その日の作業予定は、とあるアパートの汚腐呂掃除と遺族が残していった家財の撤去。
汚腐呂はライト級。
大方の家財は遺族が片付け、残された家財は大型のモノばかりで数量も少なめ。
「軽作業」とは言えないものの、私にとっては決してハードな作業ではなかった。
そして、その日は、それが終われば帰宅できるはずだった。
しかし、急な予定変更は、この仕事の宿命。
で、作業の最中、動物死骸処理の依頼が入ってきた。
が、特掃魂には一件分しか燃料を入れておらず、私は、まったく気分を乗せることができなかった。
そうは言っても、依頼が入ったからには、誰かが応答しなければならない。
そして、うちの会社では、そんな仕事に応答するのは、私の役目みたいになっている。
そんな汚仕事は、まず先に私に回ってくる。
いい言い方をすれば「頼られてる」、悪い言い方をすれば「うまく使われてる」、そんな感じ。
仲間内でも、私を押しのけて自らすすんで行こうとする者はいない。残念ながら。
ただでさえ世の中が嫌う仕事をやっているのに、その中で、更に仲間も嫌う仕事に進んでいかなければいけない私・・・
それでも、「努力・忍耐・挑戦は自分にためになる」と自分に言いきかせ、“特掃隊長”を着るのである。
金額が安い割に作業は易くないのが動物死骸撤去の仕事。
仕事やお金をバカにしてはいけないが、仕事としての旨味は少なく、個人としては旨味がまるでない。ただただ、辛いだけ。
だから、やる気がでないどころか、行きたくない気持ちでいっぱいになる。
それでも、依頼があって、それを請け負う約束(契約)をした以上は、行かなければいけない。
結局、その現場も私が行くことになり、私の中には何とも言えない不満と悲しみが沸々・・・
「毎度毎度、何で俺が行かなきゃならないんだよ!」
と、心の中でブツブツ文句を言いながらも
「怠けていいことなんかない!鍛錬!鍛錬!」
と、自分をなだめながら、やけに重く感じるハンドルを握って現場に向かった。
到着した現場は、繁華街にある古い雑居ビル。
とある会社の事務所。
夕方遅い時刻だったが、まだ、多くの人が仕事をしており、電話でやりとりした担当者が私を出迎えてくれた。
私が、ネコ死骸の処理業者であることは、他の人も周知のことのはず。
私は、事務所にいた人達の視線が私に集まっているのを感じながら、誰とも視線を合わさず無表情のまま担当者の後に続いた。
私は、この手の視線がかなり苦手。
皆が、私のことを奇異に思っているのがヒシヒシと伝わってくるから。
そして、悪いことをしているわけでもないのに、惨めなような、恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気分に苛まれるからだ。
「自意識過剰」「被害妄想」「いらぬプライド」と言われればそれまでだけど、いつもそんな気分になってしまい、それは歳を重ねるごとに重くなっている。
そんな気分も相まって、現場に入っても尚、やる気は湧かず。
「何かの間違いってことないかなぁ・・・」
往生際の悪いことに、そんな考えが頭から消えず。
しかし、やはり、間違いはなかった。
指示された更衣室には、すぐにそれとわかる悪臭が充満。
やはり、それは動物死骸の腐乱臭に間違いなく、私は、観念するほかなかった。
手ブラで帰るという選択肢がなくなった私は、動かない精神は放っておいて、とにかく身体だけは動かすことに。
持って来た脚立を点検口の下に立て、力の入らない足でそれに登った。
そして、マイナスドライバーで止金具を回し、“超ゆっくり”点検口の蓋を開けた。
(何年も前の話だけど、ネコ死骸が点検口の真上にあって、蓋を開けたとたんに死骸が私の顔に降ってきたことがあった。そんなトラウマを持っているものだから、そこにはいないとわかっていても、ものスゴクゆっくり開けるクセがついているのである。)
そして、緊張の中、愛用のマスクを着け、懐中電灯を点け、これまた超ゆっくりと頭を点検口から上に差し入れた。
目当ての死骸は点検口の近く・・・つまり顔から近い位置にあった。
私にとって、すぐに発見できたことは幸いだったが、その近さは不幸以外の何物でもなかった。
ただ、そこで凹もうが折れようが、助けてくれる者は誰もいない。
とにかく、自分がやるしかない。
私は、懐中電灯の光の先で不気味に光る黒い毛を、眼球のなくなった頭からウジが引き上げた後の足までを、いつでも瞼を閉じられるように細目で観察。
「腐りたいのはこっちだよ・・・」
と、腐ったネコに愚痴をきいてもらいながら、瞼を少しずつ開いて凄惨な光景に自分の目を慣らしていった。
対象を確認したら、次は、作業手順の組み立てと準備・・・
と大袈裟に言っても、やることは、死骸をビニール袋に入れて持ち出すだけのこと。
極めて単純な作業。
しかし、メンタルな部分は単純にいかない。
複雑に絡み合う感情と、幾重にも対立する自分の中の自分に右往左往しながら、それでも、“自分のため”と信じて、心の中に折り合いをつけられる場所を探す。
そうして、少しずつ、少しずつ自分を前に進める。
通常は、死骸にタオル等をかけ、小型の熊手やシャベル等を使うことが多い。
手袋とつけているとはいえ、やはり、手で直接触るのはスゴク気持ちが悪いから。
だから、私は、ここでも、先に道具を使った。
まずネコの上半身の下にシャベルを差し込み、ネコを少し動かしてみた。
通常は、死骸はひとつの身体なわけだから、シャベルにのっていない部分も一緒に動くもの。
が、あまりに腐敗がすすんでいる場合、肉体は溶解しているわけで、“一体”とならないことも多い。
悲しいことに、このネコがまさにそうで、上半身と下半身は連動せず。
「マ、マズイ!」
ネコの身体が不自然に伸びたことを察知した私は、とっさに手をとめた。
緊急の防衛本能が働いたのだ。
そして、しばし動きをとめ、ネコを壊さず回収するアイデアを出すべく、いまいち力の入らない頭をひねった。
私は、どうしても“一体”で回収したかった。
死骸がふたつ以上に分かれるということは、相当に悲惨な状態になるということだから。ネコも私も。
これは、避けられるものなら避けたい。
ネコも可哀想だけど、自分はもっと可哀想だから。
結局、浮かんだ妙案は、最後の“手”を使うこと。
そう・・・意のままには動かない道具ばかりを頼らず、意のままに動く道具・・・つまり自分の手を使うことを決心。
ネコの下半身に自分の手を恐る恐る直に当て、シャベルと一緒に動かすべく力を入れた。
し、しかし・・・
「あれ!?ん!?」
一緒に動くはずの下半身は微動だにせず。
まるで、床面(天井板)に貼りついているかのように。
「おっかしいなぁ・・・」
怪訝に思った私は、電灯の光を集中させ、床面をよく見た。
すると、そこにはネズミ捕の粘着シートが。
また、周囲を見回すと、あちらこちらに同じ粘着シートが仕掛けられていた。
「チッ・・・そういうことか・・・」
ネコは、そのシートに引っかかり脱け出せなくなって、そのまま死んでしまったよう。
その事故死を思うと、ネコが少し可哀想に思えてきたが、私には、深い感傷に浸れるほどの余裕はなく、迫りくる最後の決断を前に走る悪寒に鳥肌を立てるばかりだった。
「仕方がない・・・か・・・」
私は、ネコが壊れることを覚悟。
そして、自分まで壊れないよう気をつけながら、ヤケクソ気味に上半身を持ち上げた。
それで持ち上がったのは、やはり上半身のみ・・・
下半身は、粘着シートに残ったまま・・・
胴体は真っ二つになり・・・(詳しく書くこともできるけどグロ過ぎるので省略)。
それから、目を固く閉じ、手探りで上半身と下半身の間につながるモツを引きちぎった。
一仕事を終えた私は、とりあえず安堵した。
しかし、達成感はなく、いつもの疲労感と妙な虚しさを覚えた。
そして、
「これって、ホントに自分のためになってんのかなぁ・・・」
そんな風に思いながら、断腸のネコを抱えてトボトボと現場を後にしたのだった。
「怠けることは自分にとってプラスにはならない」
と信じたい一方で、
「本当は楽した者勝ち、楽した方が得なんじゃないか?」
そんな疑心に苛まれることがある。
それでも、マシな方の自分は、なんとか踏みとどまろうとする。
そして、色んな葛藤を胸に、やるべきことを自分に課す。
断腸の思いでする決断が、断腸の思いで進む道がプラスとなるかマイナスとなるか、やってみないとわからない。
ただ、そこまで苦心して進んだ先にマイナスはないと信じたい。
それを信じないと、逃げてばかり、くじけてばかり、怠けてばかり・・・そんな生き方になってしまう。
残り少ない時の中、せっかくの人生、せっかくの今日、そんな生き方はイヤだ。
・・・私は、弱い人間だからこそそう思うのである。
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汚腐呂はライト級。
大方の家財は遺族が片付け、残された家財は大型のモノばかりで数量も少なめ。
「軽作業」とは言えないものの、私にとっては決してハードな作業ではなかった。
そして、その日は、それが終われば帰宅できるはずだった。
しかし、急な予定変更は、この仕事の宿命。
で、作業の最中、動物死骸処理の依頼が入ってきた。
が、特掃魂には一件分しか燃料を入れておらず、私は、まったく気分を乗せることができなかった。
そうは言っても、依頼が入ったからには、誰かが応答しなければならない。
そして、うちの会社では、そんな仕事に応答するのは、私の役目みたいになっている。
そんな汚仕事は、まず先に私に回ってくる。
いい言い方をすれば「頼られてる」、悪い言い方をすれば「うまく使われてる」、そんな感じ。
仲間内でも、私を押しのけて自らすすんで行こうとする者はいない。残念ながら。
ただでさえ世の中が嫌う仕事をやっているのに、その中で、更に仲間も嫌う仕事に進んでいかなければいけない私・・・
それでも、「努力・忍耐・挑戦は自分にためになる」と自分に言いきかせ、“特掃隊長”を着るのである。
金額が安い割に作業は易くないのが動物死骸撤去の仕事。
仕事やお金をバカにしてはいけないが、仕事としての旨味は少なく、個人としては旨味がまるでない。ただただ、辛いだけ。
だから、やる気がでないどころか、行きたくない気持ちでいっぱいになる。
それでも、依頼があって、それを請け負う約束(契約)をした以上は、行かなければいけない。
結局、その現場も私が行くことになり、私の中には何とも言えない不満と悲しみが沸々・・・
「毎度毎度、何で俺が行かなきゃならないんだよ!」
と、心の中でブツブツ文句を言いながらも
「怠けていいことなんかない!鍛錬!鍛錬!」
と、自分をなだめながら、やけに重く感じるハンドルを握って現場に向かった。
到着した現場は、繁華街にある古い雑居ビル。
とある会社の事務所。
夕方遅い時刻だったが、まだ、多くの人が仕事をしており、電話でやりとりした担当者が私を出迎えてくれた。
私が、ネコ死骸の処理業者であることは、他の人も周知のことのはず。
私は、事務所にいた人達の視線が私に集まっているのを感じながら、誰とも視線を合わさず無表情のまま担当者の後に続いた。
私は、この手の視線がかなり苦手。
皆が、私のことを奇異に思っているのがヒシヒシと伝わってくるから。
そして、悪いことをしているわけでもないのに、惨めなような、恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気分に苛まれるからだ。
「自意識過剰」「被害妄想」「いらぬプライド」と言われればそれまでだけど、いつもそんな気分になってしまい、それは歳を重ねるごとに重くなっている。
そんな気分も相まって、現場に入っても尚、やる気は湧かず。
「何かの間違いってことないかなぁ・・・」
往生際の悪いことに、そんな考えが頭から消えず。
しかし、やはり、間違いはなかった。
指示された更衣室には、すぐにそれとわかる悪臭が充満。
やはり、それは動物死骸の腐乱臭に間違いなく、私は、観念するほかなかった。
手ブラで帰るという選択肢がなくなった私は、動かない精神は放っておいて、とにかく身体だけは動かすことに。
持って来た脚立を点検口の下に立て、力の入らない足でそれに登った。
そして、マイナスドライバーで止金具を回し、“超ゆっくり”点検口の蓋を開けた。
(何年も前の話だけど、ネコ死骸が点検口の真上にあって、蓋を開けたとたんに死骸が私の顔に降ってきたことがあった。そんなトラウマを持っているものだから、そこにはいないとわかっていても、ものスゴクゆっくり開けるクセがついているのである。)
そして、緊張の中、愛用のマスクを着け、懐中電灯を点け、これまた超ゆっくりと頭を点検口から上に差し入れた。
目当ての死骸は点検口の近く・・・つまり顔から近い位置にあった。
私にとって、すぐに発見できたことは幸いだったが、その近さは不幸以外の何物でもなかった。
ただ、そこで凹もうが折れようが、助けてくれる者は誰もいない。
とにかく、自分がやるしかない。
私は、懐中電灯の光の先で不気味に光る黒い毛を、眼球のなくなった頭からウジが引き上げた後の足までを、いつでも瞼を閉じられるように細目で観察。
「腐りたいのはこっちだよ・・・」
と、腐ったネコに愚痴をきいてもらいながら、瞼を少しずつ開いて凄惨な光景に自分の目を慣らしていった。
対象を確認したら、次は、作業手順の組み立てと準備・・・
と大袈裟に言っても、やることは、死骸をビニール袋に入れて持ち出すだけのこと。
極めて単純な作業。
しかし、メンタルな部分は単純にいかない。
複雑に絡み合う感情と、幾重にも対立する自分の中の自分に右往左往しながら、それでも、“自分のため”と信じて、心の中に折り合いをつけられる場所を探す。
そうして、少しずつ、少しずつ自分を前に進める。
通常は、死骸にタオル等をかけ、小型の熊手やシャベル等を使うことが多い。
手袋とつけているとはいえ、やはり、手で直接触るのはスゴク気持ちが悪いから。
だから、私は、ここでも、先に道具を使った。
まずネコの上半身の下にシャベルを差し込み、ネコを少し動かしてみた。
通常は、死骸はひとつの身体なわけだから、シャベルにのっていない部分も一緒に動くもの。
が、あまりに腐敗がすすんでいる場合、肉体は溶解しているわけで、“一体”とならないことも多い。
悲しいことに、このネコがまさにそうで、上半身と下半身は連動せず。
「マ、マズイ!」
ネコの身体が不自然に伸びたことを察知した私は、とっさに手をとめた。
緊急の防衛本能が働いたのだ。
そして、しばし動きをとめ、ネコを壊さず回収するアイデアを出すべく、いまいち力の入らない頭をひねった。
私は、どうしても“一体”で回収したかった。
死骸がふたつ以上に分かれるということは、相当に悲惨な状態になるということだから。ネコも私も。
これは、避けられるものなら避けたい。
ネコも可哀想だけど、自分はもっと可哀想だから。
結局、浮かんだ妙案は、最後の“手”を使うこと。
そう・・・意のままには動かない道具ばかりを頼らず、意のままに動く道具・・・つまり自分の手を使うことを決心。
ネコの下半身に自分の手を恐る恐る直に当て、シャベルと一緒に動かすべく力を入れた。
し、しかし・・・
「あれ!?ん!?」
一緒に動くはずの下半身は微動だにせず。
まるで、床面(天井板)に貼りついているかのように。
「おっかしいなぁ・・・」
怪訝に思った私は、電灯の光を集中させ、床面をよく見た。
すると、そこにはネズミ捕の粘着シートが。
また、周囲を見回すと、あちらこちらに同じ粘着シートが仕掛けられていた。
「チッ・・・そういうことか・・・」
ネコは、そのシートに引っかかり脱け出せなくなって、そのまま死んでしまったよう。
その事故死を思うと、ネコが少し可哀想に思えてきたが、私には、深い感傷に浸れるほどの余裕はなく、迫りくる最後の決断を前に走る悪寒に鳥肌を立てるばかりだった。
「仕方がない・・・か・・・」
私は、ネコが壊れることを覚悟。
そして、自分まで壊れないよう気をつけながら、ヤケクソ気味に上半身を持ち上げた。
それで持ち上がったのは、やはり上半身のみ・・・
下半身は、粘着シートに残ったまま・・・
胴体は真っ二つになり・・・(詳しく書くこともできるけどグロ過ぎるので省略)。
それから、目を固く閉じ、手探りで上半身と下半身の間につながるモツを引きちぎった。
一仕事を終えた私は、とりあえず安堵した。
しかし、達成感はなく、いつもの疲労感と妙な虚しさを覚えた。
そして、
「これって、ホントに自分のためになってんのかなぁ・・・」
そんな風に思いながら、断腸のネコを抱えてトボトボと現場を後にしたのだった。
「怠けることは自分にとってプラスにはならない」
と信じたい一方で、
「本当は楽した者勝ち、楽した方が得なんじゃないか?」
そんな疑心に苛まれることがある。
それでも、マシな方の自分は、なんとか踏みとどまろうとする。
そして、色んな葛藤を胸に、やるべきことを自分に課す。
断腸の思いでする決断が、断腸の思いで進む道がプラスとなるかマイナスとなるか、やってみないとわからない。
ただ、そこまで苦心して進んだ先にマイナスはないと信じたい。
それを信じないと、逃げてばかり、くじけてばかり、怠けてばかり・・・そんな生き方になってしまう。
残り少ない時の中、せっかくの人生、せっかくの今日、そんな生き方はイヤだ。
・・・私は、弱い人間だからこそそう思うのである。
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