自宅の横の川沿い遊歩道の桜が平年よりも3日遅れで満開になった。
桜の木の下のベンチやレジャーシートに座り花見をする人がチラホラ。
頭上の桜を眺めつつ、水面に揺れるその桜も眺めるという風情も楽しんでいる。
着物姿の外国人女性が桜の木をバックに彼氏が写真を撮る光景も。
こんなレアなスポットに海外の人が訪れるのは近くにホテルが7軒もあるからか。
そう言えば最近、街のあちこちで家族連れも含め以前よりも多くの外国人を見かける。
因みに桜の季節になると、娘の様々な節目を懐かしむことがある。
小学校、中学校、高等学校などに行われるセレモニー「入学式」。
幼かった子が制服を着て式に参加する姿を見て思わずジンワリ。
その一方で、卒園・卒業のシーズンでもあり`、式典で子の成長を実感する。
そしてわが子が巣立つ春、二十歳で独り暮らしをしたいと聞いた時はかなり心配をした。
引っ越しを手伝った帰りの車の中、私は涙をこらえたが妻はとめどなく嗚咽をもらしていた。
子どもが自立して自分の道を進んでいくのは、親として娘のステップアップを喜ぶべきこと。
だが、娘がいないガランとした子ども部屋に入ると、寂しさで空虚感に襲われた時が多々あった。
娘の巣立ちで親は彼女の幸福を願いつつ、自らも新たな役割を見つけなければならないと感じた。
※嗚咽(オエツ)をもらす=声にならない声を漏らし、泣いている、という状態になる。
※空虚感=心が空っぽになったような虚しい気分のこと。
※慕嬢詩(ボジョウシ)=亡くした娘を慕う気持を綴った詩・文。私の創作語。
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