当時は通名を名のっていた。本名に変えたのは42歳になって韓国系の新聞記者になってからである。
今でもなかなか本名を呼んでもらえない。たとえばPTA時代の関係者そしてペングループの仲間たち、チョンとは呼びにくいからつい慣れている名前を呼ぶという。若い頃は本名を呼んでとこだわった時期もあったが在日同胞の生き方が多様で1つにはくくれない背景を背負っていることに気がついてからは周りの人に通名を呼ばれても違和感がなくなった。
そして夫が通名を名のっている。医療機関で保険をつかっているがこれも夫の扶養家族になっているので通名になっている。最初はとまどったがもう少し慣れた。
私自身なかなか人の名前と顔が一致しない時も多々ある。そんなときは呼び名に困ることがあるのでしばらく考えているときもある。
やむおえないときはもう1度名前を聞いたりすることもよくある。
最初慣れなかった呼び名がある。
韓国から来られている駐在員たちはたいてい「鄭記者(チョンキジャ)」と呼ばれていた。ここに様をつけるとチョンキジャニムだがこれは年の若い人たちがつけていた。次にくるのがミセスチョン、次がチョンヨサ(女史)である。
同胞記者たちは日本語で「チョンさん」または「チョンヨンスンシ」と呼ぶ。今だったら少しなれたので違和感がないのは「チョンキジャ」である。
後は「女史」と言うタイプでもない。ミセスと呼ばれほど若くない。
ただこのごろ気になる言葉に違和感を持ち出した。
親しみをこめていっているのだろうか。
私はそう思えない。人をカにしているように思えてどうしょうもない。
まあ私はたいしたことがないと最初はそう思っていたが他の人に呼び名を変えるのでこれはなにと考えることになった。
ちょっと役職になったので東京にいくことがおおくなったから人を見下しているのか。以前をどうだったか記憶にないが連れ合いの人はちゃんとチョンさんと呼んでくれているがそういえば韓国語で「オンニ」と言ったこともあったな。
その連れ合いの夫さんが先日のある会合で何度も何度も大勢いるまえで私を呼ぶときに日本語で「姉さん」と言った。最初は私の名前が記憶にないからそう呼んでいるのかなあと思っていた。
そして他に大きい役職を持つ人や民族団体の職員にはどうしたわけか日本語で「先生、先生」と呼んでいる。
ふっと気分が悪くなった。
私はちゃんとフルネームか苗字を呼んでいるのにいっこうに気がつかないのかわざとそうしているのか私には「姉さん」、他の人には「先生」である。
私を呼ぶときに「姉さん」である。
心の中でいいかげんにしてと叫んでいました。
この区別はどこを基準にしているのだろうか。私の呼び方や他の人の先生の呼び方が気になって耳に違和感が残り始めた。
それでも私は呼び名ぐらいで目くじらたてたらアカンと考えて黙っていた。
その後も私には「姉さん」他の人には「先生」と使っている。
これでも市民活動をしている人だろうかと私は心の中で首を傾げていた。
人を見て話す。人を見て区別する。この人の人間性を見るような気がした。
自宅にもどって日にちが過ぎても私の耳元で「姉さん」という言葉が残っている。在日同胞の間では日本語で「姉さん」「姉さん」と言って親しくしている人が多くいるが私はヘボな紀者かもしれないが仕事の中での付き合いである。
べつにチョンキジャと呼んでほしいとは思っていない。
鄭という名前があるのでチョンさんで呼んでもらえばそれでいい。なのに近所の人たちを呼ぶように「姉さん」とはなんということ。
これまで市民活動をしておられるのでよくしておられるなあ---と感心していたが人を区別していることになんともやるせない。自分中心の偽善者、市民活動も偽善運動に見えてきた。
市民活動を前にして活動していくならせめて私に名前を呼んで下さい。べつに先生とも呼ばれたくない。私の器は私が1番よくしっている。
それをまたさらにおちこますように「姉さん」といい他の人には「先生」と読んでいる。この基準はなんなのですか。
こんな基礎的なことができない人に人間性の懸念をした。
誰とは言わないが活動者の1にんである。
ヘボな記者でも日本の雑誌記者を含めて25年の記者生活をしている。
何年に1度、記事の文字を間違うこともあるが他の記者にもよくあることだ。
市民活動では素晴らしい活動しておられるが人間の内面の本音を見るようだった。気になっていたがブログに書きこむほどではないと思っていた。それが数日たっても私の耳元に残っている。
まったく関係がないが長崎県で箸のもち方が入試にされるという。親のしつけの問題ということらしいが人の呼び名も少し気をつけてもらいたい。
鄭容順という名前がある。「姉さん」と言われるのは夫の妹とか弟の嫁に言われるのなら話がわかる。このへんのことをわきまえてもらいたい。箸のもち方と同じぐらい基本的なことである。
と、私は考えている。異存のある人もいるかもしれないが-------。
今でもなかなか本名を呼んでもらえない。たとえばPTA時代の関係者そしてペングループの仲間たち、チョンとは呼びにくいからつい慣れている名前を呼ぶという。若い頃は本名を呼んでとこだわった時期もあったが在日同胞の生き方が多様で1つにはくくれない背景を背負っていることに気がついてからは周りの人に通名を呼ばれても違和感がなくなった。
そして夫が通名を名のっている。医療機関で保険をつかっているがこれも夫の扶養家族になっているので通名になっている。最初はとまどったがもう少し慣れた。
私自身なかなか人の名前と顔が一致しない時も多々ある。そんなときは呼び名に困ることがあるのでしばらく考えているときもある。
やむおえないときはもう1度名前を聞いたりすることもよくある。
最初慣れなかった呼び名がある。
韓国から来られている駐在員たちはたいてい「鄭記者(チョンキジャ)」と呼ばれていた。ここに様をつけるとチョンキジャニムだがこれは年の若い人たちがつけていた。次にくるのがミセスチョン、次がチョンヨサ(女史)である。
同胞記者たちは日本語で「チョンさん」または「チョンヨンスンシ」と呼ぶ。今だったら少しなれたので違和感がないのは「チョンキジャ」である。
後は「女史」と言うタイプでもない。ミセスと呼ばれほど若くない。
ただこのごろ気になる言葉に違和感を持ち出した。
親しみをこめていっているのだろうか。
私はそう思えない。人をカにしているように思えてどうしょうもない。
まあ私はたいしたことがないと最初はそう思っていたが他の人に呼び名を変えるのでこれはなにと考えることになった。
ちょっと役職になったので東京にいくことがおおくなったから人を見下しているのか。以前をどうだったか記憶にないが連れ合いの人はちゃんとチョンさんと呼んでくれているがそういえば韓国語で「オンニ」と言ったこともあったな。
その連れ合いの夫さんが先日のある会合で何度も何度も大勢いるまえで私を呼ぶときに日本語で「姉さん」と言った。最初は私の名前が記憶にないからそう呼んでいるのかなあと思っていた。
そして他に大きい役職を持つ人や民族団体の職員にはどうしたわけか日本語で「先生、先生」と呼んでいる。
ふっと気分が悪くなった。
私はちゃんとフルネームか苗字を呼んでいるのにいっこうに気がつかないのかわざとそうしているのか私には「姉さん」、他の人には「先生」である。
私を呼ぶときに「姉さん」である。
心の中でいいかげんにしてと叫んでいました。
この区別はどこを基準にしているのだろうか。私の呼び方や他の人の先生の呼び方が気になって耳に違和感が残り始めた。
それでも私は呼び名ぐらいで目くじらたてたらアカンと考えて黙っていた。
その後も私には「姉さん」他の人には「先生」と使っている。
これでも市民活動をしている人だろうかと私は心の中で首を傾げていた。
人を見て話す。人を見て区別する。この人の人間性を見るような気がした。
自宅にもどって日にちが過ぎても私の耳元で「姉さん」という言葉が残っている。在日同胞の間では日本語で「姉さん」「姉さん」と言って親しくしている人が多くいるが私はヘボな紀者かもしれないが仕事の中での付き合いである。
べつにチョンキジャと呼んでほしいとは思っていない。
鄭という名前があるのでチョンさんで呼んでもらえばそれでいい。なのに近所の人たちを呼ぶように「姉さん」とはなんということ。
これまで市民活動をしておられるのでよくしておられるなあ---と感心していたが人を区別していることになんともやるせない。自分中心の偽善者、市民活動も偽善運動に見えてきた。
市民活動を前にして活動していくならせめて私に名前を呼んで下さい。べつに先生とも呼ばれたくない。私の器は私が1番よくしっている。
それをまたさらにおちこますように「姉さん」といい他の人には「先生」と読んでいる。この基準はなんなのですか。
こんな基礎的なことができない人に人間性の懸念をした。
誰とは言わないが活動者の1にんである。
ヘボな記者でも日本の雑誌記者を含めて25年の記者生活をしている。
何年に1度、記事の文字を間違うこともあるが他の記者にもよくあることだ。
市民活動では素晴らしい活動しておられるが人間の内面の本音を見るようだった。気になっていたがブログに書きこむほどではないと思っていた。それが数日たっても私の耳元に残っている。
まったく関係がないが長崎県で箸のもち方が入試にされるという。親のしつけの問題ということらしいが人の呼び名も少し気をつけてもらいたい。
鄭容順という名前がある。「姉さん」と言われるのは夫の妹とか弟の嫁に言われるのなら話がわかる。このへんのことをわきまえてもらいたい。箸のもち方と同じぐらい基本的なことである。
と、私は考えている。異存のある人もいるかもしれないが-------。
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