梅雨入りが迫ってきている今日この頃。
だんだんと蒸し暑くはなってきているけど、まだまだ過ごしやすい。
週末ともなると、朝は下り、夕は上り、行楽の車で高速道路は渋滞。
家族と共に楽しい時間を過ごすことは、人生の大きな幸せの一つ。
行楽に無縁の私にとっては他人事ながら、喜ばしく思える。
多くの人が共感してくれるだろう、「家族」っていいもの。
「打算や利害はない」とまでは言えないけど、ほとんど無条件で、愛し合い、助け合い、信頼し合い、堅い絆で結びつき合える間柄。
外の世界では、そんな人間関係、そう簡単に構築できるものではない。
しかし、その反動か、揉めやすいのもまた事実。
心の距離が近い分、遠慮や尊重がしにくく、怒りや憎しみの感情を抑えにくい。
傷害や殺人についても、他人同士より血縁者同士の方が多いといったデータもあるらしく、日々において、そんなニュースを見聞きすることも少なくない。
また、「血のつながり」を重視するのが日本人の民族性なのか、古くから「家系」とか「血統」とかいったものが大事にされる。
それに裏打ちされるように、先祖崇拝の思想も根強いものがある。
それを否定する理由はない。
ただ、懸念もある。
それは、「問題を起こした者の血縁者」というだけで敵視され、誹謗中傷の的にされるケース。
とりわけ、現代の情報過多・ネット社会においては、それが顕著になりつつあるのではないだろうか。
血がつながっているというだけで、他の人間に人生を狂わされる人は、思いのほか多いのではないだろうか。
声を上げられない当事者、上げた声が届かない社会、何とも言えない理不尽さを覚えざるを得ない。
特殊清掃の相談が入った。
電話の声は女性で、歳の頃は中年。
「兄が一人で住んでいた家なんですけど・・・」
「ろくに世話をしないままネコを飼っていまして・・・」
「ゴミもたくさん溜まっていて・・・」
女性は、誰かに詫びるような口調で、現場の状況を話してくれた。
「見たらビックリすると思いますよ・・・」
女性は、私に心の準備をするチャンスを与えてくれたが、私が、これまで経験したゴミ屋敷や猫屋敷は数知れず。
天井とゴミの隙間を腹這いにならないと進めないような部屋も、ネズミやゴキブリが走り回る部屋もイヤと言うほど経験済み。
ゴーグルしないと目を開けられないような、ガスマスクをしないと息もできないようなネコ部屋に遭遇したことも幾度もある。
「大丈夫ですよ・・・慣れてますから・・・」
私は、商売っ気を悟られない程度に親切な雰囲気を醸し出し、そう返答した。
出向いた現場は、郊外の住宅地に建つ一軒家。
「新興住宅地」というようなエリアではなく、一時代前に整備された、古びた住宅地。
立ち並ぶ住宅は、築三十~四十年は経っているようなものばかり。
また、今風の住宅地にくらべて、土地も家も小さめ。
隣家との間隔も狭く、窮屈な感じもするくらい。
それでも、販売当時はバブル期で、結構な値段がしたであろうことが伺い知れた。
私は、カーナビが示すポイントが近づくにつれ、車のスピードを落とし徐行。
区画整理された地域は番地通りに家が並び、目的の家はすぐに判明。
仮に、ナビが目的の家をピンポイントに示さなくても、すぐに見つけられたはず。
それは、当家屋が異様だったから。
雑草や樹枝は伸び放題で、多くはなかったが外周には朽ちたガラクタも散乱。
荒廃した雰囲気に包まれており、そこが目的の「猫ゴミ屋敷」であることを家屋自らが訴えているように見えるくらいだった。
私が到着したのとほぼ同時に依頼者の女性も現れた。
電話で関り済みだったので、初対面のときほど回りくどい挨拶は省略。
短く言葉を交わした後、玄関へ近づき、女性がドアを開錠。
「私は入らなくていいですか?」
と訊ねる女性に、
「大丈夫ですよ」
と返し、女性と私は立ち位置を入れ替わった。
「では、お邪魔します」
私は、ゆっくり玄関ドアを引いた。
すると、覚悟していた通り、中からはネコ屋敷特有の刺激臭がプ~ン。
私は、少し離れた後方にいる女性に背中を向けたまま、正直に表情をゆがめた。
同時に、薄暗い奥に視線を送り、溜息と異臭を交換しながらの浅い呼吸を繰り返した。
とにもかくにも、そのまま嫌気に従っていても何も進まない。
女性は、
「そのまま・・・靴のままでどうぞ・・・たいぶ汚いですから・・・」
と気を使ってくれた。
言われるまでもなく、靴を脱ぐつもりはなかった私は、
「靴の上にシューズカバーを着けますので」
と説明。
もちろん、それは、家が汚れないようにするためではなく、靴が汚れないようにするため。
ただ、そんな無神経なセリフは吐かず、黙ってポケットからラテックスグローブとシューズカバーを取り出し、両手両足にそれぞれ装着した。
屋内は一般的な間取り。
1Fは、玄関土間、廊下、和室、リビング、DK、トイレ、洗面所、浴室など。
階段を上がると、和室か洋室かわからない部屋が二つと小さなトイレ。
決して豪華でもなく、広々としているわけでもなかったが、かつては、庶民的な一家が、身の丈に合った生活を平和に楽しんでいたことが伺えるような造りだった。
ただ、それは遠い 遠い昔の話。
家の中は、ありとあらゆるところ、猫の糞・尿・毛・爪跡などで汚損。
もちろん、人間用の家財生活用品はあるのだが、もう、ほとんどは酷く汚染された状態。
内装建材も著しく腐食し、糞が厚く堆積しているところも多々。
リビングのソファーをはじめ、糞に埋もれているモノも少なくなかった。
全滅・・・家自体が猫のトイレ、肥溜め・・・
もちろん、充満するニオイも強烈。
身体のことを思えばガスマスクを着けた方がいいくらい。
ただ、それでも、異臭濃度は目に滲みる程ではなく、見分も短時間で済ませるつもりだったため、私は、終始、不織布マスクで家の中を歩き回った。
「これで、よく生活できるもんだな・・・」
「フツーなら身体を壊すよな・・・」
“呆れる”というか“不思議”というか、もっと言うと“奇怪”というか・・・
こんな不衛生極まりない状況で生活するなんて、容易に信じられるものではない。
似たような現場をいくつも見てきた私だったが、ここでも同じような思いが沸々。
しかし、そういう人は現実にいるわけで、私は、そこのところに不思議さを感じざるを得なかった。
一通り見て回った私は、女性が待つ外へ。
女性は玄関を離れた駐車スペースで、私が出てくるのを待っており、開口一番、
「どうでした? ヒドイでしょ!?」
と訊いてきた。
お世辞にも「そうでもない」とは言えない状況で、私は、
「そうですね・・・かなりヒドいですね・・・」
と正直に返答。
そして、飼われていた猫が二~三匹でないことは一目瞭然ながら、
「何匹くらいの猫がいたんでしょうか」
と訊ねた。
「本人の話からすると、おそらく、二十~三十匹くらいはいたと思われます・・・」
と、一段と表情を暗くし、また、気マズそうにそう応えた。
この家は女性の実家。
もともとは女性の両親と当人(女性の兄)と女性が四人で暮らしていた。
最初に家を出たのは女性。
結婚して他に家を持ったのだ。
次はいなくなったのは父親で、それほど高齢ではなかったが病気で他界。
それからしばらくは母親と当人が二人で生活。
大きな問題はなく過ごしていたが、母親も歳には勝てず。
身体が衰え自立した生活が困難に。
そうは言っても、当人に母親の世話をする力はなし。
母親は老人施設へ入所し、それから、当人は一人暮らしに。
しばらくして母親も他界し、当人の暮らしは荒れていく一方となったようだった。
母親が家にいる頃は、時折、女性も実家に顔を出していた。
ただ、消して兄妹仲が良かったわけではなかった。
で、当人が一人暮らしになって以降は、女性は実家を訪れることもなくなった。
両親がいなくなってしまうと、当人とやりとりしなければならない用も、縁を保っておく必要もなくなり、当人とは関わらないでいる方が女性は平和に過ごせるのだった。
そんなある日、当人は体調を崩し入院。
その旨の連絡が女性に入り、とりあえず見舞いに出向いた。
久しぶりの再会だったが、懐かしさや情愛はなく、ただ、妙な不安ばかりが頭を過った。
案の定、入院に関する身元引受人や入院費用の支払いに関する保証人にならざるを得なくなった。
女性にとっては、それだけでも充分に厄介なことだった。
しかし、残念なことに、その後、もっと大きな問題に遭遇することに・・・「猫ゴミ屋敷」となった実家に肝を潰すことになるのだった。
当人が猫を飼い始めた時期やキッカケについて、疎遠だった女性は知る由もなし。
勝手な想像だが、母親がいなくなり一人暮らしとなった当人は、淋しかったのかも。
唯一、自分を必要としてくれ、自分に関心を寄せてくれた両親は亡くなり、誰からも必要とされず、誰からも関わってもらえず・・・
そんな中に現れたのが野良猫。
不憫に思って餌を与えているうちに猫も懐いてきたし、深い情も湧いてきた。
そんな猫が心の隙間を埋めてくれたのか、世話を焼いているうちに、野良猫仲間が集まり、それらが仔を産み・・・
いい歳になるまで母親が世話を焼いてくれていた中年男に家事の一切がキチンとこなせるわけもなく、ただでさえ荒れる一方だった家を、猫が更に荒らしていった・・・
そして、当人もそれに慣れていき、結果として、収拾のつかない事態に陥ってしまっていたのではないかと思われた。
我々が表で話していると、その気配に気づいたのか、近所の人らしき人が近づいてきた。
また、それを窓から覗き見していたのか、それは二人三人と増えていった。
ほとんどは「野次馬」だと思われたが、その表情と物腰は「被害者」。
女性に対して乱暴な口をきいたり横柄な態度にでたりする人はいなかったものの、皆が一様に「迷惑していた!」と言う。
対して女性は、「申し訳ありません・・・」と、泣きそうな顔になりながらペコペコと頭を下げるばかり。
悪いのは当人で女性が悪いわけではないのに、私は、ダメな船頭のように小さな助け舟さえ出せず、ただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
近隣住人の中には不満を抱えていた人も多かったようだったが、当人に直接注意する者はおらず。
当人は“常軌を逸した人間”と思われていたようで、ある種、恐れられていた風でもあり、そんな人間を相手に何か言ってトラブルになっては困るし、逆恨みされて、危害を被っても損。
近隣数軒で話し合って行政に掛け合ったこともあったものの、行政が腰を上げることはなく、結局、泣き寝入ったまま今日に至っていた。
当家屋には、たくさんの猫が出入りする様子はもちろん、時折は、当人が出入りする姿も目撃されていた。
食料など生活必需品の買い出しや、その他に、外に用事もあったはずだし、仕事に出掛けるように見えたときもあった。
ただ、人と会っても視線を合わせることもせず、挨拶もせず。
誰もいないかのように黙って通り過ぎるのみ。
一方の近隣住民も同様。
遠ざかることはあっても近づくことはなく、横目で好奇の視線を送るだけで声を掛けることはなかったようだった。
長い間、猫ゴミ屋敷に我慢を続けていた近隣住民。
正直なところ、当人がいなくなってホッとしたはず。
その上、当人がいなって以降、自然と猫もいなくなっていったわけで、これも近隣にとっては何よりのことだった。
「退院したら、ここに戻って来られるんですか?」
近隣住民は女性にそう訊いたが、その心の声が“戻って来てほしくない!”“戻って来させるな!”といったものであることは、誰の耳にも明らかだった。
「まだ、何も決まってなくて・・・どちらにしろ、家がこんな状態じゃ戻りようがありませんから・・・」
と、ホトホト困った様子で言葉を濁す女性を、私は、ただただ気の毒に思うしかなかった。
そうは言っても、こんなことになってしまった家の始末をつけるのは一朝一夕にはいかない。
汚物の処分や掃除で片付くレベルはとっくに越えている。
常人が常識的な生活をしようとすれば、部分的なリフォームでは足りず、もう建て替えるしかない。
とは言え、当人がそれだけの財を持っているとは到底思えず。
かと言って、女性が負担できるものでないことも明らか。
女性は苦悶の表情を浮かべながら、涙目で宙を見つめるばかりだった。
当人が、どう生計を成り立たせていたのか、日常の付き合いがなかったものだから、詳しいところは、女性も把握しておらず。
色々な状況から推察するに、定職には就かず、派遣やアルバイトなどで生計を成り立たせていたよう。
家屋敷をはじめ、それなりの財産を親から相続したそうだったが、食費、水道光熱費、被服費、生活消耗品費等々、食べていくには相応の金がかかるし、税金や社会保険料だって負担する責任はある。
猫の餌代だってバカにならなかったはず。
消費者金融などからの危ない借金がなかったのが不幸中の幸いだったものの、当人が猫達とともにギリギリの生活をしていたことは容易に想像できた。
色々なことが検討され、色々な可能性が模索されたが、結局、再生不能の家は売却処分されることに。
状況が状況だけに、また、古びた住宅地につき、期待するような値段にはならないことは覚悟のうえだったが、それでも、まとまった金銭を得ることはできるはず。
当人は、その売却代金をもって新たな住居を探すほかなく、となると、賃貸物件になるわけで、「定職に就いていない」「安定した収入がない」ということがネックになるはずだったが、そこのところは、役所や慈善団体を頼るか、まとまった前家賃で手を打ってもらうしかない。
その上で、派遣でもアルバイトでもできるかぎり仕事をして、できりかぎり慎ましい生活を心掛けるしかない。
それで、どれだけ食いつないでいけるものかどうか、女性も測りかねていたが、思いつく策は他になかった。
「もう、それ以上は、面倒みれません・・・」
「あとは自己責任で生きてもらうしかありません・・・」
女性は、自分の肩に圧し掛かる重荷を振り払うようにそう言った。
そして、
「血がつながっているばっかりに・・・」
と、やり場のない怒りと悲しみを過去にぶつけようとするかのように深い溜息をついた。
そんな女性を気の毒に思いつつも、私は、その傍らに黙って佇むことしかできず。
生きていくことの重さを今更ながらに思い知らされる場面となったのだった。