いまでこそ梅干しといえば、お湯割り焼酎の友として欠かせない食材であるが、昔はこれを竹の皮で包みチューチュー吸っていた。今でいうオヤツだったのである。しかしシンナーを吸うのとは違い錯乱するなんていうことはなかった。ただ、やたらと口が赤くなったのを覚えている。 梅にはいろんなパートナーシップの組み方があって、かつての杉田村(横浜市磯子区)には、果肉を砂糖漬けした名物があった。この地での梅の歴史は古く、約400年前の天保年間にさかのぼる。 その頃の杉田村は地質が悪く、穀物や野菜づくりに適さず、農業収入はあまり期待できなかった。そこで領主の間宮信繁は、村人の副業として梅の実を穫るために梅の木を植えさせた。この生産により農民が経済的に潤うと考えたのである。 これが杉田梅の始まりで、その果実は戦の際には貴重な食糧となった。 幕末に近い18世紀末には、富岡から滝頭一帯に梅林が広がった。2月の開花期ともなると、その芳香は遠く観音崎まで達したという。 この頃になると観梅の人々も増えてきた。塩漬けにした花びらを飯の中に炊き込んだ梅花飯というのも発明され、遊客に振る舞われている。 観梅茶屋が賑わったのは明治時代。杉田八幡近くの店では、お土産用として梅の加工品も販売していた。果肉を砂糖漬けした「梅びしお」や、塩漬けにした梅をシソで包み、これをさらに砂糖漬けした「甘露梅」などが人気だったという。 しかし時代とともに、塩害や老衰などのため梅林は減少していく。昭和2年に市電が杉田まで延長されたが、それも梅林復興の役には立たなかった。 戦後は宅地造成がすすみ、梅林も過去のものとなっていき、現在は区内の菓子屋で梅に因んだ菓子が販売されているのが、わずかな名残だろうか。 いま、杉田商店街はプラム(梅)ロードと呼ばれ、祭りの日には梅の種飛ばしコンクールが行われている。 写真の右奥に見えるのは、珠江飯店の「若鶏の醤油煮特製梅肉ソースかけ」。昔からここの名物です。でも、建て替える前はこんなに洗練された飾り付けではなく、しかもボリュームもあったように記憶していますが、どうだったんでしょうかねえ…。 【梅を使った中華料理】 ●珠江飯店の若鶏の醤油煮特製梅肉ソースかけ ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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