1月24日は駅前の快適なホテルで目覚めた。カーテンを開けると、昨晩から降り続いた雪で駅前広場は真っ白に! 朝食は近くのハンバーガーショップで簡単に済ます。 ここから義父の住むところまで行くバスはあるのだが、なんと1時間に1本しか運行していない。しかも下車するバス停から家まではかなり歩くことになる。こうなると頼りになるのはタクシーだ。 十数分で到着したから、やはり便利だよね。 義父はいろいろな資料を用意して待っていた。 まだ郵送してもらっていない原稿、昔の写真、そして自分の渡航歴を残したパスポート類だ。 北海道北部で事業をやっていた彼は、ソ連時代から何度も大陸に渡っていた。この日、テーブルの上に置かれたパスポートは1990年以降のもの。ソ連が崩壊してロシアになってから現在まで、渡航先はほとんどがサハリンである。出入国のスタンプが何十個も押されていた。 これはソ連時代の紙幣である。ロシア革命(1917年)直後のものみたいだ。まだ貨幣の転換ができていないのだろうか、ソ連のシンボルマークである鎌とハンマーの図柄が描かれていない。 時代が進んで、ソ連が崩壊しロシアになったときも、しばらくはレーニンの肖像画が描かれていた。国家の体制が変わったからといっても、紙幣のデザインはそう簡単に変更できないのだろうね。 夕方まで原稿や資料の整理をしていると、6時半ごろ、現地で義父の「自分史」づくりを手伝っている女性が来られた。 聞けばロシア語の仲間だという。 夕食は彼女の運転する車で、近くの寿司屋へ。 二人とも酒を呑まないから、私だけがビールをやらせてもらった。お通しはなんだかよく分からないものだったが、これだけで生ビールが1杯呑めてしまった。 相手は高齢者と女性なので、ツマミはこれだけ。北海道名物のザンギである。 このあと握り寿司や茶碗蒸しなどで腹を満たした。 1時間半ほどの会食を終えると、再び彼女の運転する車で帰宅し、私はこのまま義父宅に泊まる。 気密性が高く、暖房も効いているので、シャツ1枚でも過ごせるほど暖かい。 酒を呑んでいたが、再び原稿の確認をして早めに就寝した。 (つづく) ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
本の完成が楽しみです。
ザンギやお寿司もおいしそうだし。
冬ごもり状態で昔の資料を紐解き、
タイムスリップするのが夢でした。
本ができあがるの待ちどおしいです。
私も自分史を書き始めなければと……
う~~~ん。