中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

五姓田派の特別展を観たあとは、野毛で打ち上げだァ!

2008年10月13日 | おいしい横浜

 来年は横浜開港150周年。それを記念し、神奈川県立歴史博物館で8月9日から9月28日まで、「五姓田のすべて -近代絵画への架け橋-」という特別展が開催された。

 幕末から明治初期にかけて、わが国には大きな変化が訪れた。それまでの鎖国をやめ開国したことにより、さまざまな西洋文化が流入してきたのだ。鉄道、西洋医学、新聞、電信、西洋理髪など、数多くの新しい技術が伝えられた。
 これらに関わったモレル(鉄道)、ジョセフ彦(新聞)、松本定吉(理髪)などの名は、かつての開港場であった今の関内周辺にその記念碑があるので、近くを通った人なら一度は目にしていたりして、ご存知の方も多いと思う。

 しかし、意外と知られていないのが、西洋絵画技術の普及に力を尽くした人々。写実的な西洋の技法を取り入れ、肖像画や風景画などを制作・販売する絵師の集団がいた。それが五姓田派の人々である。
 私も彼らの絵はあまり見たことがなかったので、後学のために9月のある日曜日、はるばると出かけてきた。


 で、博物館に入る前に鑑賞したのが、これ。
 ドームに張り付くドルフィン!
 いかつい顔、大きなウロコ、完全に2つに分かれた尾びれ、どう見たってドルフィンとは思えないが、西洋建築にはしばしばこのような動物が飾られるのだ。
 いつだったか、レオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会に行ったとき、彼の建築設計図が展示されていたことがあった。そこで見たものは、まさしく何匹ものドルフィンで装飾された完成図。
 これが県立歴史博物館だけの装飾ではないこと、西洋では一般的であることを、このとき初めて確認させられたのである。


 県立歴史博物館に棲む動物は、このドルフィンだけであるが、洋の東西を問わず、建物を飾る動物はたくさんいる。シャチホコ、懸魚、シーサー、ライオン、ペガサス、蛙…などなど。


 それにしても、なぜドルフィンなのだろうか。これは設計した妻木頼黄(つまきよりなか)に聞かなければわからないことであるが、私の勝手な想像では、おそらく次の3点だろうと思う。

 (1) 防災上の願いをこめて
 (2) 建築に生命の力を与える
 (3) 見た目の美しさ

 ドルフィンは海の中に生息しているので、水とは切っても切れない縁がある。そして建物火災に必要なものといえば、水! 構造物に「防火力」を与えているのであろう。
 日本の古い建築物の壁に波の絵が描かれているのをしばしば見かけるが、あれも同じような理由から貼り付けられているのだと思う。

 第2の「生命力」。西洋では、石でできた無機的な建物に命を吹き込むため、動植物の模様や彫刻を飾ることが多い。関内の近代建築でよく見かけるのが、旧約聖書に出てくる「生命の木」ナツメヤシ・棕櫚をデザインしたパルメットという装飾。常緑で葉がどんどん増えることから、建物がいつまでも存続することを願って飾られているのだろう。
 知的で跳躍力のあるイルカを貼り付けたのも、そんな願いが込められているのかもしれない。ちなみに東京では「明治生命館」のイルカが有名らしい。

 第3の「美しさ」。これはもう言うまでもない。のっぺらなドームより、こんなもので飾られているほうが、やっぱり美しい。
   

 現在「神奈川県立歴史博物館・本館」となっているこの建物は、明治37(1904)年に旧横浜正金銀行本店として竣工した。ネオ・バロック様式の本格的な西洋建築で、設計者は明治時代を代表する建築家の一人である妻木頼黄。現場監督はこれまた有名な遠藤於菟(えんどうおと)。生糸検査所、帝蚕倉庫、三井物産横浜支店などを設計したことで知られている明治・大正期の建築家だ。
 建物はいま、国指定の重要文化財となっている。


 柱の上部に注目。これはアカンサスというアザミの葉をデザインしたもので、コリント式柱頭でよく見かける装飾だ。
 これと似たものが日本郵船歴史博物館の正面に並ぶ列柱にも飾られているが、こちらはアカンサスというよりも、船会社ということで波をデザインしたものかもしれない。


 この日の目的である「五姓田の特別展」へは、新館の正面玄関からではなく、古い本館の方から入った。
 どこか和風の趣のある、素敵な入り口である。


 赤絨毯の敷かれた階段を昇り、レトロなドアを開けると、いきなりこんな装飾が迎えてくれた。廊下の天井を飾る照明だ。なんだか万華鏡を覗いているようである。


 五姓田派が誕生する契機は、始祖である初代芳柳(しょだいほうりゅう・1827-1892)の登場によります。
 初代芳柳の修業時代は今でも明らかとなりませんが、ようやく明治に入る頃から、作品が確認されます。絹地にぼかしを多用する、いわゆる横浜絵を大量に制作したと考えられます。そして明治天皇の肖像を代表として、数多くの肖像を描くありようは、職業絵師そのものです。職業としての絵画制作、その基本精神が五姓田派を貫きます。
 一方で、本格的な西洋絵画技術を求め、英国人報道記者チャールズ・ワーグマン(1831-1891)のもとに、息子義松を入門させます。ワーグマンが伝えた即興で民衆の姿や風景を把握する力、報道記者としての感覚もまた、五姓田派に共有される一つの特徴といえます。【特別展のチラシより】


 彼らの絵はどこか日本画の雰囲気の残る、まさに近代への架け橋のような作品が多い。純粋な西洋画から見れば、まだまだ稚拙なところがあったのだが、グループの画家たちが明治洋画界の大きな流れを作っていくことになる。

 五姓田派の功績にはもう一つある。それは明治期の美術教育に寄与したことだ。五姓田に学んだ多くの弟子たちが、全国の小学校で図画教師として活動した。
 また、教科書の挿絵として彼らの描いた作品も使われている。そういえば、近藤勇の肖像画など、歴史の教科書で見た記憶がある。


 特別展を見たあとは打ち上げだ。

 しかし、この日は日曜日だったため、博物館周辺のお店は軒並みお休み。そこで、野毛方面まで足を延ばすことに。
 ところが、お目当ての立ち飲み酒屋も丁度シャッターを下ろしているところで、ここにもふられてしまった。仕方なく次の店へ向かう途中、焼肉「大衆」が営業中で幸いにもカウンターが2人分空いているのを発見。若い頃は毎週のようにここで呑んで食べていたが、最近はずいぶんとご無沙汰している。即入店だ。

 とりあえずコブクロとジンギスカン、それに野菜焼きを注文。ホッピーも安ければ肉も安い。どれも300円台である。
 五姓田の絵画を話題に、ホッピーがすすむ。生ビールがすすむ。
 結局、特別展観覧に費やした時間より、その後の打ち上げの方が長くなってしまった。 


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