あの怪しいバーで起きた事件から数週間後、私は仲間のケイ氏、エヌ氏と3人でいつもの小料理屋「***」を訪問した。 ノレンをかき分け、ガラガラと引き戸を開ける。 「あら、いらっしゃい」 和服姿の似合う女将さんが、いつものように笑顔で迎えてくれた。 私のお見合い相手にと紹介された一人娘のMさんも、にこやかな雰囲気で仕込を手伝っている。 お二人を相手に我々が愉しいひと時を過ごしていると、突然、店内に赤い光が差し込んできた。 しかも、それがクルクル回っている。これは明らかに緊急車両の赤色灯だ。 救急車か…それともパトカー? 「あらあら、なにかしらねぇ…」と女将さん。 「急性アルコール中毒の若者かな」 「いやいや、サイレンが聞こえなかったぞ」 「そうだな、救急車ならピーポー、ピーポーが鳴っていたはずだが…」 「パトカーだったら静かにやって来たというわけかな」 我々がキヌカツギをチュルンと吸い込みながら、野次馬的な会話を続けていると、近くから拡声器を使った大声が聞こえてきた。 「*+%$<”$+~! 出てきなさい!」 「周囲は取り囲まれているぞ」 しばらく間があって…… 「お~い、そっちに行ったぞ~!」 なにやら捕り物が始まったようだった。 軽薄で腰が軽くフットワークのよい私が真っ先に表へ飛び出した。 数台のパトカーが路地裏に集まっており、あちこちに警官が散らばってどこかの店を捜索している。 しばらくして警官隊があるバーのドアを開け、階段を駆け上っていくのが見えた。 それは、あの日、私が昇った階段であった。 ≪とうとう手入れか……≫ 数週間前、私がここに入って寝込まされ、財布の中の有り金をすべて失い、さらに「大勝館」のロビーに捨てられた……なんて話は、ケイ氏にもエヌ氏にも話していないから、その場では単なる通りすがりの傍観者として振る舞った。 我々はのあとの結末を見ず店に引き返した。 「どうでした。どこかで事件?」 女将さんが訊いてきた。 「らしいね、*+%$<”$+~”が取り囲まれていたよ」 「ああ、あそこね。前から問題になっていたのよね」 「えっ? なにが?」 私は知らんぷりをして聞き返した。 「睡眠薬かなにかを混入したお酒で眠り込ませて、身ぐるみ剥いでしまうという噂があったの」 「へえ~(内心動揺)」 「ああいうお店にノコノコついていくお馬鹿さんもいるのよねぇ~」 「………」 「どういう男たちなんでしょうね?」 「………」 「結婚しているんなら奥さんも可哀そう」 「………」 「そうよね、そんな旦那さんだったらイヤだな」 私と女将さんの会話にMさんも参加してきた。(会話になていないか、自分はしゃべっていないからね) 「結婚するならわたし、そんなとこに行かない人がいいなぁ」 「………」 ケイ氏とエヌ氏はこの話題で愉しそうに女将親子と喋りまくっている。 私は彼らの会話に入り込む意欲を失っていた。 たぶん、このあと一言二言話をしただけで店を出たと思う。 その後、Mさんとは店で数回会っただけで、自然と足が遠のいてしまった。 伊勢佐木町の「横浜ニューテアトル」が閉館するという記事を読んで、こんなことを思い出した次第。 つまらない話で長々とごめんなさい。 じつは、このての話はたくさんあるのですが、それについてはまたいつか。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
時代の違いもあると思いますが、自分の引き出しには入っていません。
若い頃はお金がありませんでしたからね。
最後まで触らなかったんですねー 残念!(T^T)
じっくり伺わせていただかなくちゃ。
(たぶん)誰にも言いませんから。
目が覚めると大垣だったという失敗談をよく聞きました。
諸先輩方は、終電がなくなると、
都橋ビルへ行き、
小料理屋の小あがりで寝て出勤。
私は、カプセルホテルか若葉町サウナでした。
一晩に、3軒、4軒のハシゴは当たり前な時代だったので、
おかげで今は、お酒を飲みません。
ある意味、野毛や福富町が全盛だったときに、
一生分飲んどいてよかったなと思います。
福富町もやっぱり怖いところなんですね。
まだたくさんあるなんて!ぜひまた聞かせてください。
この手の話はたくさんあるのですが、
ここでは書くことができないことも。。。
さしさわりのない話を語っていきましょうか。
そんなことがあったんですか。
覚えていません。
写真をよく見るといろいろなことに気づきます。
「と○こ」は懐かしいサインですね。
その横のキャバレーホンコンも。
ホステス募集の宣伝。
1000円と書かれていますが、時給でしょうかね。
ここでは喋れませんので、次回のオフ会にでも。
ひどい話ばかりです。
よく怪我もせず生き残ってきたと思います。