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民話と衣装と・・・⑧

2015年07月01日 21時23分55秒 | 民話と衣装

民話って、伝わり方は早いみたいですね。
ペルシャの民話も結構ヨーロッパの民話や童話なんかの影響が入っていたりするようです。
又、発想も人種や文化の違いに関わりなく同じようなところがあるんですね。
それに比べると着るものは交流はするけれど、やっぱりその地域文化を保っていて、又ね人は交流するけれど、その民族なり、時代なりを楽しみたい、感じたい、と言う事で残っていくようです。
物語に関連付けた民族衣装というのも難しいので、少し中近東の衣装について載せたいと思います。
中近東といえば、砂漠と石油、そしてラクダ。
そうなると真っ先に出てくるのは、

でもこれは随分後の時代で、しかも砂漠の遊牧民族「ベドウィン」に代表される民族衣装。
そして、前にも書いたようにいわゆる隊商の人たちのイメージですね。
もっとも民話として出てくるのはやっぱり砂漠のシルクロードを行く隊商と共に広がっていったイメージなのでこのあたりという事になるのでしょうね。

でも、昔々・・・


チグリスユーフラテス流域に栄えたメソポタミア文明。
残っている衣装って、腰蓑というか、腰を覆う程度のもの。

しかしながら、見た目がふわっとしているところから、ウールのニットのような感じです。
このころの衣装というのは、体を守るためのものでも、隠すためのものでもなく、儀式もしくは格式的な利用の去り方であったようです。
ただ、ウールというのはメソポタミアではなく、エジプトの方から来たようですが。


右の写真はメソポタミアの兵士です。
武器は投石器、いわゆる懐かしのパチンコのようなもの。
やはり、衣装としては腰布だけですね。
ただ、頭は結構凝っているようで。
同時代の帽子をかぶっている像から見ても、結構頭には気を使っていて最初に載せた写真のベトヴィンでも被り物は必ずありますね。

これより後にはアフリカ北部にエジプト文明が始まります。
衣装的にはやはり儀式、格式を意味するものとして発展する意味では同じですが、内容的には少し違っています。
何れにしても冒頭のベドウィンの衣装とはだいぶ違います。
中東、というと僕らのイメージする衣装はやっぱりベドウィン的で、アラビア半島の人々の衣装なのです。
考えてみたら、古代の文明は、イベリア半島のローマ帝国、北アフリカのエジプト、アラビア半島のアラブ民族、そしてメソポタミア、ペルシャ(イラン高原)と大きく五つが前後複層して存在しているんですね。

 






といったところ・・・この画像は「世界の民族衣装文化図鑑」に載っています。



Cento Viale

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