携帯電話のカメラで風景をとるのが好きな人がたくさんいるけど
私もそのひとりのほうに入ると思う。
それほど積極的にとるわけではないのだけど
心の琴線に引っかかった時にパシャリと残すようにしている。
その一瞬を「いいな」と感じることのできる
自分自身に喜びを覚える。
さりげなく
なにげない
日常の一瞬を
美しいと
感じることのできる心。
お金では買うことのできない
貴重な人生の贈りものだと思う。
私のクライアントの方は
自分でものを創る方が多く
いつも敬服する気持ちで
お話をうかがっている。
今ここにはまだない
心の豊かさを
コツコツ時間を紡いで
実際に目に見える形にする喜び。
ラグジュアリーな時の宝石箱に
お住まいであるように
その方が、私にはうつるのだ。
私も、ものをつくるのは好きなほうだけど
どちらかというと「目に見えないもの」を追いかけるほうに
意識が傾くため、現実的な作業に対する根気が乏しい。
サイトをつくる、ブログをつくる、といったって
その内容が精神的な目に見えないことだから
長続きしているだけ。
編み物するとか子供のお弁当を可愛く作るとか、
アクセサリーをつくるとか、
そういう手先の器用な感じになるには
まだまだ修行がいりそうです。
そのわりにはオシャレとかカワイイものが好きだから
私のことを「物質主義では?」と思われる方もいるかもしれないけど
単に、自分の心のなかにあるキラキラ輝くものを
自分では作ることができないから、
「お買い求め遊ばせ♥」してしまうだけなのでした。
▼こんな風にラブリーなものを見つけるとトキメイテしまう。
私は、自分で自分のことを好きになるのに
かなり時間がかかりました。
「自分で自分のことが好きだという
実感を確かめるリトマス紙は何?」
と問われれば、
「自分で自分の文章が好きだと思えるかどうか」
とか
「自分で自分のとる写真が悪くないねと感じるかどうか」
と、私は答えます。
35歳のときに、やんごとなく
カウンセリングサロンのサイトを立ち上げたのはよかったけど
トラウマの数々のせいもあって
とにかく文章が気に入ったように書けないし
アップデートする写真も自分で気に入らないし
スイッチバックし続けながら前進しなければならない
自分の心の状態にほとほと苦労しました。
「ライターさんだったのに?」と質問されることもあるけど
他人の言葉を書くのは簡単なのです。
自分の中から言葉を見つける、というのは
生まれつき特殊な才能があるわけではないので
「自己愛」がモロモロに壊れていた人間にとっては
至難の業です。
自分の感性がまったく信用できない世界にいるからです。
(そんなんじゃ言葉を形にするなんて、不可能すぎます)
本当に「心の訓練」あるのみでした。
「自分の深みから湧き上がる真心の声」を信頼して
それをひとつずつ紡ぎあげる努力を
何年も重ねたおかげです。
ずっと「自己否定感」の塊だったから
「自分の世界観を全肯定できるようになるまで」
それはとても奇妙でエキサイティングな
まるで『アリスの不思議な物語』のような
心の旅を、くりかえしました。
45歳をすぎて一介の相談員として細々生活を繰り返し
名誉名声もなければ、支えてくれるパートナーもなく
自分の子孫も家庭もない。資産もなければ財産もない。
ない、ない、づくしなんだけど。
「自分の人間としての醜さや愚かさ」もひっくるめて
愛することしましたので
謙虚に自分が好きになりました。
「自己肯定感」は
今や、ご近所の虎ノ門ヒルズに負けないぐらい?!
天高く燃ゆる秋の空も、くやしがるぐらい?!
育ちました。
西行法師や
良寛様のような
老年の姿が
高校生のころから憧れでしたので😙
お金がもっとたくさんあったら
「高級マンションをお買い物したいな」など
俗人的な夢もあるけど
無理してまでは欲しいものでもないという
心のゆとりを楽しんで生きるのが
私は本当に大好き♥
手まりする私の周りで
一緒に楽しんでくださる方が
いくばくばかりか
おこしくださったら
それ以上に、ありがたいこともないと
喜びをいっそうかみしめます。
今度はそれは
「こころとこころの通い合い」
でもあり、これまたお金ではかえないもの。
こう考えてみると
この世はなんてたくさん
お金ではかえない
素敵なものにあふれているのでしょうか。
ともいえなくない。
日々目に飛び込んでくる
悲しいニュースも
人間のいち真実で
自分もいつそのような
運命をたどるかもわからないからこそ
日々、目の前にある等身大の
「あるもの」への感謝の気持ちを
深めて生きたいな、と
ますます思いを深めた
アジサイの咲くころなのでした。
最後まで御覧いただき
どうもありがとうございます😊
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