4月の26日にあったきり長いことあっていなかった。携帯にメールを入れようと思ったが26日のある会合で気分がよくないことがあった。会合で私はずっと我慢していたが彼女とそのまわりの2人の言動にカンに触った。とうとう大きい声で私はカンシャクを出して怒ってしまった。静かになれなかつた。
私に対しての言葉の暴力、今日一緒にコーヒータイムをする彼女がいると絶対にいわなかったただろう。彼女がいつもフオローするのでいわなし子どもさんが勉強がよくできたからみんな一目をおいている。そして彼女が言ったとしたら相槌を打って同調しただろう。それが見えてものすごく腹がたった。
彼女は仕事の都合で30分遅れてきた。その間に私に対する言葉のいじめだった。それもペングループてさんざんにいじめられた彼女の言葉のいじめだった。
最初の言葉は知らん顔したがそのうち周りにいた2人も彼女がいなくなってからも言葉のいじめをした。彼女の表向きの顔は言葉がうまいのでみんなをまきこんでいく。だから彼女の性根の悪さはわからない。
私が黙っていればトラブルもないだろう。
会合によっては黙っている方が楽なときもあるので納得して黙っている。
しかしである。息子が小学校に通っていたPTAのOB会である。私も60歳を超えたのでそうそう黙ってすわることもなくなった。少しの会話もするようになった。
しかしである。
昨年の会合のときだった。外国人が夜の道で迷っておられた。冬だったのであたりは夕方でも真っ暗だった。町の街頭がないので会場にくる道中に困っている様子を話すと「そんなことどうでもいいんやか。こんなところで話すものではない」と言葉をさえぎった。
そのときからこの会合は面白くない会合と思いかけていた。
しかし私のわがままを言ってはいけないと思って黙って我慢して出席した。
そして今回、またごく1部分の言葉のいじめ、ペングループを創設したときの仲間の言葉のいじめ、創設したときからいじめられた。
「あの人は韓国人です」と私が雑誌記者をしていたあちこちの上司に電話していた。
なんと幼稚な人と相手にしないできたが私よりはるかに年上なのにあいもかわらず言葉でいじめる。言葉の暴力と本人は気がついていないのだろう。
彼女がいるかぎり、ペングループに顔を出さないと改めて心に誓っていた。
私はペングループの創設からペングループの小冊子も手がけた。当時編集を中心にかかわっいた。
自主グループにすると支援するところがなくなればこのグループは女の集団、内輪もめでつぶれると考えて投稿している地方紙のゴロを小冊子にいれることで地方紙のネームバリーに私はこだわった。
彼女を筆頭に総スカンを食って反対された。
しかし地方紙のデスクたちが「ネームバリー」を使用した方がいいという意見に彼女たちはようやく納得をした。
小冊子の編集後記も編集にかかわった1人1人の言葉を載せようと私が企画をだすと彼女を筆頭に周りは猛烈に反対した。
私は編集者の影の苦労をしっていたので会長や副会長のことばより大切だと思ってこの企画を出した。
またこれも彼女を筆頭にことごとく反対されたが、年配の会員が「これはいいアイデアですよ」と賛成してくれた。彼女より年配の会員の声でようやく編集後記は1人1人の言葉を掲載した。それは好評で20数号(毎年1冊発行。もうそろそろ2005年号がでる)になった冊子がそのまま編集後記に1人1人の声が乗せられている。このアイデアは当時の婦人雑誌を見てこのアイデアを抜粋した。
それでも私がこのペングループから顔を出すのはやめたのはさらに追い討ちをかけて彼女のいじめが会場でくりひろげられた。何があったのか。
いつかは書きたいとおもっいるが彼女が健在である間は書かないことに心に決めている。
70いくつになってもまだ言葉の暴力が続く。彼女になびけば言葉の暴力がなくなるかもしれないが、ペグループの会場で嘘をついてまで私を悪者にしたその悪意は決して忘れていない。まわりの会員はそんなことを忘れて平気な顔で会合に顔をだして下さいというが周りの会員たちは彼女の性根の悪さに気がついていない。
言葉ではおあいそたらたら言っているがその場を離れるとおあいそを振りまいた人の悪口をいいふらしている。
自己中心のはしりかもしれない。
ここに書いたことを話すのが嫌で女友ともだちとしばらく、コーヒータイムの時間をつくらないできた。
今日は女友だちからメールが入った。今日はパソコンが壊れて連休は大変だったことを話してこよう。
私に対しての言葉の暴力、今日一緒にコーヒータイムをする彼女がいると絶対にいわなかったただろう。彼女がいつもフオローするのでいわなし子どもさんが勉強がよくできたからみんな一目をおいている。そして彼女が言ったとしたら相槌を打って同調しただろう。それが見えてものすごく腹がたった。
彼女は仕事の都合で30分遅れてきた。その間に私に対する言葉のいじめだった。それもペングループてさんざんにいじめられた彼女の言葉のいじめだった。
最初の言葉は知らん顔したがそのうち周りにいた2人も彼女がいなくなってからも言葉のいじめをした。彼女の表向きの顔は言葉がうまいのでみんなをまきこんでいく。だから彼女の性根の悪さはわからない。
私が黙っていればトラブルもないだろう。
会合によっては黙っている方が楽なときもあるので納得して黙っている。
しかしである。息子が小学校に通っていたPTAのOB会である。私も60歳を超えたのでそうそう黙ってすわることもなくなった。少しの会話もするようになった。
しかしである。
昨年の会合のときだった。外国人が夜の道で迷っておられた。冬だったのであたりは夕方でも真っ暗だった。町の街頭がないので会場にくる道中に困っている様子を話すと「そんなことどうでもいいんやか。こんなところで話すものではない」と言葉をさえぎった。
そのときからこの会合は面白くない会合と思いかけていた。
しかし私のわがままを言ってはいけないと思って黙って我慢して出席した。
そして今回、またごく1部分の言葉のいじめ、ペングループを創設したときの仲間の言葉のいじめ、創設したときからいじめられた。
「あの人は韓国人です」と私が雑誌記者をしていたあちこちの上司に電話していた。
なんと幼稚な人と相手にしないできたが私よりはるかに年上なのにあいもかわらず言葉でいじめる。言葉の暴力と本人は気がついていないのだろう。
彼女がいるかぎり、ペングループに顔を出さないと改めて心に誓っていた。
私はペングループの創設からペングループの小冊子も手がけた。当時編集を中心にかかわっいた。
自主グループにすると支援するところがなくなればこのグループは女の集団、内輪もめでつぶれると考えて投稿している地方紙のゴロを小冊子にいれることで地方紙のネームバリーに私はこだわった。
彼女を筆頭に総スカンを食って反対された。
しかし地方紙のデスクたちが「ネームバリー」を使用した方がいいという意見に彼女たちはようやく納得をした。
小冊子の編集後記も編集にかかわった1人1人の言葉を載せようと私が企画をだすと彼女を筆頭に周りは猛烈に反対した。
私は編集者の影の苦労をしっていたので会長や副会長のことばより大切だと思ってこの企画を出した。
またこれも彼女を筆頭にことごとく反対されたが、年配の会員が「これはいいアイデアですよ」と賛成してくれた。彼女より年配の会員の声でようやく編集後記は1人1人の言葉を掲載した。それは好評で20数号(毎年1冊発行。もうそろそろ2005年号がでる)になった冊子がそのまま編集後記に1人1人の声が乗せられている。このアイデアは当時の婦人雑誌を見てこのアイデアを抜粋した。
それでも私がこのペングループから顔を出すのはやめたのはさらに追い討ちをかけて彼女のいじめが会場でくりひろげられた。何があったのか。
いつかは書きたいとおもっいるが彼女が健在である間は書かないことに心に決めている。
70いくつになってもまだ言葉の暴力が続く。彼女になびけば言葉の暴力がなくなるかもしれないが、ペグループの会場で嘘をついてまで私を悪者にしたその悪意は決して忘れていない。まわりの会員はそんなことを忘れて平気な顔で会合に顔をだして下さいというが周りの会員たちは彼女の性根の悪さに気がついていない。
言葉ではおあいそたらたら言っているがその場を離れるとおあいそを振りまいた人の悪口をいいふらしている。
自己中心のはしりかもしれない。
ここに書いたことを話すのが嫌で女友ともだちとしばらく、コーヒータイムの時間をつくらないできた。
今日は女友だちからメールが入った。今日はパソコンが壊れて連休は大変だったことを話してこよう。
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