歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

取手市は毘沙門天で 海中山で 福永寺は天長3年(826年)の建立?でとても古かった!?

2008年11月14日 | お寺・神社

“小貝川・利根川沿いシリーズ”です。

利根川の土手を離れ「バス通り」を利根町方向に走り、合流地点に戻る事になります。

今回の“ぶらぶら走り”も折り返しとなります。それと、「東京芸術大学」と、“思しき”建物の確認をしたいと思います。

お寺の看板?です。この日始めての神社仏閣です。“海中山”が気になります。脇道に逸れ、見学とお詣りをします。


本堂も、ブロックも、アルミフェンスも、そして“墓地”も、新しそうです。この辺のお寺は“墓地の分譲”で潤っているようです。


“海中山”です。何故に海中なの?


本堂から続く“庫裡”も新しいのです。


本堂内部をチョットだけ覗きます。ピンボケでした。まぁ、ごく普通。


“ヨガ道場”をやっています。ヨガも仏教もインド発祥、問題は無さそうです。


海中の謂われでもと、記念碑を眺めます。


この福永寺は、天長3年の建立とあります。西暦826年です、今から1182年も前の事です。へぇー!そんなに古いお寺? 最初からこの地にあったのでしょうか。

“毘沙門天像”が海中から湧き出たようです。それで、海中山なのです。千年前はこの辺りは海だった事は考えられます。



文久2年(1862年)と、明治29年(1896年)と二度も火災で本堂が消失しています。よく燃えるお寺です。

宗派がどこにも書いてありませんが、弘法大師に触れているので真言宗なのでしょう。

取手駅前にある、あの長禅寺が承平元年(931年)ですから、この福永寺はそれよりも、百年も古いお寺なのです。

こんな処に、こんな古いお寺があったのです。でも、そう言い伝えられているだけで、確かな記録は無いのかも知れません。

お賽銭を上げ、参拝しました。

さぁ、「芸大」を目指し、通りに戻ります。


※シャットダウンは起こりませんでした。でも、まだ、油断できません。



それでは、また明日。いゃ、来週でした。



コメント (1)
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