【鈴木惠子先生「を」学ぶ】
今までの幾多もの出会いがわたしの人生を創ってきてくれましたが、25日の出会いは間違いなく、わたしの人生観の変革を起こしてくれたと確信しています。
小学館の白石さんが企画された、鈴木惠子先生のセミナーに参加しました。
人の生き方は、その人が纏う空気と表情でわかります。
毎日難しいこと考えている人は、額に皺が寄る。
毎日面白いことを探している人は、目尻に皺が寄る。
口角と頬は日常での発話数、口の動かし方や食事で変わってきます。
年齢を重ねるほど、生き方は空気と表情に出るのです。
鈴木先生の第一印象は、真っ直ぐな生き方をしている方。
伸びた背筋と柔らかい表情、初対面にもかかわらず自分を開きたくなる空気を纏った方でした。
でも、講座を受けてわかりました。
真っ直ぐな生き方どころではない。
どこまでも貫く方であり、厳しい方であり、恐ろしいほど言を成す方。
そして、人の心の痛みを人一倍感じ取れる方。
授業ビデオ。
詳細は語りませんが、約30年前に8ミリで撮られた映像から溢れる子どもたちの熱量に、頭を殴られるような衝撃を受けました。
鈴木先生の視線の先にあるのは、話し手でもねらいでもないのです。
「その子」が発した言葉を聞き手の子どもたちがどのように受け止めているか。
授業は「子どもがつくる」ことをとことん貫く姿がそこにありました。
そして、そのあとの講座。
わたし自身のことで恐縮ですが、今までとことん問いにこだわって授業をつくり、講座をつくってきました。
質の高い問いこそが、思考を深めて世界の見え方を変えると思っていたからです。
でも、授業ビデオを拝見したあとの講座では、今までにない体験をしました。
鈴木先生はわたしたちに、問いを投げかけることはほぼありませんでした。
先生の口から出てくるのは、6年生の1年間の子どもたちの事実だけ。
それなのに、聞けば聞くほどわたしの思考は深まり、記録するペンは全く止まりませんでした。
もちろん、逐語録ではありません。
わたしの思考が止まらないのです。
講座中に記録したノートは13ページ、そのあと書いたリフレクションは3ページ。
先生が語られた、授業や日常の中で子どもたち同士が心を紡ぐ姿はまさに、合科的な道徳教育でした。
さらに、その圧倒的な子どもの事実の中に出てくる鈴木先生と、エピソードに基づいた鈴木先生のお考え、そして質疑中の質問に答えてくださる鈴木先生。
全てにおいて見える、恐ろしいほどの一貫性。
これほどまでぶれない方がいるのだという衝撃に震えました。
わたしがこの講座で学んだのは、枝葉のスキルでも方法論でも学級づくりでもありません。
純粋に目の前の子どもたちの幸せを願い
子どもたちのもっている力の大きさに敬意を表し
そんな子どもたちのすべてを最大限に引き出そうとする
「鈴木惠子」先生という人、そのものでした。
もちろん今まで、そのときできる最大限をやってきたけれど、それでも自分の子どもたちへの向き合い方に対する問いは残りました。
わたしが今まで使っていた「覚悟」「理解」という言葉と、鈴木先生から見えた「覚悟」「理解」、その言葉の背景の厚みには、天と地ほどの違いがありました。
同時に
WBCで大谷選手が語った「憧れてしまったら超えられない」。
7つの習慣でコビ―が語る「全てのものは2度つくられる」。
これらの言葉を思い出しました。
鈴木惠子先生、そして同じ会場でお会いした、繋がりある素晴らしい先生方。
全ての出会い
同じ場で学びを深められたこと
心から感謝しております。
そして
わたしは必ず、あの日描いた子どもたちの姿を、自分の目の前の子どもたちの姿として実現させます。
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