先回の伊万里菊竹紋小皿を入手してからほどなくして、同じ店で、またもや、十六弁菊紋の皿をみつけました。
ちらっと見て、「なんだ印判皿か」とパスしかかりました。いかにも明治・大正~昭和初期にかけての印判小皿にありそうな図柄だったからです。
ところが、手にとって見れば、由緒正しき伊万里染付皿ではありませんか。あわててゲットした次第です(^^;
径 12.2㎝、高 2.5㎝、底径 7.7㎝。江戸中~後期。
これまで紹介した小皿と同様、縁にほつれが多くあり、金継ぎで補修しました。
裏の唐草紋の描き方もこれまでの小皿とほとんど同じです。
今回の目玉は、なんといっても、爆発する菊紋(^^;
禁裏御用品の十六弁菊花紋はほとんど3個で、全体は3回対称のデザインです。ところが、今回の品は6回対称のデザインです。描かれた菊は、実に18個!
伊万里菊々紋小皿ですね(^^;
その間を埋めているのは、竹でしょうか?
十六弁菊花紋の描き方は、外周円の内側に花弁の丸い部分を16個描き、そこから中心の小円へ向かって直線を32本引いています。この方法なら、手早く描けるのでしょう。そのかわり、中心付近の16弁配置が乱れています。
それに対して、先回の3個の菊花では、
逆に、中心の小円部から外へ向かって筆を走らせています。きっちりとした16弁花が描ける代わりに、時間がかかるのでしょう。
先回の小皿と比較してみました。
左の皿では、びっしりと描かれた竹紋で、3個の十六弁菊花は、大分存在感が薄れています。
一方、今回の小皿には、これでもかというくらい菊花紋が描かれています。もうこうなてくると十六弁菊花紋という感じがしません。地上から次々と放たれるバルーン?
アールデコデザインの走りですね(^^;
江戸モダンの小さな菊々紋皿(^.^)
もしこの小皿が宮中で使われていたとすれば、世界に冠たるハイセンスの禁裏といえるでしょう(^.^)
今回の品で禁裏御用品関係は最後です。
小さな菊々紋皿から、伊万里焼の多様性をあらためて認識した次第です。
【追記】2022.12.13
伊万里コレクターのDr.Kさんから、九州国立博物館で、御用品陶磁器の特集展示がなされている事をおしてていただきました。
そのポスターをみると、上左から二つ目の皿が、今回紹介した品にそっくりです。半信半疑であった今回の古伊万里菊々紋小皿ですが、確かに、江戸中期の禁裏御用品であることがわかりました。
さすが、よくぞ見逃しませんでした!
これらを持っていた所有者は、同一人物なのでしょうね。
「なんか、普通の伊万里とは違うな~、でも、菊の紋が入っているから、皇室と関わりがあるのかな~」と思って集めていたのでしょうね。
江戸期に、有田の禁裏御用窯を務めた辻家が、通常どのようなものを納めてていたのか分からなかったですものね。
これらの一群で、少し明らかになってきたように思います(^_^)
禁裏御用品のコレクターはいますが、御用品まがいを集める人は少ない。なかなかのモンだと思います。
どんな物でも確立してしまえば後は品質(値段)だけ。あれこれ試行錯誤の時代が一番可能性に満ちていますね。
ニッチの品々もただの凡品で終わらないかもしれないと、ポジティブにガラクタたちを見直してやりたいと思う今日この頃です(^.^)
そこに、この小皿とほとんど同じ文様の小皿18枚の写真が載っていました。
また、その小皿については、次のように解説してありました。
「有田 江戸時代(18世紀後半~19世紀前半) 高2.9cm 口径14.2cm 高台径8.8cm 山科有職研究所蔵
18枚揃いの菊御紋に竹節文を組み合わせた皿。このように20枚近い枚数が揃って伝来した禁裏御用品は珍しい。公家町遺跡から同じ意匠の碗・皿が出土している。天明の大火(1788)以降の製品と考えられる。」
なお、九州国立博物館のホームページの「展示案内」のポスターの中にも、この小皿18枚のうちの1枚が載っていますのでご覧ください(^-^*)
さっそく、九博のホームページを見ました。
おおこれ、これは確かに染付菊御紋竹節文皿ですね。
多分、今回の展示皿のなかでも古い手の物なのでしょう。これまで、御用品の記事で紹介されていたのは、綺麗な上手品(幕末ー明治)ばかりでしたので、私としては少し消化不良だったのです。これでスッキリしました。
ガラクタ拾いも、たまには当たるものですね(^.^)