よくわからないものシリーズ、第5弾。
今回の品は、江戸後期の陶芸家、大橋秋二作と言われる徳利です。
胴径(最大) 5.4㎝、口径 3.9㎝、底径 5.3㎝、高 12.6㎝。江戸時代後期。
【大橋秋二】寛政7(1795)年~安政4(1857)年。尾張国津島(現愛知県津島市)稲垣家の長男として生まれ、後に大橋家の養子となり医者となる。趣味で作陶を行い、多彩な作品を残す。晩年は、岐阜県養老の滝に窯を設け、養老土産として売り出した(養老焼)。
黄瀬戸の徳利です。薄造りで、落ち着いた黄瀬戸肌になっています。桜の花が表に二つ、裏に一つ、釘彫りされています。完成度の高い品です。
底には、流麗な筆致で、「秋二」「秋二造」とあります。
さすが趣味人の作、非常に雅味のある器です。
愛酒家ならずとも、一献傾けたくなりますね(^.^)
それほど有名な作家ではありませんが、中部地方では人気があり、秋二銘の陶磁器を時々みます。ところが、大橋秋二は風流人として気の向くままに作陶し、知人などに与えた物がほとんどで、残された品物はそれほど多くはないことがわかりました。
かつて、津島市で大橋秋二愛好家の所蔵品を展示する会がもたれました。その時、代表の人が鑑定をするというので、今回の徳利を見てもらいました。すると・・・・「これは、◯◯のものだがや」(名古屋弁丸出し(^^;)と一言(人名◯◯は忘れてしまいました(^^;)。◯◯は、秋二と同郷の人で、生前から秋二に憧れ、師事した人とのことでした。また、その出来栄えは、秋二に勝るとも劣らないものであったそうです。
うーん、なかなかにマニアックな世界ですね。
言い訳がましいですが、何にでも手を出してすぐに引っ掛かる遅生ならずとも、大橋秋二で通る品でしょう(^.^)
私は、江戸期以前には、陶芸作家というものは「楽」家だけと思っていました(><)
「秋二と同郷の人で、生前から秋二に憧れ、師事した人」が作ったということですが、そのような人が、師の名前を勝手に入れるのでしょうかね、、、?
今なら、無断で、弟子が師の名前を入れることはないように思うのですが、どうなんでしょうかね、、、?
本当に「よくわからないもの」ですね(^-^*)
尾張は、江戸後期、他にも作陶家が出たり、小さな窯がいくつか興ったりして、陶芸が盛んになりました。
実は、昔、学生の一人が秋二の末裔と知って、大変驚いたことがあります。
黄瀬戸(憧れの)なんですね、徳利に三足高台(?)というのも初めて見ました
しかも江戸後期の陶芸作家の作、実に興味の尽きない品ではないでしょうか。
でも、江戸以降の黄瀬戸にありがちなテカリが完全に抑えられていて、作者の並々ならぬ力量がわかります。
ほんと、丸いポッチリの三足は珍しいですね。
これも作者の遊び心でしょう(^.^)