アルプスの少女ハイジはかわいそうな子だ。
あの子は過剰適応の子だ。
早いうちに親を亡くし、親戚中をたらい回しにされ、生き延びるために常に相手の顔色をうかがうように自己訓練してしまったかわいそうな子だ。
彼女は無邪気さという仮面をかぶって、悪意ある大人の攻撃をかわしていたのだ。
あんな小さい子が。
ああ、痛ましい。
そんなハイジを見て、何かしらの心の痛みを感じる人こそ、本当に優しい人なのかもしれない。
ハイジは社会から疎外された人々の心をいやした。
人から疎まれ、孤独な生活を送っていたおんじ。
学校へも行かず、学童労働をしていたペーター。
そして盲目なのに糸紬をしてはいたらいていたペーターのおばあさん。
ああ、社会から疎外された人々から必要とされたハイジ。
ハイジはイエスがそうだったように、そういう人の隣人であり癒し主だったのだ。
ゼーゼマン一家にハイジは必要あるまい。
ぜーぜマン一家は社会から受け入れられた恵まれた人々の集まりだったのだから。
そうそう。
たまにわがままな孫娘と無邪気すぎるその話し相手を相手にするクララのおばあさんには関係ないだろうが、ロッテンマイヤー女史が口うるさかったのは、クララのわがままをたしなめ、ハイジの行く末を案じたからである。
最後に。
なぜかは知らないが、ほかの著者が書いたハイジの続編は、ほとんどが、ハイジがバリバリの共産女になる話ばかりである。
私は読む気はしないが、興味のある人は読んでみるといいと思う。