11月9日(金)、本部町島ぐるみ会議の主催で緊急学習会「塩川港からの辺野古への土砂搬出を許さない!---ふるさとの土は平和のために使いたい」が開催された。平日の夜にもかかわらず300名ほどの人たちが集まった(資料を250部印刷したが、すぐに無くなったという)。主催者らはこの学習会のために、本部町の全戸にチラシ入れをしたという。今、辺野古の土砂埋立て開始をめぐって本部港(塩川地区)の港湾使用許可問題が、連日、大きく報道されており、町の人たちの関心も高い。
本部町島ぐるみ会議共同代表の平良昭一県議、そして糸数慶子参議院議員らの挨拶の後、ひめゆり平和祈念資料館前館長の島袋淑子さんが講演。島袋淑子さんは、本部町伊豆味出身、ひめゆり学徒隊として沖縄戦に看護要員として動員された体験を話された。南風原陸軍病院、糸数分室壕(アブチラガマ)、第1外科壕での様子等、凄惨な当時の状況を生々しく証言された。そして、「これが戦争の実態なのです。戦争の準備が始まったらもう止められません。今は、まだ言論や表現の自由があります。今の間に声を大にして、戦争につながる基地を造るのはダメ、戦争はダメと言い続けましょう」と訴えられた。
淑子さんはもう90歳になられているのだが、主催者が用意した椅子にも座らず、立ったまま1時間近くもしっかりとした声で話しをされた。自らが体験された戦争の実態を語ることが、生き残ったものの努めだと言われている。
私は、終了後、淑子さんを那覇のお宅までお送りしたので、講演の際は時間切れで話されなかった、その後の「死の彷徨」や米軍の捕虜になった時のお話しを伺うことができた。最近はもう講演をすることもなくなったと言われているが、何時までもお元気で当時の体験を語り続けていただきたいと思う。
淑子さんのお話の詳細は、同行したつれあいのブログを参照されたい。
その後、本部町島ぐるみ会議から最近の本部港(塩川地区)の状況についての報告の後、私が、辺野古工事再開をめぐる問題点、特に、本部港からの土砂搬出を止めるための取組みについて1時間ほどお話しをさせてもらった。
(撮影:K.Iさん)
当日のパワーポイントは90枚近くにもなるが、以下、いくつかのスライドを掲載する。