その日 その陽によっては、昼間でも涼しさが感じられるようになり、しばらくサボっていたウォーキングも再開。
そのウォーキングコースには、毎年、時季になると、紫陽花が咲くエリアがある。
人家の庭から派生して広がったようで、それは、一般の歩道に面して群生。
ブルー系の色が多いのだけど、それも、濃淡 色とりどりで、毎年、この目を楽しませてくれる。
ただ、その紫陽花も、この時季になると、多くが枯れて色彩を喪失。
が、それでもまだ、三輪が咲いたまま残っている。
それも、枯れかけたものではなく、ほぼ“現役”のまま色を残して。
思い出すと、確か、昨年も、最後の一輪は十月まで粘り強く咲いていた。
そして、それから、ちょっとした勇気や元気をもらったもの。
ただ、このところの気候変動に、植物も振り回されているのか。
それは、活き生きできる季節に置き去りにされたようにも見え、応援したい気持ちがある反面、“無理矢理 生かされている感”もあり、やや可哀想にも思える。
「置き去り」と言えば、幼い子供が犠牲になる痛ましい事件が続けざまに起こった。
幼児を家に、赤ん坊を公園に、園児を送迎バスに・・・
子供達が襲われた恐怖感・苦痛・淋しさ・悲しさはいかばかりか・・・
悪意はもちろん、過失であっても、当人にとってやむを得ない事情があったとしても惨い話。
とりわけ、悪意の加害者には、大きな憤りを感じる。
性格冷淡な私のこと、数日もすれば過去の出来事として記憶から消えていくのだろうけど、今はまだ、いたたまれない気持ちが残っている。
とは言え、私はもちろん、この世には、100%善良な人間はいない。
今、流行りの(?)、カルト宗教みたいなことは言いたくないけど、多かれ少なかれ、人間は“悪”を内包する。
いつでも湧きあがれるよう、虎視眈々と心の隙を狙っている。
主義を主張することも議論を戦わせることも悪いことだとは思わない。
ただ、人の悪を過剰に突いたところで、自分が悪性が消えるわけでも、自分が善人になれるわけでもない。
だから、人を非難するのはほどほどに。
その分、謙虚に己を顧みた方がいいのではないかと思う。
訪れた現場は、街から離れた地域にある やや古めのアパート。
間取りは3DK。
敷地内には、各室用の駐車場も完備。
若い夫婦二人とか、大きい子供でなければ、四人家族でも生活できそうな広めの間取り。
ただ、立地的に利便性がいいわけではなく、家賃は、比較的 安めのようだった。
調査を依頼してきたのは、それまで何度か仕事をしたことがある不動産管理会社。
依頼の内容は、室内に残置された家財生活用品の処分。
ただ、その事情は特有。
そこに暮らしていた老齢女性が、急にいなくなったかと思うと、そのまま行方知れずに。
大家も管理会社も一通りの探索を行ったものの、女性は一向に見つからず。
家賃も滞納となり、事態は進展することなく月日が経過。
大家としても管理会社としても、そのまま放置しておくわけにはいかず、正規の手続きをもって家財処分の権利を得て、部屋を空けることにした。
多くはないが、これまでも、所有者不在の現場で仕事をしたことは何度かある。
例えば、夜逃げ現場。
パターンとして多いのは、“ゴミ部屋”。
“ネコ部屋跡”というのもあった。
部屋に大量のゴミを溜めてしまい、内装・設備を著しく汚損してしまい、自分ではどうすることもできなくなり、業者に頼む金もなくて、大家(管理会社)に告白する勇気もなく。八方がふさがり、結局、逃げてしまう。
しかし、大家や管理会社だって、手を尽くして当人を探すわけで、結局のところ、見つかって“The End”。
当人は何らかのカタチで責任を取らされることになるのだが、しかし、本件においては、そうはならなかった。
玄関を入った真正面の壁、女性が戻ってきたら間違いなく視界に入る位置に、左右二枚の紙が並べて貼ってあった。
それは、裁判所が出した強制執行通知書。
法によって認められた権利によって家財を処分する旨と、その期日が記されてあった。
ただ、左側の紙に記された期日は、私の訪問日より前。
そして、右側に記された期日は、私の訪問日より後。
当初の執行期日は何らかの事情があって延長されたようだったが、野次馬経験が豊富な私でも、その事情までは読めなかった。
私は、誰もいないことがわかっていながらも、一応の礼儀として、
「失礼しま~す・・・」
と、小声で挨拶をしながら、玄関を上へ。
室内は、外気に比べて、どことなくヒンヤリしており、電気も停止中で薄暗いまま。
そんな中を静かに歩きながら、一部屋ずつ見分して回った。
部屋は、散らかっているようなことはなく、全体的に整然とした雰囲気。
炊事・掃除・洗濯などの家事もキチンとなされていたよう。
全体的に小ぎれいにされており、不衛生さは感じず。
置かれている家財生活用品は、ごく一般的なモノが一式。
「人のぬくもり」とでも言うか、リアルな生活感は消えていたものの、帰ってきさえすれば、すぐに、それまでの日常生活が取り戻せそうなくらい、日用のモノがそのまま残されていた。
ただ、家具や家電は使い古されたものばかりで、趣のある調度品や雑貨類もなし。
暮らしていたのは、それなりにキチンとした人物であることと共に、至って慎ましい生活をしていたことが想像された。
そんな中で目を引いたのは、小さな仏壇の前に置かれた遺骨。
仏壇も仏具も年季が入ったものなのに、それを覆う骨壺カバーは やけに新しく、妙な違和感が。
「誰の骨だろう・・・」
そう思いながら、
「さすがに、これは回収できないから、誰のものでも関係ないな・・・」
と、カバーを外すこともしなかった。
私は、「遺骨」というものには、人格や命はもちろんのこと、霊や魂など、擬人化できる何かが宿っているとは思っていない。
もちろん、仏壇・仏像・位牌・墓石・神棚・御守・御札をはじめ、写真や人形にも。
結局は、ただの石や灰と同じ類のもの。
だからといって、そういった類のモノを大切に想う人の気持ちを踏みにじるかのごとく、乱雑に扱ったり、粗末にしたりしていいとも思わないけど。
だから、触らず放っておくことが、もっとも当たり障りのないことだった。
それまで、長い間、静まり返ったままだった玄関を出入りする音が気になったのか、私が部屋から出たタイミングで、隣の部屋からも住人が出てきた。
隣人は初老の男性。
どうも、この部屋の事情を知っているよう。
何も知らない人間に、自分が知っていることを教えたがるのは人間の習性なのか、それとも、ただヒマを持て余していただけなのか、私がとぼけた顔をしていると(もともとそんな顔か?)、男性は、訊きもしない私に向かって口を開いた。
話の中身はこう・・・
当室に暮らしていたのは、老年の女性と中年の男性。
二人は母親(以後「女性」)と息子。
息子は、年齢的には働き盛りだったが、重い鬱病を罹患。
到底、外で働くことなんてできない状態。
で、もう、何年も無職で、ほとんど部屋にとじこもったままの生活。
女性も無職。
加齢にともなう衰えはあったものの、身体に大きな病気はなし。
収入は、年金と生活保護費で、二人は、お互いに助け合いながら、慎ましい生活を送っていた。
息子は、もの静かで控えめな人物。
鬱病は重症らしかったが、感情を高ぶらせて大声を上げたり、何かにイラ立って乱暴な振る舞いをしたりするようなことはなかった。
顔を合わせることは滅多になかったが、たまたま会ったときに挨拶をすると、黙って頭を下げるだけではなく、キチンと言葉を返してきた。
だから、その人柄に悪い印象は抱かず。
ただ、いつも、その表情は暗く、浮かべる笑顔も引きつり気味で、具合が悪いことは他人の目にも明らかだった。
そんな暮らしの中で、衝撃の事件が。
ある夜、とうとう、息子が浴室で自傷行為に。
それは、女性が就寝した後、深夜の出来事で、すぐに気づくことができず。
翌朝、女性が発見したときは、既に冷たく硬直。
遺体で運び出された息子が部屋に戻ってきたときは、小さな遺骨になっていた。
世の中には、多くの困難に見舞われたり、大きな障害を抱えたりしながらもがんばっている人がたくさんいる。
ハンデをものともせず、明るく前向きに生きている人がいる。
しかし、自分は、身体に問題があるわけでもないのに働かない。
か細い老母のスネをかじりながら生きている。
世間の目が気になり、他人と比べてしまう。
そんな中で、劣等感や敗北感、虚無感や無力感、罪悪感や絶望感が容赦なく襲いかかってくる。
しかし、息子だって、戦っていなかったわけではない。
充分に戦っていたはず。
自分が「弱虫」「ダメ人間」のレッテルを貼ろうとも、世間から「甘ったれ」「怠け者」のレッテルを貼られようとも、「生きた」ということが その証。
私は、三十年前の自分自身を重ねてそう思う。
女性の姿が見えなくなったのは、息子の死から一か月もしないうち。
ある日、突然、いつもの生活音がしなくなり、人の気配も消えた。
男性は、不審に思わなくもなかったが、女性とは、日常的な付き合いをしていたわけではなし。
ただ、息子が急に亡くなってしまったこともあるし、女性自身、高齢でもあるし、部屋で亡くなっていることも想像の内にあった。
で、その旨を管理会社に連絡。
悪い想像が脳裏を過ったのは同じだったようで、管理会社も、すぐに対応。
スペアキーを使って母親の部屋を開錠し、室内を確認。
そして、まずは、女性が部屋で亡くなっていたわけではなかったことに安堵。
しかし、その後も、女性とは連絡がとれず、行方も知れず。
そうして、そのまま数か月が経過し、結局、法に則って後始末が行われることになったのだった。
女性は、一体、どこへ行ってしまったのか、
女性の年齢から考えると、その両親は、とっくに亡くなっているだろうし、
生活保護を受けていたことを鑑みると、兄弟姉妹がいたとしても、女性を扶養する意思も力もないだろうし、
寝食を共にしてくれる友がいた可能性がゼロではないにしても、現実的には、なかなか考えにくいし、
ただ、息子がいなくなったとしても、このアパートを追い出されるわけでも、年金や生活保護費がもらえなくなるわけでもない。
精神的なダメージはさて置き、表面上の生活は、以前と変わりなく営めるはず。
どこかに引っ越すにしても、正規の手続きを踏めばいいだけのこと。
なのに、女性は、黙って姿を消してしまった。
衣食住が整っていたとしても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失ってしまっては生きていけない。
逆に、衣食住が整っていなくても、人は、生きる目的、生き甲斐、生きる希望、生きる意味を失わなければ生きていける。
どんなに息子の病状が深刻でも、女性は、回復の希望を捨てていなかったのではないか・・・
だから、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、生きていてほしかったのではないか・・・悲し過ぎて、淋し過ぎて、身の置きどころも心の置きどころも失ってしまったのだろうか・・・
何もかも手放して、何もかも放り出して、どこかに逃げたくなる気持ちはわかる。
生きるにしても、死ぬにしても、今、この現実から離れたくなる気持ちはわかる。
「逃げたらダメ!」というのが、世間の常套文句だけど、私は、そうは思わない。
もちろん、忍耐することも大切。生きるうえで忍耐は必要。
だけど、他人が導き出した「正論」に従わなくていいときもある。
生きるつもりがあるなら、逃げていいときもあると思う。
大家や管理会社に迷惑をかけたことに間違いはなかったが、私の心には、自分勝手に姿を消した女性を悪く思う気持ちは湧いてこなかった。
最後、部屋には、遺骨だけがポツン。
部屋にこだましているかもしれない無言の言葉を聞き取ろうとしても、私ごときに聞こえるわけはない。
感じられるのは、ただ、遺骨に寄り添う女性の想いのみ。
「どこでどうしてるんだろうな・・・」
「骨のカケラくらいは持って行ったかな・・・」
「想い出は大切にしてるかな・・・」
もう、どこかで、ひっそりと亡くなっていることも想像されたが、私は、あえてそういう向きの思考を停止。
ただ、もともと情に厚い人間でもないし、まったくの他人事なわけで、そこには、「悲しさ」とか「淋しさ」とか「同情」とか、そういった優しい心情があったわけではなかった。
あったのは、
「置き去りにした人生を、微笑みながら振り返ることができるまでは生きていてほしいもんだな・・・」
といった単純な願いと、
「でないと、後味悪いもんな・・・」
といった冷淡な思い。
そうして、私は、置き去りにする遺骨に「じゃぁね・・・」と別れを告げ、一仕事と二人生が過ぎた部屋をあとにしたのだった。
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