進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

神学生の学び会議事録

2012年02月07日 | 議事録
神学生の心得と説教学
5 pm ~
February 13, 2011
@進藤宅
参加者:進藤龍也、白、千、石、S、進藤由美、平田、鷲尾

イザヤ58:13,14

神学生に何が求められているか?神様から、教会員から
石:神学校にかようになってどう変わったか、こういう気持ちだったけど、こういうになったとか?
牧師科を選択したい。刑務所ミニストリーの手伝い。自分にしかできないことをしたい。
白:カウンセラーのほうに行きたい。先生を支えたい。陰で支える仕事をしたいです。
千原:信とのなかで分裂したりするなかでひとつになるように、人と人をつなげる。キリストの体をたてあげるために神様に目を向けられるように導いて行きたい。教会で会うだけでなくて、日頃の行ない心が神様にきよめられないと信徒に悪い影響をあたえてしまうので、日頃から従順にならないといけない。牧師を支えて守っていかなければならない。いのり、行動によって。
S:牧師志願かにはいっている。人生経験も浅く,年若く人見知りしてしまう。人生で悩んでいる人に対して具体的な導きアドバイスはできないこともある。より主とともに歩んでいるかどうか、その姿を見せるしかないと思う。まだ十分ではないが、、、純福音のときはなかなか言えない事もあった。今はぽろぽろだせるようになった。罪友ではそれが許容されているという意味で、真の意味で罪友なのだと思う。人間の交わりとして機能していると思う。自分も欠点もあるし、苦しい事もあるけど、全部それを出せばいいというわけではないけど、自分がどうやって成長すればいいのか、と思う。本格的に牧会するのは進藤先生の年になってからでもいいかと思うけど、それまでは人格的に成長したいと思う。
進藤:スモールグループで教える事。牧師夫人
平田:牧師夫人としてみている。神学校にいってるものを神学生としてみられるのと同じである。
鷲尾:生きるのが精一杯。日替わり。その日によって全く違う。4、5日間ひきこもりなので、誰かを支える、ということはできない。店長経験をしてるときには与えるだけの仕事。守ってあげる,教えてあげる、ばっかりでもらうことがなかった。自分は与えてばっかりで、と思った。進藤先生に、自分の目標としては与えられるものになりたい。目標。
平田:こういうミーティングをもてるのがいいと思う。じゃぁまずは鷲尾さんの話を聞いて、鷲尾さんのために祈りましょう、と言える事がいいと思う。この教会の神学生がひとつになることがいいと思う。いままでにはわからなかった事があった。まず進藤先生を囲んで,神学生が進藤先生を支えて一つになる。そしてmみんなそれぞれの状態をわかってあげて、祈る。奉仕も何々を誰かやってくださいと決めると苦しくなるので、基本は喜んでやる。教会に来るのも楽しいし、時間をさいてやることも楽しいというのが基本だと思う。だから苦しい時は苦しいと言える神学生の交わりとなってほしい。そこが出発点かな、と思う。そういう意味で進藤先生を支え、神学生が柱となって、新しく来た人にできることをしていきたいと思う。たとえ素晴らしい公義メッセージができなくても悲しんでいる人たちに寄り添うだけで、あとは神様がメッセージをさせてくださる。すばらしい人間に神様がしてくださる。今日は本当に教会に来て良かったと思える雰囲気づくりをすればいい。
疲れちゃったら疲れちゃったと言えて、祈れる環境づくりをしたらいいと思う。
喜んで話し合えて、喜んで支えられるようになりたい。
進藤先生もゆみさんも忙しいと思うけど、それを言って、この仕事を誰にとか言わないので、自分たちができることを喜んでやって、できなかったらでは誰それに頼むね、と言えるような雰囲気がいいと思う。
初めて神学生の交わりがなかった。
S:交わりがないと優等生になってしまう。神学生はきよいものというように装わなければならないと思う。犠牲ってバックボーンがあってこそできるもの。ある程度余裕をもって犠牲をはらって教会の奉仕ができると思う。

説教を語るものに先ず必要なもの
平田:羽鳥明の説教の心得をみて、テクニックをもっていてもだめ。わからないとテクニックに走りたいと思ってしまう。説教を語るものは何が必要かというと、いいことを言ったからそれがいいというわけではない。学校でもそうだけど、うまく教えても生徒がならわなければならない。生徒との関係が大切。授業でもならうことがあるけど、やっぱり教会に来てる人たちとこころを開いて話をして、関係をつくることが大切と思う。
進藤:聖書を読む事と祈る事によって人格成長がなされる。人格がなければ言ってる事とやってることが違うという事になってしまう。
平田:これからも進藤先生が他の教会に行く時に、それをどうするか。急に振られても大変なことになっちゃうので、進藤先生にいないときを確認して、話合いで決める。祝福されてやったほうがいいので、強制ではないと思う。順番で割り振る、今日みたいなところがあたって、
鷲尾:ゆくゆくは午後を神学生がするとか。4人いれば一ヶ月の準備期間がある。
石:話せるだけいい。話せない教会もあるから。
S:説教が得意でなくて苦手だった、主が与えるからと思っても、それは無理だった。日頃の生活、みことばのともなった生活が血肉となって、それが現れるので、結局みことばでいきるしかない。説教がうまい得意というは、口がへただといいわけしてるところもあった。そういうものではないかなと思う。
平田:ぼそぼそと話したとしても神様によって響く事がある。話し方教室のようになめらかに話すより、本当に神様が言えということ話せば人に届く。
S:説教者がみことばでいかされているかということが一番大切。そうでなければ最悪、害になるかも。(冗談だけど)
平田:比較する事もない。神様がみんな違っていいって言ってるので、みんなそのときそのときに生かされると思えばいい。神様に愛されているものは試練を与えられる。自分も左手を使えなくて、つらかった。しかし主を信じるものにはその先のものがある。鷲尾さんも今は辛いけど、鷲尾さんにしかわからない信徒があって、神様の計画があると思う。神様を愛せば愛すほど、試練を与えられる。予備校のとき図書館と家の往復だったけど何もしなくて一年過ぎてしまった。元気君は若いというけど、元気君は元気君でいい。
千:病気の時に苦しみの中にあったときに、日頃、神様がいるってことをわかっているのだけど、信じていたのに、病いのなかにあったときに神様がいて、一体化して下さってるということがわかって、自分がなんておろかだったな、と思った。元気な時には神様になんで迎えないのかな、と思った。日との言葉にとらわれやすいものだったけど、人のことばではなくて神様がどう思っておられているのかが知る事ができてよかった。病気のときに礼拝にいくこともできないとsサタンの声を聞いて、自分を責めることもあったけど、そうではなくて、k神様を喜んで苦しい時にも賛美して礼拝する時にそれだけでいい、と神様が言って下さって、教会にいって支える事も大切だけど、神様はそのこころを喜んで下さって、自分ができることはなにかな、と思った時に祈る事だなと思った時に祈れる事を感謝した。文通してるときも質問があったんだけど、セラってなんですか?って言われて、調べた時に詩編は音楽となっているので、オーケストラのようにひとりひとりが賜物があって、それを奏でて音楽となる。あなたに今はセラっていう休止符を与えられているけど、他の姉妹たちが他の楽器があたえられて、音楽をかなでているというメッセージを与えられた。その人がその質問をしてくれてそのことがわかって感謝した。
平田:詩編のセラっていうメッセージ、ブログがよかった。
千:その文通相手の人は単純な質問をしてくるのだけど、それを調べる時に自分も恵まれる。文通も体調がいいときにかくけど、祈る事ができるということがwわかって感謝して、神様にしがみついて行くという事を今回の事でも教えられた。いつも神様はこころを見てるんだな、と教えられた。
平田:メッセージはどうですか?先生がいないときに。無理ならいいのですけど。
白:みんな一通りしたんです。
平田:みんな千原さんの
千:罪友に来てから神様に従う事を訓練させられているなと思う。神様に従うという事は教会の指導者である牧師に従うという事なので、言われればはいといいたい。
平田:まとまっていないのですが、時間なのですが、こういう交わりがとてもいいと思うのですが、この時間がいいか。毎週でなくても月一でも月2でもいいですが。
この次ぎやりたい事、リーダー会と神学生会との関係。一つになればいいと思う。
日曜日に月一で12時くらいに集まる。ごはんを持ち寄って、みんなで食べながらとかでもいいと思う。時間は?5時でもいいけど、、、
石:終わってからのがいい。肉体労働をすると朝起きるのが大変なので。仕事が決まっちゃえばいいんだけど。
平田:では5時で。月何回?
S:月二。
平田:月一で。夕方5時。千原さんは、毎週来る予定ですか?
千:はい。
石:月初め。聖餐式だから忙しいかな。
白:月末。
平井:月末で、
s:5があるときは5。
鷲尾:今月は月末やりますか?
平田:やってもいいんでないですか?神様がやれといったのなら。2月から。

御祈り:石


恩師の息子

2012年02月07日 | 著書



最後の務めをしていた松江刑務所。小さな信仰は燃えていた。そのときのきのキリスト教教誨師は日本基督教団松江教会のソウ牧師。この人のことは雨風呂でも書いているし、岡山の市民クリスマスでも語っているのでユーチューブや雨風呂を参考にしていただきたい。

さて、この恩師の大学生の息子が、私の処女作の

「人はかならず、やり直せる」

を部屋に持っていった。
翌朝、「こいつ、終わってんね!!」と、吐き捨てるように言って学校に行ったそうな。


そのまた翌朝、私の著書をもってダイニングに来た恩師の息子は、
「この人、本気だね!!すごいよ!!」

と、いって目をきらきらさせてくれたようである。

うれしいね~~~、良かった最後まで読んでくれて。
この教会へ去年のクリスマスに、凱旋帰国説教をしてきました!!