よくわからない物シリーズ第4弾、今回の品は、鎌倉時代の壷として買った物です。
胴径(最大) 25.2㎝、口径 20.9㎝、底径 17.0㎝、高 35.6㎝。重 6.6㎏。
縦長の壷です。特にこれといった特徴はありません。平凡な姿形のためでしょうか、図録などに載っているのを見たことがありません。
底に現われている陶土は、砂けの多い常滑の土そのものです。
所々に石咬みがあります。
古い常滑焼といえば、肩がギュッと張った鎌倉時代の壷、特に不識壷が有名です。ソロバン型のこの壷は、いかにも質実剛健な鎌倉武士をおもわせ、人気があります。灰が降っていて、茶室に入るほどの小型壷となると、かなりの高額になります。
そんな訳ですから、何でも屋の遅生が手を出さないはずがありません(^^;
ところが、不識壷は江戸時代も、ずっと作られ続けていました。特に、江戸後期には、鎌倉物の精巧な写しが作られ、よほど精通した業者でないと見分けがつかないほどです。ましてや、素人のガラクタコレクター、見事に引っ掛かってしまいました(品物はもう手もとにはありません(^^;)
ということで、鎌倉の常滑壷がずっとトラウマになっていました。そこで、比較的最近入手したのが今回の壷でなのです。
うーーーーん、これが鎌倉? よくって室町後期か?
内部を覗くと、粘土紐で輪を積み上げて壷を作っていく時の跡が残っています。一気に積んでいくと自重で崩れるので、いくつか積んだ後、少し乾かします。そして、また輪積み成型を続けていきます(段継ぎ)。この時にの段差が幅広の帯状に残ります(下写真)。
段継ぎの痕跡は、外側にも表れます。下の写真の左端の形をみると、3段ほどの段継ぎになっていることがわかります。
おお、そこそこ古い造りの壷か、と気をよくして、上部を観察すると、歪みのある胴体に対して、首部はスッキリと整っています。
ひょっとして、別々に作った?
再度、内側を覗いてみると、
あっ、ありました。指で押さえた痕が。口部分を別に作っておいて、ここで接合したのですね(中国の胴継ぎと同じ)。
この技法は、鎌倉時代の瀬戸の瓶子でもみられます。
どうやら、時代は鎌倉として良いようです。そういう目でみると、この平凡な壷は、その形から、土師器末期の壷の延長線上にあるようにも見えてきました(^.^)
逆に、タコつぼが古い桐箱に入れてあれば、何十万円いや何百万するんだろうと思ってしまいます。
骨董品は観察力が無い人は手が出せません !
何でもお宝鑑定団でしたっけ? いいものに限って掛け軸など贋作が多いですよね。安いものでは手間暇かけても割りが合わないためでしょう。
ましてや素人、数えだしたらキリがありません(^^;
確かに悪意のある品は、値の張る有名品のコピーがほとんどですね。
今回のように地味な品は、大丈夫な場合が多いです。人間と一緒です(^.^)
ご紹介、ありがとうございました。
いろいろ情報交換できる、ブログでのコメント交流、いいものですね。
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第一印象では、「これ、土師器!」と思いました。
かなり、古い形態のものですよね。
また、釉薬というものを知らない時代のもの?とも思いました。
が、その実態は、品物を巡る泣き笑いにすぎません(^.^)
罪がない(どーでもいい)話しの連続ですが、何かの参考になれば(^.^)
でも、土から明らかに常滑ですね。近場ですから、この辺りには、常滑の壷がゴロゴロしています。時代を云々言わなければ、いくらでもあります。不思議な事に(当然ですが)、鎌倉時代の常滑も現代の品も、全く同じ土です。
それに、土師器はもう少し薄く軽いと思います。この壷は、6.6㎏もあります。
紐作りとはいえ、いかにも中部地方らしい鈍重さ(^^;
それにしても、あれだけ優れた須恵器の轆轤技術がプツッと切れてしまったことは、本当に不思議です。