先回の写真にあった小謡集の一つ、ポケットサイズの品です。
『謡曲手帳』吉田書店、大正13年。
謡曲を嗜む人のために、実際的な事柄が書かれています。吉田書店は、能の流儀に関係なく、鼓の本などを出していた出版元です。この手帳にも、◯◯派向けとは書いてないですが、記述内容から考えると、観世流向けの品だと思われます。
素謡い(囃子などが入らず、謡うだけ)の場合の扇の扱い方。
謡う時の心得。
謡曲の基本的事柄。
舞台の作法。
さらに、30曲ばかりの小謡集が付いています。
おお、「高砂」が・・・
しかし、「高砂やー・・・・」の部分は、どこにも載っていません。
他の頁をくると、「婚礼式場略記聞」との項目があるではありませんか。
結婚式の進行と謡曲との関係が書かれています。
婚礼式場略記聞
昔は宮中公卿大妙小名町人等謂ゆる禁裏方及士農工商と各々その家の格式によりて自ら軽重あり。従って婚礼の儀式も様々になりてあり。各々流儀々々により、多少の差異ありしやに承る。近頃は宮中及華族を除きては、先左の二様を心得置けば足れりとす。即ち流名及六ケ敷儀式は略し、他日別に述る處あるべし。(諸礼敷一覧)など見給はばあきらかならむかし。
◯正式 ◯略式とす
正式の方図面 略式の方図面
而して此席上謡ふべきは左の三種とす。古来極りあるもの故、猥りに替へる事はなりがたし。能的注意すべし。
第一席 夫婦盃 高砂の四海波
第二席 親子対面 玉井の長き命
第三席 親族対面 俊成忠則の松の葉
総て祝言謡いは、盃終り、酌人悉く図面に記す一に復し、総立ちに起ち、床に向ひ歩み出したる時、
(四海波静かにて)と謡い出し、床の前へ行きつきし時(松こそめで度かりける)と謡ひ、元の座に向き直り歩み出したれば、(實にや)と謡ひ、源の座に戻り、正座し礼をなすと同時に、(君がの恵ぞありたき)と納むべし。
親子の対面の時は・・・・・
親族の時は・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
総じて婚礼の時は、可成聲を和に仕用し、朗々と謡ふべし。而して座敷の都合にて大なる座敷なれば、長永と息を仕用するをよしとす。詰りたるはわろしと知るべし。
『小謡集』には、どうして「高砂やー・・・」が載っていないか、その理由がわかりました。祝言のときに謡うべき『高砂』は、「四海波・・・」だったのです。
先のブログで、江戸の小謡集を紹介しました。やはり、「高砂や・・・」が載っている小謡集は少なかったです。いずれ、江戸時代の小謡集もふくめて、『高砂』の小謡いについてまとめたいと思います。
以前、何人かの能楽師の方に、結婚式の高砂について伺ったことがあります。いずれも、うかぬ顔をして、「どこにも目出度い言葉は出てこないし、あまり謡いたくないのだけど・・・」・・・仕事だから、依頼されれば仕方がないのでしょうね。本来は、「四海波静かにて・・・」なのですから。
『高砂』(高砂や・・・・)
高砂や。この浦舟に帆を上げて。この浦舟に 帆を上げて。
月もろともに出汐の。波の淡路の島影や。遠く鳴尾の沖過ぎて。
はやすみのえに着きにけり。はやすみのえに着きにけり。
『高砂』(四海波静かにて・・・・)
四海波静かにて。国も治まる時つ風。枝を鳴らさぬ御代なれや。あひに相生の松こそめでたかれ。げにや仰ぎても。事も疎かやかかる代に。住める民とて豊かなる。
君の恵みぞありがたき。君の恵みぞありがたき。
結婚式などで「高砂や・・・」を謡うのは、たいてい謡曲におぼえのある人です。でも実際、この謡いは、素人が謡うには難物なのです。謡曲は、歌と詞とが組み合わさってできています。そして、歌(旋律のある部分)には、柔吟(ヨワ吟)と剛吟(ツヨ吟)の二つがあります。柔吟の旋律は、普通の歌とかなり似ていますから、慣れれば調子よく謡うことができます。しかし、剛吟は謡い特有のもので、音の上がり下がりがほとんどありません。中音と下音の間を行き来するだけです。ですから、それぞれの言葉を、張りのある強い音(必ずしも大きくはない)で押して謡わないと、全く滑稽で惨めなものになってしまいます。実際には、非常に微妙な音の変化も伴うのですが、そのように謡えるようになるまでには、かなりの修練を要します。
同じ剛吟ながら、「四海波静かにて・・・」の方が、「高砂や・・・」より少しテンポが速いので、アラが目立ち難い。その点でも、もし私が謡うなら「四海波静・・」(^^;
それにしても、近代(多分、明治時代)に入って、結婚式で「高砂や・・」が定番になったのは、どうしてなのでしょうか。大きく帆をあげて、人生の船出をする二人にふさわしい、では説得力に乏しい(^.^)