1月13日は待ちに待った私の休日だった。まる一日、自由に過ごせるということで、以前から気になっていた人物の過去を調べるため、横浜市開港資料館を訪ねた。 その人物とは、クリスチャン・ワーグナー。あの有名な作曲家リヒャルト・ワーグナーとは関係ないが、ほぼ同じ時代を生きていたドイツ人で、開港間もないころから横浜の居留地に住んでいた。 彼の功績は日本に西洋音楽の種を蒔いたことである。現代ならば、その功績をたたえて「桜を見る会」に招待されてもいい人物なのだ。 居留地でさまざまな音楽活動をしていたC.ワーグナーは、1891年に横浜の根岸で没しているのだが、その具体的な場所を調べたいということで、この休日を利用して開港資料館を訪ねたのである。 頼りになる史料は「ジャパン・ディレクトリー」、いわゆる住所録だ。居留地に住んでいた外国人がアルファベット順に記載されている。 そこで分かった彼の住所は、New Road,Negishi という短くて大雑把なものだった。山手の居留地だと番地まで出ているのだが、根岸村あたりだとこんなものなのかもしれない。 New Roadとは「外国人遊歩新道」のことで、その中でも辺鄙な場所であった根岸だったから、番地などなかったのだろう。 さて、こうなると次はどの史料をあたろうか…なんて考えているところに、作治さんからメールが届いた。 「今、どこにいる? お昼は?」、なんていうお誘いが来てしまったのよね。 史料探しはまた次回ということにして、さっそく中華街へ繰り出すことに。 3連休ということで街はメチャ混みだったので、広東道に入り込む。大通りと違ってこちらは閑散としている。焼き小龍包を歩き食いする人もいないし、自撮り棒を持つ女子もいないし、すいすい進むことができて、辿り着いたのが「隆蓮」。そういえば、2016年の中華街初ランチも、こちらのお店だったことを思い出したよ。 さて、冒頭の写真は絶品!生ビール♪ 銘柄はハートランド♪ クリーミーな泡が素晴らし。もちろん美味しいよ。 お通しはザーサイ。これがまた旨いのなんのって、なかなか味が深い。これは料理といってもいいくらいだ。 叉焼♪ これはビールが進むよね。 店主や奥様をまじえて、昔の中華街やら華僑の歴史などについての話も弾む。 若い彼らはもちろん、作治さんも知らなかった話をしてあげた。昭和40年の地図を眺めていて気がついたのだが、中華街の中に1軒だけ「トルコ風呂」と記載された店があったのだ。そこにはヘルスセンターとも書かれていた。 個室付きのトルコ風呂が認められたのが昭和41年であるから、ここは箱型の蒸し風呂の店だったのかもしれないが、この表記にはビックリしたことを覚えている。 その頃の地図は見ているだけでも楽しい。何回見てもいろいろな発見があるのだ。 水餃子♪ これもビールが進む。 この「隆蓮」から少し東門方面に向かったところに、「聘珍樓」の従業員用自転車置き場や民家があったのだが、つい最近、それらが解体されて現在は更地が出現している。 中華街でこういう工事が行われると、必ず出土するのがレンガだ。大正時代までは、レンガ造りの建物が多かったのだが、関東大震災で大半が倒壊し、その構造物が地中に眠っているから、こうして時々現れるのである。 とまあ、こんな話をしながら、さらに春巻きなどを食べながらビールを呑む。 最後は沖縄の泡盛をいただいて、本牧の「幸楽」の話へと発展。「幸楽」は最近閉店した老舗であるが、こちらの「隆蓮」とは親戚なのだという。 そういえば最近は本牧に行っていないよなぁ…… 花屋の「大竹」の隣りにある洋品店が閉店したそうだ。「月嶋寿司」も閉店しているし、地元の人の話では商店街を歩くお客さんが減っているという。 さて、「隆蓮」での会食を終えて外に出ると、ロイヤルホール近くの蕎麦屋でこんな張り紙を見た。 日本蕎麦の「和楽」である。和風の懐かしい建物時代の「和楽園」のときから、よく利用していたのだが、いよいよここも閉店かぁ……。 『豆彩』(2006年4月号)に載った「和楽」の紹介記事。 ←クリックして拡大 【参考】 和楽がオープン 和楽で初呑み 和楽のカツ丼セット こうしてみると、よく食べに行っていたわりには記事にしていなかったんだなぁ…… ここで気がついたことがある。 本牧の「幸楽」、「酒楽喰」。 中華街の「一楽」、「楽園」、「美楽一杯」、もう閉店して行けないけど「栄楽園」、「和楽」、「永楽製麺所」…… どれも私が好きな店、好きだった店。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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