昨日の続きです。
駅前から来た道とは別の路地伝いに、“おもてなし館”方向に戻ります。この辺りは何度も通っているので、特に目新しいモノはないのです。
と、思いつつ、何気なく“旧報徳銀行”向かいの路地に眼をやると、奥の方に“竹村酒造店”の“立て看”を発見。“酒店”ではなく“酒造店”です、売っているのではなく、醸造元です、造り酒屋です、酒蔵です。
水海道には何度も来ているのですが、こんな町中に醸造所があるとは、今の今まで知りませんでした。商工会の観光パンフにも、何度も覗いた“おもてなし館”にも、そんな紹介あった?
あったとしたら、もしかして、たぶん、“ほう、水海道でも酒を造っている会社があるのねェ”で終わっていたのかもしれません。
通りすがりに、路地の奥に眼をやり、“おゃ、これは”と思ったのは、この佇まいで、そして、町中で、路地奥で、それが造り酒屋であったこと、この組み合わせ、この重なり合いが、魅力的で、とても心惹かれたのだと・・・。
この日は日曜日、構内には人影もなく、
麹の匂いも酒の匂いもなく・・・、ふつう外部には漂わないものなの?・・・、
何となく、これは、もう“醸造元”ではなく、もしかして“元醸造元”になってしまったの? そんな空気が辺りに流れていました。
兎に角、塀に沿って観察します。灰色の上塗りが剥げ赤茶色の錆止め塗料が露出した波板トタンの塀、赤茶色の板戸、板張り外壁の建物、そして、ゆるく折れる路地、とても“わびさび”です。
折れた路地は、何故か、ふりかえりたくなります、塀に取り付けられた“清酒富士龍”の
琺瑯看板が哀愁です。
この白い建物が酒蔵でしょうか。
奥の住居のような建物、視界を遮蔽するような、火災の際に火を遮蔽する“卯建”ような壁、崩れかかり、倒れかかり、つっかい棒で支えられています。
手前のコンベヤー、大きな樽に“もろみ”を入れ時に使うのでしょうか?何か、そんな映像を見たような気がします。でも、このコンベヤーは、もう現役ではなさそうです。
こちらの板張りの建物を見上げていたら、
こんな片隅に、何とも、秋の彩りが・・・、板張りを這い上がる“蔦紅葉”風情です。俳句でもひとつ、ひねりたくなります。
こちらが酒蔵でしょうか、外壁が膨らんで湾曲しています。かなり老朽化しているようです。
板塀越しの酒蔵、なかなか趣のある路地です。この先は通りに出ますので、ここで引き返します。
帰り際、入り口脇の塀に貼られた“水海道商人博物館”の案内板に気が付きました。
この竹村酒造は、何と“近江財閥七人衆のひとり”に数えられ、“三井、高島屋に並ぶ豪商”だったようです。
それにしても、三井と高島屋と竹村酒造店が同一に並んでいますが、三井財閥は、三菱財閥、住友財閥と並んで“日本三大財閥”のひとつでした。
高島屋は近江商人ですが、近江財閥との言葉はあまり耳にしません。遠い昔は、近江財閥七人衆何て言葉があり、あの三井と、高島屋と、近江財閥七人衆のひとり竹村酒造が肩を並べていたのですか?
しかし、この水海道の、この路地の奥で、ひっそり営む、この造り酒屋さんが、一時代、あの三井財閥と、肩を並べていた豪商であったとは、もう、大変な驚きです。
竹村酒造さん、ホントに“恐れ入谷の鬼子母神”でした。
水海道には、まだ、まだ、いろいろ有りそうです。
それでは、また明日。
駅前から来た道とは別の路地伝いに、“おもてなし館”方向に戻ります。この辺りは何度も通っているので、特に目新しいモノはないのです。
と、思いつつ、何気なく“旧報徳銀行”向かいの路地に眼をやると、奥の方に“竹村酒造店”の“立て看”を発見。“酒店”ではなく“酒造店”です、売っているのではなく、醸造元です、造り酒屋です、酒蔵です。
水海道には何度も来ているのですが、こんな町中に醸造所があるとは、今の今まで知りませんでした。商工会の観光パンフにも、何度も覗いた“おもてなし館”にも、そんな紹介あった?
あったとしたら、もしかして、たぶん、“ほう、水海道でも酒を造っている会社があるのねェ”で終わっていたのかもしれません。
通りすがりに、路地の奥に眼をやり、“おゃ、これは”と思ったのは、この佇まいで、そして、町中で、路地奥で、それが造り酒屋であったこと、この組み合わせ、この重なり合いが、魅力的で、とても心惹かれたのだと・・・。
この日は日曜日、構内には人影もなく、
麹の匂いも酒の匂いもなく・・・、ふつう外部には漂わないものなの?・・・、
何となく、これは、もう“醸造元”ではなく、もしかして“元醸造元”になってしまったの? そんな空気が辺りに流れていました。
兎に角、塀に沿って観察します。灰色の上塗りが剥げ赤茶色の錆止め塗料が露出した波板トタンの塀、赤茶色の板戸、板張り外壁の建物、そして、ゆるく折れる路地、とても“わびさび”です。
折れた路地は、何故か、ふりかえりたくなります、塀に取り付けられた“清酒富士龍”の
琺瑯看板が哀愁です。
この白い建物が酒蔵でしょうか。
奥の住居のような建物、視界を遮蔽するような、火災の際に火を遮蔽する“卯建”ような壁、崩れかかり、倒れかかり、つっかい棒で支えられています。
手前のコンベヤー、大きな樽に“もろみ”を入れ時に使うのでしょうか?何か、そんな映像を見たような気がします。でも、このコンベヤーは、もう現役ではなさそうです。
こちらの板張りの建物を見上げていたら、
こんな片隅に、何とも、秋の彩りが・・・、板張りを這い上がる“蔦紅葉”風情です。俳句でもひとつ、ひねりたくなります。
こちらが酒蔵でしょうか、外壁が膨らんで湾曲しています。かなり老朽化しているようです。
板塀越しの酒蔵、なかなか趣のある路地です。この先は通りに出ますので、ここで引き返します。
帰り際、入り口脇の塀に貼られた“水海道商人博物館”の案内板に気が付きました。
この竹村酒造は、何と“近江財閥七人衆のひとり”に数えられ、“三井、高島屋に並ぶ豪商”だったようです。
それにしても、三井と高島屋と竹村酒造店が同一に並んでいますが、三井財閥は、三菱財閥、住友財閥と並んで“日本三大財閥”のひとつでした。
高島屋は近江商人ですが、近江財閥との言葉はあまり耳にしません。遠い昔は、近江財閥七人衆何て言葉があり、あの三井と、高島屋と、近江財閥七人衆のひとり竹村酒造が肩を並べていたのですか?
しかし、この水海道の、この路地の奥で、ひっそり営む、この造り酒屋さんが、一時代、あの三井財閥と、肩を並べていた豪商であったとは、もう、大変な驚きです。
竹村酒造さん、ホントに“恐れ入谷の鬼子母神”でした。
水海道には、まだ、まだ、いろいろ有りそうです。
それでは、また明日。
竹村酒造店のツイッターがありました。
https://twitter.com/#!/takemurabrewery
年末に発売される限定醸造のしぼりたて原酒「上澄み」今から楽しみです。