月形洗蔵といえば幕末の福岡藩藩士。
薩長同盟の起草文を考案した人。
1860年に藩主・黒田長溥に尊王論の立場から建白書を提出し、8月には藩の汚職を批判する建言を行った。
このことから、この筑紫野市古賀に幽閉された。
慶応元年(1865年)には三条実美ら五卿が太宰府天満宮に移る際、下関まで迎えに行っている。
佐幕派の復権によって桝木屋(福岡市中央区地行浜)で斬首された。
幕末の筑前勤王党の主要人物の一人である。
月形洗蔵~幽閉の地 顕彰碑
月形洗蔵~幽閉の地 顕彰碑プレート
月形洗蔵~幽閉の地 遠景
Google地図
月形洗蔵~幽閉の地~古賀
旧佐伯五三郎邸
現在は高速道路になっています。
松尾 光淑(まつお みつよし)
松尾光淑 此山に のぼりし君が
古へを 思へばかなし
見れば尊し
【作者】
松尾光淑は筑紫野市武蔵の人。明治維新を前に西下していた尊皇攘夷派の三条実美ら五卿を迎えて秘かに世話をした温泉奉行松尾光昌(別名山太夫)の孫。天拝山で無実を訴えたとされる菅原道真への尊崇の念が深く、自著「武蔵温泉誌」1898.12 にこの一首がある。
【建設地】筑紫野市武蔵、天拝山登山口