血を取る行為を「牛耳を執る」といった。
そして、牛耳を執ることができるのは、
会議を主催する諸侯、すなわち覇者だけだったのである。
そう、組織何かを自分の好きなようにコントロールする意味で使う
「牛耳る」の語源である。
この言葉、あんまり意味は変わっていないように思う。
だって、覇者になった諸侯って、結局自分の好き放題にやるだけだから。
原始時代~戦国時代当たりを簡単に説明した。
この時代、結構いろんな言葉が出てくるので
機会を見てはこのブログで紹介していこう。
さて、春秋時代は周王室の権力が衰えて
諸侯が覇権を奪い合った時代。
しかし、「周王室を守る」という概念、というか建前は生きていて、
「諸侯の代表として周王室をサポートする」という形式が取られていた。
その代表になるための条件とは、もちろん
「腕っ節の強さ」であるので、結局は戦争やって勝ち残った諸侯が
その役目に就いた。
代表的なのが斉の桓公や晋の文公(重耳)であるが、
このような役目についた諸侯を「覇者」と呼ぶ。
覇者になった者は、諸侯に会議を招集できる。
つまりは、「みんなオレの面子のために、仲良くするんだぞ」という会議で、
これを「弭兵の会」という。
この会議の最後には、生贄として牛をささげ、神様への宣言書を読み、
生贄の血をそれぞれすするのであるが、
血は「牛の耳から取る」と決まっており、血を取る行為を「牛耳を執る」といった。
そして、牛耳を執ることができるのは、
会議を主催する諸侯、すなわち覇者だけだったのである。
そう、組織何かを自分の好きなようにコントロールする意味で使う
「牛耳る」の語源である。
この言葉、あんまり意味は変わっていないように思う。
だって、覇者になった諸侯って、結局自分の好き放題にやるだけだから。