ここあコテージ

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頂いた本から②きよしこの夜

2018-12-30 05:56:23 | 音楽

おととい紹介した本の続きです。


「荒野の果てに」よりももっと有名で、クリスマスと言えば
この曲と言われるのが「きよしこの夜」ですよね。





日本語の歌詞から。

きよし この夜 星はひかり
救いのみ子は まぶねの中に
眠りたもう いとやすく

(1節)

(余談ですが、叔父の名前は「清(きよし)」でした。
子供の頃、「きよしこの夜」を歌うと、
叔父が出て来る気がして、なんとなく変な気持ちでした。笑)




英語では「Silent night

Silent night Holy night.
all is calm. all is bright.
round yon virgin Mother and Child.
Holy Infant so tender and mild.
sleep in Heavenly Peace ×2




クリスマスのキャロルは、全体的にとても美しい曲が多いですが、
この「きよしこの夜」は、格別に静かで美しくて、
聖夜にふさわしい曲です。




この曲は、オーストリア・ザルツブルク近くのオーベンドルフにある
聖ニコラス教会で生まれました。


「きよしこの夜」の作詞者は、ヨセフ・モアという副司祭であり、
神父でもある方でした。

1818年のある日、深夜ミサの準備をしていたところ、
教会のパイプオルガンが壊れてしまい、モア神父は思案していました。

その時に浮かんだのが、この「きよしこの夜」でした。

モア神父は、オルガニストのフランツ・クサヴィー・グルーバーに、
オルガン無しでも歌えるシンプルなメロディーの曲を頼みました。

それはギター伴奏による、二人のソリストと
合唱のための曲になりました。

(この地域では川がよく氾濫し洪水でオルガンが
使えなくなったそうです。)





***



「きよしこの夜」にまつわるエピソートと闘い



当時の教会では、ラテン語でミサ(礼拝)を行うのが通常でしたが、
聖ニコラス教会では、オープンな考え方をする司祭が赴任していたため、
モア神父と共に、ドイツ語でミサを行っていました。

それは村民たちの喜びになっていましたが、
カトリック教会上層部はモア神父たちの、
このような行動をよく思わなかったようです。

その結果、上層部は、この教会の司祭を教会から追い出し、
保守的な司祭を赴任させました。

ここから、「きよしこの夜」を巡る争いが始まりました。

モア神父は、オルガニストのグルーバーと共に、
気軽で誰にでも楽しめるミサ曲をと考え、
ドイツ語とラテン語での讃美歌を提唱。
しかし、保守的な新しい司祭は猛反対しました。


それまで味方だった村民たちは、掌を返すように新しい司祭の側に立ち、
ますますモア神父たちは窮地に陥りました。


しかし、クリスマス・ミサ直前にパイプオルガンが故障してしまい、
ミサはモア神父たちの提案で、ギターで伴奏する以外に
方法はありませんでした。

ギターでの伴奏となれば、複雑な曲よりも
シンプルな曲を選ぶしかありません。

こうして「きよしこの夜」は
1818年12月24日に演奏されました。




更に20年後の1838年12月24日、
ドイツのカトリック教会が「きよしこの夜」を掲載した事から、
この曲が公に歌われるようになり、

やがて、アメリカのドイツ語を話す人たちにこの曲が伝わり、
1863年に日曜学校のテキストとして英語でも
歌われるようになったとのことです。



ちなみに、日本語訳をしたのは、由木康牧師です。
鳥取県西伯郡上道村(境港市)に生まれ、中学時代に受洗。
1914年、死の危険に直面したのをきっかけに神学校で学び、
牧師になりました。由木牧師は、生涯に100曲以上の
賛美歌の作詞をしました。




***




「きよしこの夜」のエピソードは聞いた事がある方も多いと思いますが、
闘いや、作詞者のモア神父の生い立ちについては、
(私生児でした。母親は大変な苦労をしたようです。
今回は触れませんでした。)
案外知られていないように思います。

「きよしこの夜」のエピソードを知って歌うと、
新鮮な思いで歌えるのではないでしょうか。





今年も明日が最後ですね。

今日は日曜日、そして礼拝の日。
一年の感謝を献げに行きます。





ここあでした。


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