桜木町ぴおシティの地下にある「かぐら」が向かい側に移転し、立ち呑みを始めています。 それが単なる立ち呑みではなく、なんと呑み放題専門の店なのです。 メニューはこんな感じ。 ちょっと見にくいでしょうから近づいてみますね。 時間無制限の立ち呑みって、なんだか疲れそうなので、スクワットなんかをこなしてから行ったほうがいいかも。 さらに、驚いたのは「おつまみの持ち込み可!」っていうことです。 いその爺さんの作った鯖寿司なんかをツマミにして、時間無制限で呑めるってわけです。 すごい店ができたもんですね。 さて、呑み放題といったら、こんな本を思い出します。 「水鳥記」。 それはこんな序文から始まります。 酒の縁起を尋ぬるに異国にては杜康と云人の妻 葵の酉の年 初めて作りそめければ 三ずいに酉を書きて酒とよむ(以下略) 酉年の今年読むには、 さて、この本は江戸時代に大師河原(川崎市川崎区)で行なわれた壮絶な酒合戦を軍記風に描いたもので、その内容はというと…… 慶安元年(1648年)8月、江戸大塚に住む地黄坊樽次(本名・茨木春朔)を大将とする東軍と、川崎に住む大蛇丸底深(本名・池上行種)を大将とする西軍が、大師河原で酒呑み合戦を行いました。 地黄坊樽次は徳川秀忠の家老・酒井雅楽頭忠世の侍医という人物で、腰を据えて呑めば1斗5升はいけたという大酒呑みで有名だったそうです。 その大将のもとに馳せ参じたのは甚鉄坊常赤、毛蔵坊鉢呑、半斎坊数呑、小倉忠酔、佐保田酔久、佐藤胸赤、来見坊樽持、鈴木呑勝、名古屋盛安、木下飯嫌、三浦樽明、佐々木呑助、佐々木酒丸、松井夜久、斎藤忠呑、喜太郎醒安といった面々。名前はリングネームみたいなものです。 甚鉄坊常赤は元鎌倉の坊さんでしたが、隣家の鶏を食べてしまって寺を追い出されたという過去を持っています。その後、地黄坊樽次の弟子となり医者になった人物です。 大蛇丸底深の配下にいたのは池上常広、竹野湛呑(ただのみ)、竹野数成、米倉吐次、藪下早呑、池上底平、田中呑久、朝原桶呑、池上底安、池上忠成、山下請安、池上強成。 底成は大将の長男で11歳、底平は次男で10歳でした。凄いですよね。 合戦の発端は西軍の山下請安が赤坂で地黄坊樽次と偶然出会い、その場で呑み比べをして呑み倒されてしまったことにあります。請安は血を吐き戸板に乗せられて帰ってきました。 その後、やはり西軍の池上強成が目黒不動に参詣した際、地黄坊樽次と偶然出会い、酒戦したのですが、またもやその場で飲み倒され、山下請安と同様に戸板に乗せられて帰還。 これに怒った大蛇丸底深は地黄坊樽次に挑戦状を送りました。そこで、慶安元年(1648)、東軍が大師河原の底深の家に攻め込んだのです。双方の軍団が入り乱れての酒合戦が始まりました。 しかし、全員が大酒のみだったので、なかなか決着がつきません。3時間ほどしたところで、東軍の喜太郎醒安が前後不覚の泥酔状態に陥りますが、さらに合戦は続きました。 数時間後、西軍には近郷から助っ人が加わったのですが、地黄坊樽次方も奮闘し、ついに西軍は降参。東軍の勝ちとなりました。 この本には何枚か、合戦の光景を描いた挿絵が入っているのですが、そのなかに嘔吐している人物などが描かれています。ひどい絵なのでここでは掲載しませんが、まあ、見ているだけで楽しくなります。 興味のある方は、中央図書館で借りて読んでみてください。 さて、大酒とえば有名なのが「千住の大酒戦」です。 文化12年(1815)、千住に住む中屋六右衛門の還暦を祝う大酒会が開催されました。この大会で使われた杯は厳島杯(5合)、鎌倉杯(7合)、江島杯(1升)、万寿無量杯(1升5合)、緑毛亀杯(2升5合)、丹頂鶴杯(3升)という6種類。 優勝したのは野州小山在住の佐兵衛という男。緑毛亀杯(2升5合)で3杯呑んだそうです。ということは7升5合。新吉原の伊勢屋玄慶という62歳の高齢者が3升5合も呑んでいます。女では千住の菊屋おすみが2升5合というから、これもすごい! その2年後の文化14年(1817)には両国柳橋の料亭「万八」で大酒大食いの大会が開催されました。これには予選会があり、それを通過した酒豪が参加したそうです。 優勝者は江戸の鯉屋利兵衛(30)で1斗9升5合も呑んだという記録があります。1升ビンで約20本です! 高齢者では、小田原の堺屋忠蔵は68才ながら9升も呑んでいます。小石川の天堀屋七右衛門は73才で7升5合! どうして、こんなに呑めたのでしょうか? 当時の酒は造りたてでアルコール度数18パーセントぐらいで、現代とそれほど違わなかったといいます。しかし糖分は15パーセント、現代の酒の4倍もありました。酸度も4倍、アミノ酸も4倍という、旨みがそうとう多い酒だったとか。 醸造学が専門の小泉武夫氏は、この酒を水で割ってみたそうです。2倍にしてみたが、薄い酒にはならず、4倍にしても、まだ旨く呑めたといいます。 結局、うま味は減少することなく、アルコール度数は4%くらいまで下がったのです。 江戸時代の酒はこんなだったから、1斗も呑めたんですね。 呑んでは厠へ行き、戻っては呑んで再び厠へ。そんな光景が見えてきます。 と、こんな話は小泉氏の『酒肴奇譚 語部醸児之酒肴譚』(1994年3月 中央公論社 / 1997年10月 中公文庫)に書いてありますので、お暇な方は読んでみてはいかがでしょうか。 おもしろい本です。 ところで、本日、野毛の図書館に行った帰りに、こんなのを見ちゃいました。 老舗蕎麦屋「中屋」があったところに、なんと「三幸苑」が入っているじゃありませんか。 しかも今日がオープンだったのです。 最近、「中屋」が閉まっているなぁ…と思っていたのですが、こんなことになっていたんですね。 祝花をみると、中国名の方々が多いのは、何なのだろう……。 31日まで、20%オフだそうです。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
ところで、いそのサンの鯖寿司&飲み放題オフはいつにしましょうかねぇ \(^o^)/
強者出没傾向の強いエリアですので、とんでもない修羅場が繰り広げられるかもしれませんね。(笑
休日にオフ会催されるなら重箱持参で駆けつけます。(^^)/
中屋…どうしちゃったんでしょうね。
三幸苑の住所が「中屋ビル」となっているので、
蕎麦屋をやめて場所を賃貸に出しちゃったんでしょうかね。
三幸苑のほうも、なんだか代替わりのような…
立ち呑み、時間無制限呑み放題…
なんだか疲れそうですね。
「おつまみ」だけじゃなく、簡易椅子なんかも持ち込みOKならいいのですが・・・
いちど、様子を見てきます。
いつの間にか対面に移転されていましたよね~ ちょっとびっくり (笑)
広い店舗が必要だったのでしょうかね。
立ち飲みもできるような。。。