このところ、在庫本の整理のようなブログが続きましたが、能楽資料も今回で40回目なので、資料らしい資料を探してみました。
明治44年4月23日、岐阜西別院で行われた演能写真(9.6x13.7㎝)3枚です。祖父の能楽関係の物の中にあった品です。
明治維新で消滅しかかった能は、その後奇跡的に息を吹き返し、明治後期には、かつてないほど能が盛んになり、地方でも大きな盛り上がりを見せました。この写真は、明治後期、岐阜市で盛大な観能会がもたれた時のものです。岐阜観世会催能で、演目は、『葵上』『船弁慶』『望月』です。
能 葵上:シテ 橋岡久太郎、シテツレ 吉住清三郎、ワキ 栗崎清之、ワキツレ 藤野健之助、笛 森四郎、小鼓 福井初太郎、大鼓 谷口喜三郎、太鼓 野崎光之丞
能 船弁慶 前後替:シテ 観世清久、シテツレ 磯野直一、ワキ 藤野健之助、ワキツレ 斎藤市之丞、ワキツレ 杉山愛三、笛 安藤花友、小鼓 青木恒治、大鼓 永田虎之助、太鼓 野崎光之丞、間1 田中清
能 望月:シテ 片山九郎三郎、シテツレ 伊東種三郎、シテツレ 磯野直一、ワキ 西村龍六、笛 藤田米次郎、小鼓 田鍋惣太郎、大鼓 谷口喜三郎、太鼓 鬼頭為太郎、間1 西池雪翁
自前の能楽堂がない岐阜でしたから、西本願寺の岐阜別院を会場にしたのでしょう。急ごしらえの能舞台には、鏡板のかわりに老松が描かれた屏風が置かれています。裸電球の下で、当代一流の能楽師による能を観ようと、満員の会場は熱気にあふれています。私の祖父もその中にいたようです。
岐阜近辺には今でも能楽堂が無いのですよ。戦国時代の中心地だったことを思えば、淋しいですね。
かなりの予算を必要としますから、なかなか建設までいかないです(^^;
熱意があれば、能楽堂がなくとも演じることが出来たのですね。
この写真を見て、当時の熱気が伝わってきました(^-^*)