鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月1日は韓国が独立宣言したその記念日

2006-03-01 10:11:00 | 直言!
在日同胞は各々の所属する団体の会場に駆けつける。私も近年までは民団大阪本部にかけつけて取材をしていた。「3・1節」は特別大切な記念日として在日同胞が管轄の団体に集まる。1910年、朝鮮半島が日本に植民地された。そして土地を奪い文化も奪い朝鮮人を奴隷化した。主権を取り戻そうと抗日運動家が立ち上がった。日本では2月8日、抗日運動家がある公園に集まり独立宣言文に血判をして、その宣言文を持ってひそかに朝鮮に入り3月1日、パゴダ公園で独立宣言文を朗読した。独立運動は朝鮮全土に広がった。しかし日本の官憲の取締りで運動家は逮捕され投獄された。女子学生だった柳寛順の拷問の話はよく知られている。先人たちがした抗日・独立運動を記念日とした。今もこの行事は大切にして各地で記念行事が行われている。
かつて私は民族団体に関わっていなかったころ、3・1節の独立宣言は全く知らなかった。民族の新聞で仕事をするようになって「3・1節」の取材に行くように言われた。私は「3・1節ってなんですか」と聞いて同僚に失笑された。
そのうち仕事を通して行事に参加するようになっていろんなことが分ってきた。
そして幾多の年月の間、韓国にある独立記念館を見学した。日本植民地時代の独立運動した先人たちの拷問の様子も模造で展示されていた。日本の官憲の拷問の展示はショックだった。夫も涙をこぼしていた。ここに紹介されているのはごく1部分である。
またあるとき、京都で活躍をする外国人教育研究会の教師たちと一緒に韓国研修旅行に同行した。そして現在は公園の名前は変わったがパコダ公園を見学した。公園内にある独立運動のレリーフを前にある教師が説明をした。その公園は年輩の男性の憩いの場所である。日本からきた教師に向かって1人のハラボジ(おじいさん)が「このレリーフの意味を知っているか」と言って日本が植民地支配をして朝鮮に対してどんなことをしたのかと、とうとうと話した。ハラボジの話は終わらない。
そして韓国在住の教師が応援に駆けつけてくれていたのでその教師が中にはいってようやくハラボジの攻撃から解放された。
そして1昨年だっただろうか。私は所用があって3月1日にその教師の自宅に電話をした。私は「3・1節」は若い記者に任せていたので自宅にいた。
その教師は「今日は3・1節なのにどうして家にいるのだ」という。私は「若い記者が大阪に取材にはいっているので私は行っていない」と話すと「それはだめだよ。民団奈良でもしているだろう。どうして奈良の会館に顔をだして参加しないのか」と言われた。
なるほど、ある日「民族のほころび」に気がついて韓国語を勉強しだした私と韓国の人とは考えが全く違っていた。「3・1節」に対する意識の持ち方が違っていた。
そんなこともあったのに3・1節のある今日、奈良の自宅で過ごしている。韓国や日本でも大々的に「3・1節」の記念行事が行われているのに私は自宅ですごしている。けれどかつて「3・1節」の認識がなかったときと違って3月1日の特別な意味を理解している。
だから日本に住んでいる在日同胞は首相の靖国神社の参拝などに相容れないものがある。
このことは日本人からみると理解できないかもしれない。
しかし日本植民地を体験した先輩たち、土地や生活そして文化も名前も奪われた。前記の教師の曾祖父は創始改名のとき、創始改名のことは聞かなかったということで両耳を削いでしまったという。こんな壮絶なことを体験して韓国人や在日同胞、そして北朝鮮の人も生きてきた。そうすんなり靖国神社参拝に対して簡単に許されないのである。
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2 コメント

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Unknown (あほらし)
2006-03-06 17:22:52
何も分らない人に話す気になりません。



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あのさ (たく)
2006-03-06 13:13:14
歴史はちゃんと勉強しましょう。在日朝鮮人が戦後日本人を殺しまくったのはご存知ですか?

自分達の勝手な歴史を日本人に押し付けるのはやめてください。日本人は朝鮮人の言い分など興味はありません。知りたいのは事実のみです。子どもではないんだから、論理的に物事考えましょうね。
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