しかし彼女のところにはあるところから電話がいっていた。
彼女は私をフオローしてくれていた。私がカンシャクを出した相手とは一回りも年が違う。私と張り合うものでもないと。私にもそんな人にむきになって腹たてるほうが馬鹿なのだからとアドいバイスをしてくれた。無視すればいいと---。
そうなんだ。もうむきになることもない。そうなんだ。
この話しで1時間は会話をした。この後、パソコンが壊れて大変だった。この話しでまた40分ほど話した。
そして彼女はK氏のことを本当によくやってくれたね。と顔もしらないK氏の親切とパソコン機器のわかる人が近くにいてよかったと話していた。
私も女友達も息子たちが唐招提寺の近くの小学校に通っていたが私も彼女もよそ者ということにとてつもなく地元の人たちにいろんなことがあった。
それでも彼女は毅然として、なあなあで決められることに、「それはおかしいです。先日みんなできめたこととどうして違うのですか」とみんなで決まったことに意見をした。
彼女は毅然としていた。
しまいに私と仲がよかったので人である。
彼女は答えた。「どうして彼女と友だちだったらいけないの。彼女が韓国語しか話せなかったから私も考えるかもしれない。言葉がわからないと通じないから。けれど彼女は日本で生まれて日本で育って日本語を話せる人です。なんの違和感もありません」と言ったと言う。
これには周りの友人たちが驚いた。
そのことを周りの友人から内容は言わなかったが「彼女はあなたのことを考えているわよ」と言った。
どんなことか理解できなかったが長い年月が過ぎて彼女は当時の地元の人たちの心情を話してくれた。
おたがい助け合って息子たちをこの地で育ててきた。
今でこそいろんな人たち、外国人も多く奈良市内で居住するようになった。
時代はかわった。
それでもまだまだ外国人やよそ者にたいして霞がかったものがあるが私たちが子育てをしていたころとずいぶんかわった。
それでも息子が西ノ京近くの小学校に通ったことはよかった。のどかな田園と史跡など多く残る地域、古いしきたりの多い地域だったが歴史的財産の宝庫ととなりあわせに学んだ小学校、子どもたちの心のどこかに奈良の自慢できるものとして古代史の宝庫は大人になって気がつきそこで学んだことは自負していることだろう。
そのぶん親は地域の中でさまざまものと遭遇しながら暮らした。そのぶんそれをバネにして毅然として生きてきた。
私は彼女ほど毅然としていないが「国籍がちがつてどこがわるいの」と思い国籍を隠さないできた。
それも私を強くするバネになったと思っている。
久しぶりにいろいろ話した。
先日来、服も多く捨ててきるものはなくなったと話していたらさっそく彼女、ジャケットの下にきるインナーをプレゼントしてくれた。
大事に着よう。
彼女、私の好みを知っているのか気に入ったものをさがしてくる。
ありがたい。
久しぶりに楽しく話しているのにかばんの中で携帯がなった。
仕事のデスクからだ。
なんと急な取材が入った。
明日、また通称御幸森コリアタウンの現場にはいって現場の声とりをしなければならなくなった。
緊急の仕事になった。
彼女と早々と別れて自宅に戻った。あれこれと考えていた所用があとまわしなして自宅にもどった。
自宅にもどるなり電話連絡、メール送信でまたバタバタした。
あーしんど。緊急の仕事もきつく感じる。年なんだ----。
彼女は私をフオローしてくれていた。私がカンシャクを出した相手とは一回りも年が違う。私と張り合うものでもないと。私にもそんな人にむきになって腹たてるほうが馬鹿なのだからとアドいバイスをしてくれた。無視すればいいと---。
そうなんだ。もうむきになることもない。そうなんだ。
この話しで1時間は会話をした。この後、パソコンが壊れて大変だった。この話しでまた40分ほど話した。
そして彼女はK氏のことを本当によくやってくれたね。と顔もしらないK氏の親切とパソコン機器のわかる人が近くにいてよかったと話していた。
私も女友達も息子たちが唐招提寺の近くの小学校に通っていたが私も彼女もよそ者ということにとてつもなく地元の人たちにいろんなことがあった。
それでも彼女は毅然として、なあなあで決められることに、「それはおかしいです。先日みんなできめたこととどうして違うのですか」とみんなで決まったことに意見をした。
彼女は毅然としていた。
しまいに私と仲がよかったので人である。
彼女は答えた。「どうして彼女と友だちだったらいけないの。彼女が韓国語しか話せなかったから私も考えるかもしれない。言葉がわからないと通じないから。けれど彼女は日本で生まれて日本で育って日本語を話せる人です。なんの違和感もありません」と言ったと言う。
これには周りの友人たちが驚いた。
そのことを周りの友人から内容は言わなかったが「彼女はあなたのことを考えているわよ」と言った。
どんなことか理解できなかったが長い年月が過ぎて彼女は当時の地元の人たちの心情を話してくれた。
おたがい助け合って息子たちをこの地で育ててきた。
今でこそいろんな人たち、外国人も多く奈良市内で居住するようになった。
時代はかわった。
それでもまだまだ外国人やよそ者にたいして霞がかったものがあるが私たちが子育てをしていたころとずいぶんかわった。
それでも息子が西ノ京近くの小学校に通ったことはよかった。のどかな田園と史跡など多く残る地域、古いしきたりの多い地域だったが歴史的財産の宝庫ととなりあわせに学んだ小学校、子どもたちの心のどこかに奈良の自慢できるものとして古代史の宝庫は大人になって気がつきそこで学んだことは自負していることだろう。
そのぶん親は地域の中でさまざまものと遭遇しながら暮らした。そのぶんそれをバネにして毅然として生きてきた。
私は彼女ほど毅然としていないが「国籍がちがつてどこがわるいの」と思い国籍を隠さないできた。
それも私を強くするバネになったと思っている。
久しぶりにいろいろ話した。
先日来、服も多く捨ててきるものはなくなったと話していたらさっそく彼女、ジャケットの下にきるインナーをプレゼントしてくれた。
大事に着よう。
彼女、私の好みを知っているのか気に入ったものをさがしてくる。
ありがたい。
久しぶりに楽しく話しているのにかばんの中で携帯がなった。
仕事のデスクからだ。
なんと急な取材が入った。
明日、また通称御幸森コリアタウンの現場にはいって現場の声とりをしなければならなくなった。
緊急の仕事になった。
彼女と早々と別れて自宅に戻った。あれこれと考えていた所用があとまわしなして自宅にもどった。
自宅にもどるなり電話連絡、メール送信でまたバタバタした。
あーしんど。緊急の仕事もきつく感じる。年なんだ----。
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