いつもこの初夏の季節に呼んでいただいている、ノルマンディーのルーアンという街にある高等音楽教育機関にて、今年はフランス国家器楽教育免許に向けた「ポートフォリオ」(これまでの実績を作品集に見立ててプレゼンテーションする、写真、動画、簡単な演劇や物品などを使った演出も可能なスピーチ)の審査員を初めてさせていただいた。
ここのヤニック校長先生以下スタッフの方達はどうやら珍しく(笑)私と根っから気が合うらしく(先生の目、先生の音 参照)、相当舌足らずなフランス語でしかも直球な私の話し方にも関わらず大いに意気投合して、それ以来何度も招待していただいて、貴重な体験をさせていただいている。
審査員は私が専科教授として、他には音楽院学長、市庁舎の役人さん、大学教授、海外県の文化関係者など。
それぞれがそれぞれの立場、それぞれの視点で質問するから、自然に全く違った質問が出てくるし、この辺がさすがフランス、生徒さん達も同じ音楽とはいえ国籍から専門から全く違った人たちの全く違ったアプローチ、面白い表現や演出だらけで、ディープなディスカッションあり、また笑いありの、本当に楽しい2日間を過ごさせて頂きました。
そこで、ここの生徒さん達にぜひ伝えたいことがあります。
次回9月最終回にはフランス語で言わなきゃいけないだろうだから、一応日本語でまずは覚え書きしておこうと思います。
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10人いれば10人のコンセプトがある。
コンセプトを広げ色んなパレットを持つことは大事、それを今あなたたちは仲間とシェアしつつ勉強している。
でもそれを「どのように」実現するか、本当はそこが一番大事だってことを覚えておいて欲しい。
「コンセプト」に関する流行は時代によって変わってくる。しかし時代が変わっても変わらないもの、それはどのようなコンセプトであれ実現する上で一番大切な「クオリティー」。ではクオリティーとは何か。クオリティーとは「ディティール」に宿る。
最初漠然とした概念の音だったものが、音の限りない様々な次元でのディティールを発見し続け、楽器を通してそれを正確に実現できるようになることを、私たちは一生学んでいくのだと思う。
「ディテール」を出来る限り緻密に改善して生徒たちに音楽の「クオリティー」とは、それを実現する原動力となる、音楽に対する「exigence」(希求)とは何かを伝えてほしい。
音楽教育では視点をそれぞれの生徒のレベルに合わせ目線を下げることが必須だ。でもそれは「クオリティーを下げる」ことと同意ではない。逆にそれは長い視点で各自の「クオリティーを上げる」ことに不可欠だからである。
それはアマチュア教育であろうとプロ教育であろうと、ハンディーキャップのある人への教育であろうと、合同授業であろうと個人レッスンであろうと、どのようなジャンルの音楽であろうと、インプロヴィゼーションであろうと書かれた音楽であろうと、区別せずあなたに出来る最大限の音楽のクオリティーに対するあくなき希求を見せられる先生になってほしい。
それには先生の「人間そのもの」を見せること。間違ったって、うろたえたって、全然構わないから、とにかく希求している自分そのものを偽りなく見せるのを怖がらないで欲しい。
「リスクを怖がらない」それこそが芸術への姿勢だと思うから。
それをどのように理解し、どこに活かすのかは生徒それぞれの自由で、それぞれのレベル、個々の感性で選ぶことである。生徒たちひとりひとりにぜひとも感受性の「自由」を与えて欲しいと思う。