昨日は久々の休みを取って「開港資料館」へ行ってきました。 目的は広瀬始親写真展「横浜ノスタルジア 昭和30年頃の街角」の閲覧です。 映画「コクリコ坂から」に連動した企画のようですが、やはり実際の写真にはアニメよりも遥かに惹きつけるものがあります。 中華街ランチ探偵団が長時間立ち止まったところは、もちろん中華街のコーナー。 そこで思わず「おおッ!」と声をあげそうになってしまった中華料理店の写真がありました。 「復陽軒」。 これは、現在、西門通りにある「福養軒」の昔の店名なのです。同店の創業者が日本に来たのは明治33年頃。保土ヶ谷で「復陽軒」をオープンし、その後、中華街に支店を出したようです。 私の手元に昭和34年から最近までの中華街の明細地図のコピーがあります。元は「中区明細地図 (経済地図社編)」や「住宅地図 中区(ゼンリン編)」なのですが、横浜市中央図書館に行けば、誰でも閲覧・コピーができますので、私はこのシリーズを片っ端から複写しており、そこから辿っていくと同店は昭和34年から47年まで、今と同じ場所に「復陽軒支店」と表示されていることが分かります。 ところが昭和49年、51年の地図では「福陽軒」という表示に。 本当にこういう店名に変更していたのかどうか、いまいち不確かです。というのも、この頃の地図は手書きで、しばしば誤記が発見されているからです。 地図会社の調査員が現場で店名を見て、調査票に書き留める際に間違ってしまった、ということもあったのではないでしょうかね。 これはお店の方に聞いてみないと分かりません。 そして「福養軒」と記載されるようになるのは、昭和53年の地図から。この頃、現在の漢字に変更したようです。 実はこの「復陽軒」の写真は、『ラーメンの誕生』(筑摩書房:岡田哲著)という新書にも出てくるのです。今回の展示写真とはアングルが違うので別な写真なのですが、まさに「復陽軒」の暖簾が写っています。 カメラマンが何故、この店頭を撮影していたのか…謎です。 と、まあ、そんな不思議な思いを抱きながら、遅めの昼食を食べるために入ったお店は… 「福養軒」ではなく、大通りの「一楽」。 ハイボールを飲みながら豚シャブ冷麺をいただいてきました。 冒頭の写真はサービスでいただいた豆腐。 そして食後のデザートは… ぶりさん提供のガリガリ君 梨! ソーダ味はどこでもあるのですが、梨はほとんど見かけません。 美味しい! 当たりますように… と願って… はずれでした 涙 ガリガリ部部員募集しているようです。 それはともかく、ぶりさん、ご馳走様でした。 このお返しは、何がいいかな…梨? それとも…無し? ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
ガリガリ君に梨味
があるなんて知りませんでした。
爽やかでおいしそうですね:)
コンビニとかでは
みかけないですね
たまにオレンジを見かけますが、
ほとんどソーダ味ばかり。
梨は珍しいですね。
シャチョーじゃなっくってぇ、
女子なのよ。
でゎでゎ酔華ちゃん、
今度ぜひ、女子会を~
今日の記事の、まるで短編小説のような起承転結、恐れ入りました。
まさか、ラストにガリガリくんが登場するとは、まさにどんでん返し!
女子会、楽しみにしております。
どの町でもそうなのですが、昭和20年代、30年代というのはノスタルジーを感じさせます。
戦前とか、もっと前の時代だと「歴史」になってしまいますが、
戦後の20年間というのは、たとえ自分が生まれていない頃の話でも、
なぜだか懐かしくなるものです。
私、「福養軒」の三代目でございます。
よく調べられましたね~。ちょっと驚いております。
補足させて頂きますと、初代が「復陽軒」として店を開いたのですが、二代目(初代の息子)が店を継ぐ際により縁起を担いだ名前と言う事で「福養軒」とさせて頂いたという事です。
現在は私三代目(初代の孫)と二代目で頑張っております。
言及頂いた「ラーメンの誕生」、早速購入いたしました。初代が写っていますね。二代目が喜んでおりました。
これからも中華街にて頑張ってまいりますので、今後とも何卒よろしくお願い致します。
突然の書き込み失礼致しました。
ご迷惑なようでしたら、ご容赦頂き、本書き込みを削除頂けますよう、よろしくお願い致します。
こちらこそコメントをいただきありがとうございます。
店名が「復陽軒」から「福養軒」に移行したということで、
住宅地図にある「福陽軒」は書き間違いだということが分かりました。
『ラーメンの誕生』に掲載されている写真は、やはり初代でしたか。
良かったですね。