「わー、たすけてぇー」
学校からの帰り道、神社の近くで聞き慣れた声が聞こえてギョッとした。
まちがいない。あの声はリュウだ。
ぐるりと辺りを見渡してみると、神社のとなりにあるザクロの木のてっぺんで、黒々としたでっかいカラスが、何かをねらって目を光らせているのが見えた。
その少し下の枝には、体操服を入れる巾着袋の黒い紐みたいなリュウが、今にも落っこちそうにだらりとぶら下がっている。
リュウがあぶない。
私はとっさにザクロの木までかけよると、
「こらっ! あっち行け!」
カラスに向かってブンと大きく腕をふった。
おどろいたカラスが飛び去る。
だけどおどろいたのはカラスだけではなかった。
「うわっ、あかん。落ちるー」
枝にからませていたリュウの尾がするりと抜けて、ちょうど通りかかった本田のランドセルにポトリと落ちた。
本田はいつも図鑑をわきに抱えて歩いている。ごにょごにょと独り言をつぶやいていたかと思えば、急に立ち止まって図鑑を広げたりする。今も図鑑を広げようと立ち止まったところだった。ランドセルに何かが落ちてきたのを感じたのだろう。本田は確かめるように静かに振り返った。リュウはすばやくランドセルにもぐりこんでいたので、パッと見ただけでは何も変わったところはなかったはずだ。
けど本田はランドセルを慎重に自分の胸側に抱え込むように持ち替えて、そろりそろりと神社の中に入って行く。
リュウはうまく本田のランドセルから逃げることができるだろうか。私は鳥居の柱に隠れるようにして様子をうかがうことにした。
本田はランドセルを揺らさないように気をつけているのか、上半身をなるべく動かさないでペタンと地面にすわりこむと、おもむろにランドセルをおろし、静かにそっとフタを開く。
リュウはまだまだ小さいとはいえヘビだ。本田のヤツ、きっとギャーって大声で叫んで逃げ出すにちがいない。そしたらリュウはランドセルからあっという間にシュルシュルと逃げ出すはずだ。
ところが本田は両手で口をおおって大きく息を吸い込み、小さな声でつぶやいた。
「わお! 信じられない! これは……これは……サイコーにワンダフルッ!」
肩をプルプルふるわせて、銀ブチのメガネの奥で大きな目をキラキラさせている。
マズい。ひじょうにマズいことになった。
こういう反応をするヤツは、まちがいなく虫でもなんでも持って帰って飼育したがる系男子だ。リュウもこのまんま持って帰るつもりだろう。そうなったら二度とリュウに会えなくなるかもしれない。それどころか人の言葉を話すヘビだなんてバレたら、どうなるのだろうか。想像するだけでもゾッとする。私はあわてて足を進めると、
「ねぇ、そのヘビどうする気? 神社の生き物持って帰ったりしたらバチがあたるよ」
そう言って本田の前にしゃがみ込んだ。
本田の顔が一気に青ざめて、まるでお化けにでも出会ったようなおびえた表情で私を見る。さっきまであんなにキラキラと目をかがやかせていたのに。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。何もしないからゆるしてください」
これでは、私が本田をいじめているみたいだ。
「ちょ、ちょっとぉ、やだなぁ。私、怒ってるんじゃないよ。そのヘビを逃がしてほしいだけ」
おびえて下を向いていた本田が顔を上げ、不思議そうに首をかしげて私の顔を見た。
「あのさ、えっと、そのヘビは特別だから、持って帰ったりしちゃダメなの。絶対に」
本田は自分に確認するように小さな声で、
「特別……確かに超レアなヘビだよな」
とつぶやいた。
今「レアなヘビ」って言った? まさかリュウが人の言葉を話すこと気づかれた? どうしよう。体中からドクドクと音が聞こえそうなくらいに緊張してきて、頭の中が真っ白になった。
「そ、そうだよ、超レアなヘビ。私の大事な友達なんだ。だからお願い。今すぐ逃がしてあげて。持って帰ったりしないで」
言ってからハッとした。あせってついポロリと言葉に出してしまった。
「大事な友達」ってところは聞こえてませんように。そう思っていたのに本田の目がまたキラキラとかがやいた。
「友達? ヘビと? ってことはきみと友達になれば、ぼくもこのヘビと友達になれるのかな?」
「は? え?」
本田はそんなことを言うようなキャラじゃないはず。二年生の時から二年続けて同じクラスだけど、教室で本を読んでいる姿しか見たことがない。まるで本以外は見えていないんじゃないかと思ってしまうくらいに。
それなのに本田はもう友達になったつもりでいるのか、わけがわからずぽかんとしている私のことなど、まるで気にもとめず、せきを切ったように話し始めた。
「あ、えっとね、ぼく、最初からこのヘビを連れて帰るつもりはなかったんだよ。このヘビはとても飼育がむずかしいからね。でももう少しじっくり観察させてくれない? このヘビ夜行性で土の中で生活してるから、なかなかお目にかかれないヘビでさ、ずっと見てみたいと思ってた、あこがれのヘビなんだ。タカチホヘビ。実際に見ることができるなんて夢みたいだ。ほら、光の加減で虹色にかがやくだろ? ほんっとに美しいよなぁ。きみもそう思うだろ?」
とりあえず、本田がリュウを持って帰る気はないことがわかって緊張がとけていく。どうやら人の言葉を話すこともバレてはいないようだ。
「タカチホヘビ? なにそれ? リュウ、やっぱヘビだよね」
私がぼそっとつぶやくと、ランドセルからリュウがひょこっと顔を出した。
「おいこら! ずっとおとなしゅうだまって話聞いとったら、みさっちまで何を言うてるねん。ワイがヘビやと? ワイはヘビやないでっ! 龍や! 龍の子やねん」
「え? ええええっ!」
本田が体をのけぞらせて、大きな目をさらに大きく見開いた。
「ヘビがしゃべった! なんてことだ! ワンダフルすぎる。さっきもたすけてって声がしたような気がしたけど、まさかそんなことないよなって思ってたんだ」
ああもう、リュウのバカっ。
私以外の人の前では絶対にしゃべっちゃダメだって言っておいたのに、なんで今しゃべっちゃうかな。
あともう少しでリュウ救出ミッションコンプリートだったのに。
私は「あちゃー……」と、おでこに手を当てて目を閉じた。
「ねぇ、聞いた? しゃべったよね? 聞き間違いじゃないよね?」
「だーかーらー、ワイは龍やで。龍言うたら神様や。しゃべれて当然やろ」
もうごまかしようがない。
「あーもうっ! そうだよ。リュウがしゃべったの。しゃべるのよ。ヘビだけどヘビじゃないんだもん。ねぇ、このことは、ぜーったいにヒミツにしてくれる? だれにも言っちゃダメ。おねがい。こんなことだれかに知られたら、リュウがどんな目にあうかわかんないじゃない」
本田は大きく見開かれた目をパチパチさせて言った。
「あたりまえだよ。これはぼくときみの二人だけのヒミツ。だってぼくたちは友達だもの」
もう完全にお友達認定されている。こうなったら仕方がない。リュウを守るためだから、とりあえず話を合わせておこう。
「そう! そうだよ。友達同士の約束ね」
本田は満足そうに、うんうんと大きくうなずくと、突然何かを思い出したようにハッとして、
「そうだアオバズク! 早く帰らなきゃ。今日は宮の森の大ケヤキにアオバズクを見に行くんだった。明日もここで会える? ぼくは三年一組、本田春樹。きみは?」
本田ってば、二年の時から同じクラスなのにいまさら名前聞く? クラスでは目立たないようにおとなしくしてるけどやっぱ傷つく。けどそんなことを悟られたくなくて、なんでもないそぶりで答えた。
「同じ三年一組、水野美咲。去年も同じクラスだったけどね」
「あ、そうなんだ。ごめんなさい。ぼく人の名前とか覚えられなくて」
「まぁ別に覚えてくれてなくてもいいけどさ。リュウと話をしたいなら、今日みたいな時間はダメ。人があまりいない早朝じゃなきゃ。朝五時にここに……」
私が話している途中なのに本田は、
「わかった! 朝の五時だね。じゃ明日」
そう言って、ランドセルを背負って走り出した。
「まったく。なんなのあれ。友達じゃないし」
私があきれていると、リュウがうれしそうに首をふりながら言った。
「そうか? なんかアイツとは気が合うような気がするけどな。みさっちとちがってワイのこと、尊敬の眼差しで見とったし。あいつきっとええヤツやで」
「冗談やめてよ。友達はリュウだけでいいんだから。それよりリュウ、ダメじゃん。こんな時間にのこのこ出てきたら。危ないって言ったでしょ」
リュウのヤツってば、私がどんなに心配したか全くわかってない。
「ごめんって。ワイ、みさっちにあの花をあげたかっただけやねん」
足元を見ると、ザクロの花が3つ落ちていた。わざわざ傷んでいないきれいな花を落としてくれたんだ。
「ありがと、リュウ。でももうこんな危ないことしないで」
私はザクロの花を拾い上げると、ポケットからハンカチを取り出して、ていねいに包んだ。
リュウと初めて会った時にも、ザクロの花を拾ったっけ。ふと去年のことを思い出す。
二年生になって新しいクラスにも慣れ始めた頃、突然ユキナに言われた。
「美咲ってさ、なんかウザいよね。みんなもそう思わない?」
ユキナは一年の時から目立つ子で、クラスでリーダー的存在だった。だから彼女の言葉にみんなが従う。それはまるで呪いの呪文みたいだ。私はその瞬間にクラスの輪からはじき飛ばされた。
なんでそんなことになったのか理由はさっぱりわからなかった。きらわれるような目立つことをした覚えはなかったし、誰かに意地悪なことを言ったり、した覚えもない。みんなと仲良くしよう。みんなに優しくしようと頑張ってきたつもりだ。かえってそれがいけなかったのだろうか。
クラス中の女子から無視されても、最初のうちは負けるもんかと強がっていたけど、一ヶ月も続くとさすがに心が折れそうになる。
学校からの帰り道、いつもは通り過ぎる神社が目について、なぜだかふつふつと怒りが込み上げてきた。
私は落ちていたザクロの花を拾うと、鳥居をくぐり賽銭箱の前に立った。
手に持っているタコさんウインナーみたいな花をポイっと賽銭箱に投げ入れる。
「ねぇ神様、私なにも悪いことしてないよね? 神様はいじわるなの? 聞こえてる? 聞こえてたら返事くらいしてよね。返事してくれないなら神様のこと信じないからねっ」
完全に八つ当たりだ。神様に文句を言っても仕方ない。わかってるけど、それでも言わずにはいられなかった。
すると投げ入れたザクロの花がポーンと賽銭箱から飛び出した。それから小さなヘビがひょっこり頭をのぞかせると、
「びっくりしたわー。文句なんか言われたん初めてや」
と、声に合わせてヘビの口がハクハクと動いた。
ヘビがしゃべった?
「神……様……?」
神社にいたからだろうか。目の前でこんなに不思議な出来事が起こっているというのに、あまりおどろくことはなかった。
「ワイまだ子どもやし、願いは叶えられへんけど、まぁ話くらいは聞けるで。一応これでも龍の子やし。あ、龍って神様なんやろ?」
小さなヘビは得意げに言った。
「そやけど賽銭箱に花を入れるのもびっくりしたわ」
ヘビは楽しそうにケラケラ笑った。
「お金、持ってないし、タコさんウインナーみたいでお供えみたいだし、ちょうどいいかなと思ったんだけどダメだった? ねぇそれより、ヘビさん名前は?」
「ワイ、ヘビちゃうし。龍の子やって。リュウって呼んでくれたらええわ」
私はこの時、神様っているんだなって思ったんだ。こんなかわいい友達と出会わせてくれたから。
今ポケットの中にしまったザクロの花が、リュウとの友達の印のように思えて心がほわっとあたたかくなる気がした。
リュウがいるこの神社には、手をすすぐところに立派な龍があって、リュウは生まれた時にそれを見たからなのか、自分は龍の子どもなのだと言いはっている。
ほんとかどうかは私にはわからない。龍なんているはずないってわかってるし、やっぱりヘビなんじゃないかなと思っている。あの神々しく虹色に光る体が龍の子を思わせていたけど、さっきの本田の話ではタカチホヘビの特徴みたいだ。
だけど、言葉を話すことができるわけだから、ヘビだとしても、やっぱりふつうのヘビではない。
ふつうじゃないものは、生きていくのがむずかしい。
人に見つかったら、きっと見せ物にされて一生閉じ込められて自由をうばわれる。
リュウは私の大事なほんとの友達。だから私はリュウのことを守るって決めているんだ。
「何回も言ってるけど、私以外の人の前ではしゃべっちゃダメ。それにむやみに外に出ちゃダメ。外は危険だらけなんだからね」
「はいはい。みさっちはほんま心配性やなぁ。ワイ疲れたからもう寝るわ」
リュウは大きく口を開けあくびをすると、シュルシュルと賽銭箱に入っていった。
賽銭箱は、お金を入れるすきまがわずかにあるだけで、中も見えないようになっている。リュウがかくれるのにちょうどいい。ときどきお賽銭のお金がふってくるから、当たらないように気をつけているらしいけど。
私はリュウの姿が見えなくなるのを確認すると、家に向かって歩き始めた。
朝の五時、少し前までこの時間は、まだうす暗かったのに、もうすっかり明るくなっている。外に出ると空気がちょうどいい温度で気持ちいい。
子どもが朝早起きして散歩をするというと、たいていの親は反対しないだろう。
「早起きは三文の徳」だとかなんだか言って、早起きすることをものすごくいいことだと思っているから。
神社に着くと、鳥居の前で本田が不安気に立っていた。私をみつけると、ホッとした顔をして、
「よかった。来てくれて。時間まちがえてないかなとか、別の日のことだったかなとか、いろいろ考えたら、不安になっちゃって」
そりゃ人の話ちゃんと最後まで聞かないからだよ。って、つっこみたくなる気持ちをおさえて「おはよう。早かったね」とだけ言って賽銭箱に向かう。
賽銭箱を軽くコンコンとたたくと、リュウがひょっこり顔をのぞかせた。
「おはよう。みさっち、ぽんちゃん」
本田は自分のことだとわからなかったのか、きょろきょろとあたりを見回した。
「ぽんちゃんって、本田、あんたのことだよ」
私が言うと、なっとくしたらしく「ああそうか。ぼくがぽんちゃんなのか」と小さくつぶやいてから、
「おはようございます。えっと、リュウさん? でいいのかな?」
「リュウでええで」
「あ、えっと、きみのこと、スケッチしてもいいですか?」
本田はリュックからスケッチブックと鉛筆を取り出しながら言った。
「え? ワイ、モデルなんか? カッコイイ感じで描いてや」
もうリュウの返事も聞いていない。鉛筆を持つ本田の手が、さらさらとスケッチブックの上をリズミカルに動いている。
真っ白な画面に、写真のようにリュウが写し出されていく。
「へーうまいじゃん。いつも絵を描いてるの?」
本田は何も答えずに、だまったまま手を動かしている。聞こえなかったのだろうか。しばらくすると
「できたっ! ありがとう!」
そう言って、本田はスケッチブックをリュックにしまい、私には目もくれずにさっさと帰ってしまった。
あっけにとられて、ぼうぜんとしていると、
「あいつ、なんかすごいな。ああいうのを天才っていうんか? めっちゃおもしろそうなヤツやん」
リュウが言った。
「ぜんぜん、おもしろくないっ! なにあれ? あれが友達にとるたいど? 信じられない。自分から友達だって言ってきたくせに」
私はむしょうにはらがたってきた。名前も覚えてもらえてなかったうえに、今日は無視。。
リュウがクククと笑う。
「ええんとちゃう。あいつは自分に正直に生きとるだけや。シンプルに自分のやりたいこと、思いついたままにやっとるだけ。他のことにまで気が回らんのやろ。そんなん怒るほどのことちゃうやん」
リュウだけは、なにがあっても私の味方だと思ってたのに。
「もういい。帰るっ。そうだリュウ、今日は昨日みたいなことしないでよ」
なんだか本田のせいで朝から最悪な気分だ。
私は家に帰ると朝ごはんを食べ、モヤモヤする気持ちをかかえたまま学校に行った。
学校では本田は、やっぱりあいかわらず本田だった。ひたすら本を読んでいる。きっともう周りのことは見えていない。一人の世界で生きているみたいに見える。
朝は無視されてカチンときたけど、よく考えたら本田は本田なのだ。友達だと思われているのだから仲良くおしゃべりできると、勝手に期待してしまっていただけなんだ。リュウが言ったとおりだ。はらをたてていることがバカバカしく思えてきた
明日の朝も本田は神社に来てくれるだろうか。スケッチが終わったから、もう来ないのだろうか。あんなにはらをたてていたのに、これで終わりかもしれないと思うと、ちょっぴりさびしい。そんなことをぼんやり考えていると、本田はパタンと読んでいた本を閉じ、私の方に向かってきた。
「明日の朝も行ってもいい?」
本田が耳元でささやく。
「え? ああ。もちろん」
私はホッとした。
六限目の授業が終わると何人かの女子が「バイバイ」と手を振って教室を出て行った。もう無視されることはなくなったけど、いまさらまたみんな仲良くって気にはなれない。クラスに友達なんかいなくたっていい。今は強がっているわけではなく本気でそう思っている。だって私は、かんたんに意味なく人を無視したりする、そんな呪いの呪文には巻き込まれたくはない。
だけど勝手に私を友達認定している本田のことは、気になってしまい、今日は一日中目がはなせなかった。本田が教室を出たら後ろからついて行こうと思っていたら、五年生の岩村くんがづかづかと教室に入ってきた。後ろから見たら先生と間違えそうなほど背が高くがっしりしていて、とても小学生には見えない。
本田の方に向かってきてる? どうしよう。なにかあったら先生を呼びに行かなきゃ。そう思っていたのに、本田は岩村くんを見るなりうれしそうに、
「ああ、岩村くん」
と言った。
「じいちゃんがさ、例のもの用意できたって」
「おおワンダフル! あとで取りに行きます」
「また出た。ワンダフル」
本田は楽しそうに岩村くんと教室を出て行った。
なんだ、よかった。てっきりいじめられるのかと思ってドキドキしたけど友達だったのか。ホッとしたのに、なんだか少し複雑な気持ちになった。
次の日の朝、本田は小さなタッパーを大事そうに持ってやってきた。
「おう、ぽんちゃんおはよう。それ、何持ってきたん? なんかええもんでもくれるんか」
リュウが聞くと本田は「はい、たぶんええもんです」そう言って、タッパーの中身を地面の上にぶちまけた。
「げっ」私は顔をしかめた。
「わおっ」リュウはモゾモゾと体をくねらせているそれにとびかかった。
「やだ、リュウってばこんなもの食べるの? まじで? やだ」
私がいやな顔をしていると、本田がうれしそうに笑った。
「やっぱりリュウの好物でしたね。よかった。タカチホヘビはミミズしか食べないので、リュウもミミズ食べるかなと思って。昨日岩村くんのおじいちゃんから分けてもらったんです」
「岩村くんのおじいちゃん?」
私が聞くと本田が答えてくれた。
「はい。彼のおじいちゃんは私の師匠で、ヘビとか爬虫類飼育のプロみたいな人なので。岩村くんは昆虫捕獲のプロみたいな感じですかね。二人にはすごくお世話になってます」
リュウとは一年くらいの付き合いになるけど、何を食べるのかなんて考えたこともなかった。いや考えたくなかったのかもしれない。今だってミミズを丸のみしているリュウなんか見たくないと思っている。
「いやー、ぽんちゃん、ほんまサイコーやわ。久しぶりにええの食べられたなぁ」
ミミズを飲みこみ終えたリュウが満足そうに言った。
「そんなに喜んでもらえると、ぼくもうれしいです」
ああ、なんだろう。この敗北感。本田はリュウが喜びそうなことをちゃんと知っているのだ。
「それから水野さん、名前覚えてなくて、一緒のクラスだったことも覚えてなくてごめんなさい。ぼく、何かに集中すると周りが見えなくなっちゃうんだよね。本を読める時間は学校にいる時くらいだから、いつも夢中で読んじゃって、気がついたらいつも授業も休み時間も終わってるし、それに覚えたいことが多すぎてクラスの子のことまで覚えてられないんだよね。それで水野さんの気持ちも考えずに一人で勝手に友達になったつもりになっちゃって、ほんとごめんなさい」
本田は本当に申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。
「え、いや、そんなあやまらなくてもいいよ。私のほうこそ……なんかごめん……で、これからはよろしく」
本田はなんであやまられるのかわからないって不思議そうな顔をしていたけど「そっか、これで友達になれたってことだよね」って一人で勝手に納得して「じゃあまた明日!」そう言って帰ってしまった。
本田のことをすっかり見直したけど、やっぱり本田は本田だった。
リュウがクククと楽しそうに笑う。
私もつられて笑っていた。
そんなこんなで、私と本田とリュウの朝の会は続けられた。
本田は学校ではほとんど誰とも話をしないから、人と関わったり話をするのが苦手なのかなと思っていた。
けど、全然そんなことなかった。むしろめちゃくちゃおしゃべりだ。生き物の話とか、本の話題になると、終わらないんじゃないかと思うくらいにずっとしゃべっている。私は知らないことばかりだから、聞いてるだけでとても楽しかった。リュウも日本の昔話とか面白がってよく聞いている。
学校で過ごす時間で見えてることなんて、ほんの一部でしかないんだなと思う。
本田の希望で神社内の自然観察をする時もある。何かを見つけるたびに、本田は「ワンダフル!」と声をあげる。
「なぁ、そのワンダフルってなんなん?」
私が聞こうかと迷っていたら、先にリュウがさらりと言った。
「ワンダフル、英語で素晴らしいって言葉です。ワンダーは驚きでフルは満たすって意味で、驚きでいっぱいって感じでしょうか。スージーがいつもぼくにワンダフルって言ってくれるから、なんかすごく気に入っちゃって。スージーはお母さんの友達です。大好きな人。もうアメリカに帰っちゃったけど。なんかワンダフルって言うだけで、ワクワクしちゃうんですよね。この世界は驚きでいっぱいで素晴らしいでしょ。そう思わない?」
本田の目に映る世界は、何もかもがキラキラと輝いていて、私とはまるで別の世界を見ているんじゃないだろうか。
「ワンダフル! ええ言葉やん。ワイも気に入ったで。みさっちワンダフル! ぽんちゃんワンダフル!」
ワンダフル……なんかちょっとはずかしくて、口に出しては言えなかったけど、心の中でつぶやいてみた。
あと一週間学校に行けば、夏休みが始まる。学校から解放される日が近いと思うと、心も軽くなる。いつものように朝の神社に行くと、いつも軽いノリのリュウがめずらしく深刻に考え込んでいた。
「なぁ、ワイ雨降らせること、できると思う?」
私と本田は顔を見合わせた。
「リュウは龍の子だし……できると思う……よね? 本田」
私は本田に同意を求めて目配せした。けど本田は、
「どうしてできるかどうか気にしてるんですか? なにか雨を降らせたい理由があるんですか?」
そうリュウにたずねた。
「ワイ、ずっと賽銭箱の中におるやろ。そしたらこんな小さな神社でもいろんな人が願い事していくねんな。たいがいは願い事は言葉に出さへんけど、言葉に出して願い事していく人もおる。ワイ龍の子でも神社の神様ちゃうし、なんもできへんけどな、目の前で手を合わせて願い事されたら、叶ったらええなって思うわけやん。なんかワイ頼られてるみたいで嬉しいわけよ」
「それで誰かの願いを叶えるために雨ですか?」
本田の問いにリュウが答える。
「ワイ、みさっちとぽんちゃん以外に、もう一人だけ話し友達がおるんよ。いつもこの辺りきれいに掃除してくれるおばあちゃんでな、掃除すんだら手合わせて願い事やなくて『毎日ご苦労さん』って言うてくれるんよ。そやから『いつもおおきにやで』って声に出してしもうたんや。そしたらおばあちゃん『ああ、なんと神様、ありがたや、ありがたや』って、すっかりワイのこと神社の神様やって信じたみたいで、毎日いろんな話をしていくようになってん。ワイもおばあちゃんの話聞くのちょっとした楽しみになってたんよ」
私が少しギョッとした顔をしたので、リュウがあわてて言った。
「わ、みさっち怒らんといてや。みさっちに会う前に知り合ってん。それに姿は見せてへんで。声だけや」
「怒ってないよ。ちょっとびっくりしただけ。そのおばあちゃんいい人みたいだし」
私の答えを聞いて安心したリュウが話を続けた。
「そやけどな、最近おばあちゃん口数少ななって元気ないねん。聞いてみたら、旦那さんが入院しててすっかり気落ちしてしもうて、ご飯もほとんど食べへんし、どんどんやせていくんが心配なんやって。何とかしたらなって思ったんやけど、ワイは病気を治したりはできへんやん。そしたらおばあちゃんがしみじみ言うたんや『あの人に虹見せてあげたいなぁ。いつも虹が出たらうれしそうに見てたし、ええことありそうな気がするって言ってたからねぇ』って。そんでワイ、ピンときたんや。虹って雨上がりに出るんやろ? それやったら、なんとかできるんちゃうかって。龍は雨降らすことできるって、ぽんちゃんが話してくれたの、思い出したんや」
ここまで話してリュウは、ハァーと大きくため息をついた。
「けどなぁ、ワイ龍の子言うてるけど、ほんまは自信ないねん」
「何言ってんのよ。リュウは龍の子。きっとできるよ」
リュウがあんまりにも弱気だから、つい言ってしまったけど、本当は私も自信がない。
「はい大丈夫です。きっと雨を降らせることができますよ。今日の夕方にしましょう」
本田が自信たっぷりに言う。私と違って迷いがない。
「夕方か? わかった。ぽんちゃんに言われたら、なんかワイできる気がしてきた」
「できると信じてしっかり祈ってください」
私と本田はリュウに「頑張って」とガッツポーズを見せて神社を出た。
「ねぇ、あんな自信たっぷりに言っちゃって大丈夫なの? もし雨が降らなかったらリュウ落ち込むんじゃないかな」
心配する私に本田がにっこりほほえんで言った。
「ぼく、毎朝雨雲レーダーをチェックするんです。今日は夕立がありますよ。そのあと虹が出るかまではわかりませんけど。それに今日がダメでも雨は降ります。降るまでリュウをはげまし続ければいいじゃないですか。それに神社の神様はきっとリュウの願いを聞いてくれます。だから大丈夫」
私は大きくうなずいた。
学校で授業が始まっても私は空ばかり気にしていた。まぶしすぎる夏の空。灰色の絵の具で塗りつぶしたい気分だ。
授業が終わって神社によると、
「今から雨を降らすんやから、ぬれんように早よ帰り」
と、リュウに追い返された。本田も神社にくるかと思ったけど姿を見せなかった。
家に帰るとベランダから空をながめる。
「雨雲こい、雨雲こい、雨雲こい……」
空がしだいに暗くなっていく。遠くでゴロゴロと雷の音も聞こえてきた。
「ほんとにきたっ! 雨雲。夕立だ」
空はみるみる真っ黒になり、ザーッとはげしく雨が降り出した。
私はホッと胸をなでおろす。雨が降る。それだけのことがこんなにもうれしいなんて初めてだ。
夕立はザッと一気に降って、逃げるように通り過ぎていく。
雨が上がったのを確認すると、私は玄関を飛び出し神社に向かってかけだした。
黒い雨雲はどんどん流れていき、空が明るくなってきた。
「どうか虹がかかりますように」
空を見上げて走る。空に七色をさがしながら走る。
神社に着くと、本田はビニールかさを広げたまま立っていた。くつがぐっしょりぬれている。
「あ、水野さん! 雨が止むのを待てなくて来ちゃいました」
本田がそう言って笑う。リュウは賽銭箱から頭だけをのぞかせて「よう!」と小さく頭をふった。
「虹、まだだよね」
夢中で走って来たから、ハァハァと息が上がる。
「あのあたりに出るはずです」
私は本田が指差す方向に虹をさがす。
けれど青い空が見えるだけだ。
あきらめきれない私は、空に向けて両手を合わせると、目を閉じて神様にお願いする。
「どうかどうか虹がかかりますように。小さくてもいいから。ほんの少しでもいいから。ぜいたくは言いません。お願いします」
心の中で唱えていると本田の声がした。
「あ! 虹だっ」
ぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開けてみると、空にはくっきりと大きな虹がかかっていた。
なんだか世界がキラキラと輝いて見える。虹がきれいに青い空を彩っているからだろうか。本田がいつも見ている世界に、ちょっぴり近づけたのかもしれない。
私たちは顔を見合わせると、せーのというようにうなずいた。
「ワンダフルッ!」
リュウと私と本田の声が重なった。