ハリネズミ シオン♀3歳8ヶ月の介護生活がスタートして1ヶ月。
まだ1ヶ月・・・、これからが本番だね!
この1ヶ月間、色々なことがあった。
8月20日には、施設で暮らす高齢の母が、病院へ搬送されたとの連絡が姉から入った。
母は86歳。九十九里の老人ホームに入居して4年になる。
その前の約2年間は、姉家族の近くに部屋を借りて住んでいた。
元気な頃は、私たち夫婦が住む関西へ新幹線に乗って遊びに来るのが楽しみで、
年に数回、母を1ヶ月以上滞在させては、色々な場所へドライブした。
土日は愛犬のハナとテファを連れて森へ出かけたり、京都の天橋立etc
中でも母を刺激させたのは、大衆演劇。
以前私が関西で知り合った仲間とともに出かけた新開地劇場へ行ったことがあった。
3時間あまりの公演に、母は目をくぎ付けにして歌や踊りを楽しんでいた。
公演後に役者さんと2ショで写真を撮影した母の顔は、とても若々しかったなぁ。
今から3年前の夏、母を自宅に迎えたのが最後だった。
それから施設へ入居した母を、遠距離の関西の地へ連れてくるのが難しくなってしまった。
今年の正月、新幹線に乗ってヒロ(夫)とH君を連れて帰省した。
千葉の姉宅へ3泊お世話になって、滞在中に車で九十九里の母の施設へ。
その時、母は、、、
要介護4になり、ベッドに寝た切りの生活で姉と私の違いが分からなかったようだ。
姉夫婦、姪夫婦+子どもたち、私たち夫婦+H君という大勢の人たちの顔を見つめる母。
ヒロの顔を見るのが久しぶりだったので、声をかけてみた。
「ヒロさんだよ。分かる?」
忘れてしまったようだ・・・。
これが現実。
元気な頃の母はもういない。。。
40代から50代、父が癌で他界するまでキャリアウーマンだった母の面影は失せてしまった。。。
意思の疎通ができず、携帯電話で話すこともできなくなった。。。
母と会話ができなくなってから、「母はもう母ではなくなってしまった・・・」と、どこかで割り切っていた。
そして、もう長くはないと覚悟を決めた。
昨年の11月。一人で母の施設へ面会に行った時のこと。
当時母の担当だった施設のケアマネさんからこんな話を聞いた。
「私の人生はこれで良かったのかしら・・・」
そんな弱音を吐いていたそうだ。
この時から食欲が無くなってきたそうだが、
「食欲が減少しても点滴で栄養補給はできますよ。それよりも、今の〇〇さんには生きる気力がなくなってきているようです。
時間がある限り面会に来てあげてください。」、と。
遠距離を言い訳にして、母の施設になかなか面会できなかったことを悔やんだ。
2年前の夏には、夫婦で母を連れ出し施設から近所の温泉に1泊したこともあったのに。
「近くの温泉に外出させる程度であればできますよ。」
「車に乗って外出するだけでも気分が変わるでしょう。」、とケアマネさん。
それが去年の11月で、年が明けて母の認知症が進んでしまった。
当時のケアマネさんも他の方に変わってしまった。
そして、新型コロナにより外出自粛、緊急事態宣言期間になり、母の面会はおろか新幹線に乗ることもできなくなった。
7月19日は、母の妹が施設で他界。
この時、都内で家族葬を行うことになったのだが、7月中旬から都内でコロナ感染者が過去最多となった。
関西に住む私も、微熱が続きPCR検査を受けることになり、叔母とのお別れができなかった。
そして1ヶ月後。
今度は母が救急搬送されたのだ。
この時、自宅でハリネズミの介護生活がはじまっていた。
自力でご飯を食べることができないシオちゃんを、強制給餌させていた際に、ふと母のことが気になっていた。
「母はご飯を食べているかしら・・・」と。
近所のペットショップに出かけている時、姉から着信が鳴った。
「ばあさんが、救急搬送されたって!・・・」
覚悟を決めて、関東へ向かう準備をはじめた。
その晩、姉からの電話を待つ間に夜になってしまった。
面会をしたけれど、意識はあるという。
「いつ容体が変わるか分からないから、明日来た方がいいと思うよ!」と姉。
それから新幹線のチケットを買って、翌朝新幹線に乗り継ぎ千葉の姉宅へ。
金曜日に千葉へ着いて、翌日土曜日に義兄の運転する車で九十九里の病院へ向かった。
PM2時に主治医の先生から話が聞けるとのことだったが、
先約の家族との話が長引いて、3時過ぎまで待つことに。
その間、個室に入った母としばらく話ができた。
母は、私と姉の名前をしっかりと呼んでくれた。
少しでも希望を持たせるために「元気になったら出かけようね!」と声をかける。
「遠いところ、ごめんね・・・」と気を使うばかりの母。
もっとわがままになってもいいのにね・・・切なくて仕方なかった。
主治医の話によると、右肺に胸水が溜まっている状態だという。
胸水を抜いて検査をすれば癌が隠れているかもしれないし、
他の病気が隠れているかもしれない。
これから検査してみなければ何ともいえないので1週間後に面会に来てください、とのこと。
高齢なので突然呼吸不全になって心肺停止、、、というケースもあることを覚悟しなければならない。
それから、1週間、姉宅へ滞在することになった。
その間、電話が鳴るたびにドキドキ・・・。
私が留守の間、
・ハリネズミの強制給餌を朝・晩2回。
・ハナとテファの夜の散歩。
・セキセイインコの放鳥とお世話を朝・晩2回。
体重と介護記録をスマホアプリに記録してくれたヒロに心から感謝している。
1週間後の土曜日、再び母の病院へ。
主治医の話によると、胸水は結核性の疑いが強く、
痰を培養して、抗酸菌があれば他の病院へ転院しなければならないと言われた。
姉と私、姪と甥が二人ずつ交代で母と面会した。
「私は、もうダメだわ~・・・」と弱音を吐いた。
寝たきりの母は、とても弱っているように見えた。
「がんばれ!」とは言えなくなってしまった・・・。
ただ、母の中に「生きたい」という気持ちが少しでもあるなら、
希望を持たせる言葉をかけてあげたいと思う。
主治医の話では、今後、結核の治療を行うことになるが、
結核の治療薬を飲むと、食欲不振に陥ることがある。
高齢のため、副作用がとても心配。
母の面会を2度終えて、翌日の新幹線で関西へ帰宅。
遠方へ移住してから、母のことを姉夫婦にお願いするばかりで心苦しくなる。
姉にも持病があり、孫たちの世話や今後の母の病状によっては転院の可能性など心労が絶えないことになるだろうなぁと。
シオちゃんの介護生活に戻り、ふと考える。
人間もペットも、いつかはお別れする時が来る。
愛犬のハナは11歳、テファは10歳のシニア期に突入。
私の大切な家族が高齢になり寿命が近づいている。
姉や私、ヒロも年を取ったのだから当然だよね。
生命あるものの死期が近づく時間はとても貴重なのだ。
シオちゃんも自力でご飯を食べられないため、強制給餌や点滴が命綱だ。
母も同じ。
ご飯を食べられることが、人間や生物にとって「生きる証」なのよね。
「がんばって!」とは言えない。
高齢だから痛い思いをさせたくはないけど、
シオちゃんも母も、少しでも「生きたい」という生命力を感じるうちは、
私は諦めなくないのよ。。。
母の大切な友人や、お世話になった人たちが他界して行った。
食事ができなくなったら母は何を希望にして生きているのか?
高齢者の心理は私には分からない。
それでも、母の生命力を感じるのは私の勝手な思い込みなのだろうか・・・。
ハリネズミは夜行性なので、起きている時間は一日のうち僅か4時間程度。
家族になって3年8ヶ月になるけど、起きている時間はおよそ6分の1で5396時間。。。
寝ている時間が多いから、触れ合った時間はもっと少ないのよね。
私ももう若くないから体力の限界を感じるけど、母のところへいつでも駆けつけられるように・・・
シオちゃんの介護もどちらもがんばらない程度にがんばらなくちゃね!
今できることを精一杯やろうと思う。
シオちゃん
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