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フリオ・デ・カロ6重奏団

2017-12-11 11:57:13 | アルゼンチンタンゴ

12月11日は​カルロス・ガルデル​(1890年)、​フリオ・デ・カロ​(1899年)の誕生日です。これを記念してアルゼンチンでは、
12月11日が国民的記念日である “​タンゴの日​” となっています。
今日はこの日にちなんで少しだけフリオ・デ・カロ​について述べてみたいと思います。

まずは、彼の代表曲でもある『マーラ・フンタ』を

『マーラ・フンタ』 フリオ・デ・カロ6重奏団
”Mala Junta” Julio De Caro 【YOUTUBEより】


『マーラ・フンタ』はフリオ・デカロとペドロ・ラウレンスが共同で作曲し、フアン・M・ベリチが詩をつけてデ・カロ6重奏団が
1927年に初演したアルゼンチン・タンゴの古典曲です。笑い声や口笛などを取り入れバンドネオンの細かい音のソロが
際立つ名演です。
”Mala Junta”とは「悪い仲間」という意味で場末の下町情緒を醸し出した異色作でもあります。

フリオ・デ・カロは1899年にブエノスアイレスで生まれで、兄弟のエミリオ、フランシスコのと共にタンゴ草創期に活躍した
ヴァイオリニストで、エドアルド・アローラスやオスワルド・フレセドなどの楽団を経てファン・カルロス・コビアンの楽団に
入り、後にコビアンの楽団を引き継ぐ形で1922年にフリオ・デ・カロ六重奏団を立ち上げています。
彼の楽団にはデ・カロ三兄弟の他にペドロ・マフィア、ペドロ・ラウレンス、シリアコ・オルティスなどが在籍し、従来の曲に
大胆なアレンジを加えることによって一世を風靡しタンゴの世界に編曲という概念を定着させました。
これにより場末のダンス音楽であったタンゴにそれぞれの楽団が個性的なアレンジを施す演奏スタイルが流行していきます。
一つの楽譜をコピー演奏するのではなく、それをいかなる素材でいかなる味付けで提供するかがマエストロの腕の見せどころ、
そして聞かせどころになったわけです。
そういった意味で、デ・カロはタンゴ音楽の特性を確立させた功労者であるといわれています。

また、それぞれの楽団の演奏スタイルは『ラ・クンパルシータ』を聞けばよくわかるといわれています。
元は同じ楽譜なのですが、フィルポ、カナロ、ロムート、フレセド、ダリエンソ、ディサルリ、さらにはモレス、プグリエーセ、
トロイロなどそれぞれの編曲によってかなり違ったアレンジになっているのがお分かりいただけると思います。


『ラ・クンパルシータ』 フリオ・デ・カロ6重奏団
”La Cumparsita” Julio De Caro 【YOUTUBEより】


よくよく聞いてみますとこの演奏スタイルは後年のキンテート・レアルに受け継がれているのが分かります。
デカリシモがペドロ・ラウレンスを通じてオラシオ・サルガンへと繋がっているようです。

更には、デ・カロの楽団に身を置いたペドロ・マフィアの門下生であるオスヴァルド・プグリエーセも、呟くようなリズムによる
枯れた演奏を特徴としていて、これもデ・カロの展開だとも捉えることができます。
デ・カロの新しい演奏を目指すという姿勢は、プグリエーセ、トロイロを経てタンゴ表現の原点として脈々と次世代に
受け継がれています。
デ・カロのタンゴ草創期における功績が如何に多大であったかという証左でもあり、デ・カロの誕生日が “​タンゴの日​”と
されたことについても大いに頷けます。

  *****

今日“​タンゴの日​”はカルロス・ガルデルの誕生日でもありますので、彼の”La Cumparsita”を併せて聞くことにいたします。

『ラ・クンパルシータ』 カルロス・ガルデル
”La Cumparsita” Carlos Gardel 【YOUTUBEより】


  *****

追記

アストル・ピアソラが”Decarisimo”(デカリシモ)という曲を作ってフリオ・デ・カロに捧げたということで、一部ではピアソラは
デ・カロの後継者だと言われていますが私はそう思いません。
ピアソラの音楽はバンドネオンを奏でる単なる現代音楽の領域であって伝統あるアルゼンチン・タンゴではありません。
『ロコへのバラード』『チキリン・デ・バチン』などは楽曲としてはよくできているのですがこれでタンゴは踊れません。
タンゴはタンゴのリズムで踊れなければタンゴではないのです。


旅の友・ポップス編 (305) 『日曜はダメよ』

2017-12-10 12:29:48 | 旅の友・ポップス編

『日曜はダメよ』 メリナ・メルクーリ
”Ta Paidia Tou Peiraia” Melina Mercouri 【YOUTUBEより】


『日曜はダメよ』 ドン・コスタ楽団
”Never on Sunday” Don Costa and His Orchestra 【YOUTUBEより】


1960年制作、ジュールズ・ダッシン監督による同名のギリシャ映画の主題歌です。
映画はギリシャの港町を舞台にした人間謳歌で、娼婦ながらも陽気に生き生きと輝く主人公イリアの生命の躍動を
描いています。自由の制限で型に嵌った現代への批判は大いなるアメリカ批判なのかもしれません。
主題歌の”Ta Paidia Tou Peiraia”はマノス・ハジダキスの作詞・作曲によるものです。ハジダキスは戦争でトルコから
ギリシャに引き上げてきた移民たちの民謡「レベティカ」の影響を受けてこの曲を作ったといわれています。ブズーキを
使った軽快なトレモロによるこの曲は映画公開と同時に大ヒット、ビリー・タウンの英詩による”Never on Sunday”
も瞬く間に世界中に知れわたりました。
日本でも【今週のベストテン】においては、ドン・コスタ楽団の演奏で1961年1月の最終週に初登場し5月第2週まで
15週連続でベストテン入りを果たしています。(最高2位)

関連記事
2014-06-16 映画音楽史(156)『日曜はダメよ』1961年公開


この映画を監督したジュールズ・ダッシンは、『真昼の暴動』『裸の町』などでドキュメンタリー風なタッチで脚光を
浴びたものの、赤狩りの嵐によってヨーロッパに活躍の場を求めることになります。イギリスで一作撮った後に
1955年にフランスに渡ってフィルム・ノワールの『男の争い』を監督、30分にも及ぶ宝石泥棒のシーンをドキュメント
タッチで描写しその演出力が高く評価されました。続いて1957年にはこれまでのギャング物から一転してギリシャの
文豪ニコス・カザンツァキ原作の『宿命』を映画化、1959年にはコルシカ島の古い因習の「掟遊び」を題材にした
『掟』において息苦しいほどの濃い人間関係の対立を描き切りました。
その後ギリシャに渡ったダッシンはメリナ・メルクーリと出会って『日曜はダメよ』『死んでもいい』を監督しています。
ヨーロッパからアメリカに渡って失敗した映画監督は山ほどいますが、逆にジュールズ・ダッシンはアメリカから
ヨーロッパに渡って成功した数少ない監督でした。


旅の友・ポップス編 (304) 『ヴォラーレ』

2017-12-09 13:28:18 | 旅の友・ポップス編

『ヴォラーレ』 ドメニコ・モドゥーニョ
”Volare” Domenico Modugno 【YOUTUBEより】


1958年のドメニコ・モドゥーニョ作曲、フランコ・ミリアッチ作詞のカンツォーネで、同年のサン・レモ音楽祭の
優勝曲です。また、全米でも四週間連続No.1の大ヒットとなり、これまで話題性の薄かったサン・レモ音楽祭の
存在を世界中に示した記念すべき一曲となりました。
ドメニコ・モドゥーニョは翌年においても『チャオ・チャオ・バンビーナ』でサン・レモ2連覇を果たし、日本においても
ミーナの『月影のナポリ』などと共に初期のカンツォーネ・ブームを巻き起こしました。
タイトルの”Volare”は「飛ぶ」という意味で、「青空のような君の瞳の中に僕は飛んでいく」というロマンチックな
歌なのですが、本来のタイトルは”Nel blu dipinto di blu”、直訳すれば「青く塗られた青の中で」です。ところが
アメリカで”Volare”としてリリースされましたので日本のタイトルも『ヴォラーレ』となったようです。

関連記事
2016-05-14  名曲セレクション 『ヴォラーレ』ドメニコ・モドゥーニョ

旅の友・ポップス編 (303) 『悲しみのベニス』

2017-12-08 12:45:27 | 旅の友・ポップス編

『悲しみのベニス』 シャルル・アズナヴール
”Que C'est Triste Venise” Charles Aznavour 【YOUTUBEより】


この曲は1964年にフランソワズ・ドランが作詞、シャルル・アズナヴールが作曲したシャンソンです。
タイトルの”Que C'est Triste Venise”は直訳すれば「何と悲しいヴェニス」。
二人の愛が終わった悲しみで、普段は美しくて魅力あふれるヴェニスが悲しい街にしか映らなくなってしまったと
綴っています。
逆に、ヴェニスの街が二人の愛が終わったことを悲しんでいるようにも思えます。

関連記事
2016-02-10  続・60年代ポップス変遷史 落穂ひろい『悲しみのベニス』シャルル・アズナヴール

失恋の歌にしてはちょっとロマンティックなメロディー・ラインですね。

旅の友・ポップス編 (302) 『キエレメ・ムーチョ』

2017-12-07 14:16:12 | 旅の友・ポップス編

『キエレメ・ムーチョ』 トリオ・ロス・パンチョス
”Quiereme Mucho” Trio Los Panchos 【YOUTUBEより】


キユーバのゴンサロ・ロイグが作曲しこれにアグステン・ロドリゲスが詞をつけたラテン・ナンバーです。
”Quiereme Mucho”とは「いっぱい愛して」という意味で、甘い歌詞で綴られて「離れて暮らすことなんかできない」
と結ぶ熱い恋歌です。
1937年には英詩がつけられて『エアーズ』というタイトルでアメリカでもヒットしていましたが、日本では1960年の
パンチョス来日でリヴァイヴァル・ヒットしています。

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2016-05-05  名曲セレクション 『キエレメ・ムーチョ』 トリオ・ロス・パンチョス